2024年1月9日 時代が変わるとき


「時代が変わるんだなぁ」
と最近、よく思います。
特定の事象に言っているわけではなく、
ニュースや出来事、
それに対する世間の反応などが目に見えて、
変わってきているのを感じます。
西洋占星術では、数年前から「風の時代だ!」という流れがあり、「時代が変わる」と散々、喧伝されていたのです。
西洋占星術をほんの少しかじっている人間ですが、「大きいことを言うなぁ…そう言っても大したことはないだろう」と思っており、
これほど、変わっていくとは想像もしませんでした。
もちろん、新型コロナ感染症が広まり、世の中の活動が数ヶ月自粛モードに入った時、
zoomが広まり、多くの人が利用するようになった時にも、
ユニクロだけでなく、近所のスーパーにセルフレジが導入された時にも
「時代は変わるんだなぁ」と感じていました。
それら3つに関しては、
たまたま心の準備ができていたので、驚きながらも何とか乗り切れたことを思い出します。
その頃より、2023年年末から今は、
もっとソフト面というか、気持ち、意識が変わってきているような気がします。
物事の仕組みが変わるだけでなく、
そこに乗る気持ちや取り巻く意識が大きく変わってきたと言うような感じです。
正直なところ、数年前のハード面が変わり始めた時よりも、心の揺れはひどいです。
よくないものでも、
慣れていたものが崩れていくこと
親しんだものが駄目になっていくことを
直視するのはあまり愉快ではないからです。
人間は「慣れ」の動物なのだ、と痛感しています。
これまであった雰囲気や流れが崩れていく時、
ある種の不安を感じます。
それが、ひどく支配的で加害的なものであっても、自分を取り巻く慣れ親しんだ何かが無くなっていくのは、
不安を引き起こすのだろうと思います。
これは好き嫌いや善悪とは
全く別の次元で起こる生理現象のようなものではないか、と考えたりします。
慣れ親しんだものの失態や醜悪さが、
白日の元に晒される時、
ほとんどの人はどうしたって、少しの後ろめたさがあるのです。
加担と言わないまでも、傍観してきたという事実は、たいてい、あるからです。
でも人間は、できることなら、自分が悪いなどとは毛頭、考えたくないものです。
それゆえに、白日の元に引き出してきた人や出来事に狼狽し、そして憤りすら感じるのでしょう。


災害についても、どこかで、
東日本大震災のようなことは、
自分が生きているうちに起こらないだろうと何故か思い込んでしまっていました。
自分だけは大丈夫、と思っていたのかもしれません。
もしくは、東日本大震災の経験やノウハウがあるから、きっと何とかなるだろうという思いがあったのです。
どちらにせよ、ひどく、楽観主義的な考え方です。
被災地からの情報を受け取るたびに、
その反動か、
胸が痛むだけでなく、ひどく頭が混乱しています。
事実をすとんと受け止めることができていないのです。
ぼんやりとぬるい楽観主義から、放り出されるのが怖いのだと思います。
ついこの間まであった、と思っていた日常はすでにない、もしくはとても早い速度でなくなりつつあると言うことを、認めたくないのです。

これも広い意味での、正常性バイアスというやつなのだろうなぁと思います。

「正常性バイアスは、異常なことが起こった時に「大したことじゃない」と落ち着こうとする心の安定機能のようなもの。日常生活では、不安や心配を減らす役割があります。しかし、緊急事態では逃げ遅れなど、危険に巻き込まれる原因にもなります。」

赤十字社のサイトより


オンラインでの投稿を眺めていると、
妙に攻撃的だったり、
誰かに肩入れしたりする人を多く見かけますが、
ざわざわしたすっきりしない気持ちをなくし、
以前の日常に戻ろうと、この変化に抗ったり、 
この変化を引き起こしたと感じるものを攻撃しているということなのかもしれません。
この心配や不安はひどく不快なもので、一刻もはやく、消してしまいたいような感情です。
この感情を抱えて生活すると言うのは、なかなかに苦しいものです。
誰だって、早くすっきりしたい、
これまでいた日常に戻りたい、と思うものです。

そんな時に思い出すのは、次のようなことです。
高校の時、世界史を選んでいたのですが、
世界史ではよく「〇〇王国の滅亡」とか「〇〇族の滅亡」という文字列が出てきます。
その時に、担当教員が
「滅亡と書かれているが、本当にいきなり全滅するということはほぼない。
国や族としての単位ではなくなったということであり、そうなったとしても、多くの人たちは違う形で、生き延びて、暮らしを続けたことだろう」
と説明してくれたのです。
その時は、「ふーん」と聞き流していたのですが、今となってみれば、これはけだし名言だと思います。
「時代がどれほど大きく変化しても
できるだけ、暮らしていこう。
できるだけ、生き延びてみよう」
と思うのです。

ひどくこの先が不安になった時、 
心の中で、
消えた国や消えた民族を思い浮かべます。

違う土地に移動して、
新しい国に吸収されて、
はたまた違う民族の中に混じって、
母国語を忘れながらも、
生き延びた
生身の、歴史に残らない生身の人間のことを、
思うのです。

そうすると、変化への不安や怒りが
ほんのちょっぴり、小さじ一杯分ほど和らぎます。
そして、
正しさでも、善悪でもなく、ひとまずは、生き抜いていこうと思うのです。

時代が変わることを止めることはできないけれど、
生きぬいていくことは、
できます。
不安や怒りが強い時には、
時代が変わることを
ひどく恐れているのかもしれない、と考えてみるのも良いのではないでしょうか。
戦国時代が江戸時代に変わるとか
江戸時代が明治時代に変わるとか
それくらいの大きな変化に、
私たちは今、立ち会っているのかもしれません。


 









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