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2024年11月17日 文章賞金稼ぎの頃

もともとこのnoteを始めたのは、
「まとまった文章を書けるようになりたかった」からでした。
学生の頃は、文章を書くのが得意な方で、
賞金の出るコンクールを見つければ応募し、
ささやかな額の図書券などをせしめていたのです。
その頃は、書くことに大した苦労はありませんでした。
お題と文章量さえ、わかればなんとでも文章は、ひねり出せました。
しかも、時間もかかりませんでした。
思ったことを、さっと書いて、
入賞し、数冊の本や漫画を買う足しにしたことをよく覚えています。
アルバイトができないくらい若い頃、
もしくは、アルバイトができる年齢になっても、
怖がりでアルバイトを始められない時、
私はそうやって、ほんのわずかではあるものの、確かに本代を稼いでいたのでした。
学業の傍ら、文章での賞金稼ぎをしていたわけです。
さして、上手い文章ではありませんでしたが、若さゆえの勢いや鋭さがあり、
何より生き生きとした文章だったように、自分でも思います。
そこにはおそらく、飛び立ての鳥のような、海へ船出して行く海亀のような、初々しさと喜びがありました。

あの頃は怖いものだらけだったけれど、
文章を書くと言うことについては
今より無敵だったのです。
あの頃、怖かったことは、
電話をすること、
他愛ない話をすること、
納得いかないことにも必要なら謝罪すること、
筋の通らない話をじっと聞くこと、
働くこと、
誰からも愛されないこと、
まだまだ沢山ありました。
そう言うことのいくつかが、
どうにかできるようになった頃、
とりわけ、「働く」ことができるようになってから、
私は反対に自由に書けなくなったような気がします。
私は子どもの頃、特に「働く」と言うことに恐怖を感じていました。
自分のようなものがお金をもらうに値する仕事をできるのだろうか、と考えて、
背筋がゾッとしたことを覚えています。
どうしても働いている自分が、想像ができなかったのです。
暗い淵に立っているような気がしました。
「大人の私はどうやって生活費を稼ぐのだろう」と考えたものです。
結局、とある流れに乗ることができたおかげで、
現在、働いて、糊口をしのぐことができています。
それはとてもありがたいことで、
子どもの頃の自分の予想をいい意味で裏切るものです。
ただし、子どもの頃のように、自分の思っていることを書くことはできなくなってしまったのでした。

仕事に関する文章を書くことはできます。
仕事では、「わかりやすい文章である」とお褒めをいただくこともあるし、
仕上がりも普通な人よりは、「速い!」といっていただくこともあります。
でも、それは仕事に関する文章においてだけでした。
気づくと、私は自分が考えたことを、書くことが困難になっていたのです。
自分は言葉を知らないのか?と思うほど、書けなくなったのです。
出かけて見かけた美しい情景、
日常で出会った不思議なことも驚くほど書けなかったのです。
ひとつの文章を書いて、読み返し、あまりのひどさに手が止まるようになってしまいました。
何より、「働く」そして「生活をする」人間にはやることが山のようにあります。
ひどい文章を書き直すよりも、私は、「働く」ことと、「生活をする」ことを選びました。
選んだと書きましたが、それは消極的な選択です。
「働く」ことや「生活をする」ことに必要な行動に飲み込まれていったと言う方が正しいでしょう。
仕事のスケジューリング、仕事に関する研修、各種支払い、税金の支払い、健康診断から、掃除に料理、ゴミ出し、洗濯、買い出し、そして、家族や親戚との付き合いから友達との付き合いまで。
毎日はやるべきことで満ちていました。

こう考えてみると、
「書く」と言うことは、「生活」とあまり相性が良くないような気がします。
「書く」には読まねばならないし、考えねばならないし、書かねばならないからです。
「生活」の中で、これらの時間を捻出する必要があるのです。
それは決して簡単なことではありません。
子どもの頃、学生の頃の方が、文章を書けたのは、当たり前と言えば当たり前です。
食事や掃除、ゴミ捨て、買い出し、諸々の社会的手続きを親にやってもらっていたのですから。
それだけ、自由な、とらわれない時間や立場があったのです。
だからこそ、文章での賞金稼ぎに成れたのです。
ゴミ捨てとか税金や健康を気にして、賞金稼ぎになれるわけがありません。
それが文章におけるものだとしても。

昨年夏から一念発起して、毎日1,600字程度の文章を書くと決めて取り組んできました。
自由な立場と精神の賞金稼ぎにはもう成れそうにないので、
もう少し、現実的な方法で、文章を書く力をつけようと思いたったわけです。
一年半続けてきて、
大人になって、「書く」のに必要なのは、
才能以上に、
時間を作る努力、継続する努力だと気づきました。
「時間なんてない」「疲れてできるわけない」で、終わるところから、
ほんの少し、時間を捻り出すのです。
そしてそれをひたすら繰り返すのです。
今では、2,000文字位を90分ほどで書けるようになりました。
今読んでいる本によると、
プロの作家でも毎日必ず1,000字から2,000字書くということを義務にしていた人はいるようですから
地味ですが良い鍛錬なのだと思います。
やはり、なんでも慣れと継続なのでしょう。

その上、
体調の不調があっては書く気になれないので、
軽い運動を始め、
その運動時間に読書をしようと、audibleに入りました。
今では、運動の時間は読書の時間であり、なおかつ、思索する時間です。
ぼんやり、ネットを彷徨う時間は短縮されたと思います。
今度は、もっと面白いものを書けるようになりたいと言う気持ちになってきました。
いつか、昔のように、文章での賞金稼ぎができるようになりたいものです。
賞金稼ぎの頃のような、瑞々しい文章が書けたら、と思うのです。







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千歳緑/code
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