
2025年1月26日「ポケットにライ麦を」感想 ネタバレあり
Audibleでアガサ・クリスティの「ポケットにライ麦を」を聞いた(読んだ)ので、その感想です。
いやぁ、今回も、本当に、面白かったです。
有名でかつ古いミステリなので、
ネタバレをひどく気にする人もいないとは思いますし、
完全にネタバレするつもりは全くありませんが、
念のため!
このまま読んでいくとネタバレがある可能性があります。
ネタバレせず、本作を楽しみたい方は、ここで、記事を読むのをおやめください。
ミステリの女王は裏切らない
「調子悪いなぁ…、長い小説は聞けないかもしれない」と弱気になっていたので、
悩んだ挙句、信頼と実績のアガサ・クリスティ作品を
選んでしまいました。
「信頼と実績があると言っても、散々聞いているし、長編だし、きついかなぁ…」
と再生ボタンを押すまでは不安でした。
しかし、聴き始めると、
止められなくなり、
隙間時間に聞くだけでなく、
こまめに自分から時間を作って、
あっという間に聴き終えてしまいました。
面白いのです、やっぱり!!
先が気になる、
登場人物が気になる、
トリックが気になる、
探偵の登場気になる!!
だれるところがないのです。
さすがはクリスティ、ミステリの女王です。
飽きることなく、次頁が気になるように描かれています。
今回選んだのは、タイトルに心惹かれた「ポケットにライ麦を」です。
タイピスト室のやり取り
冒頭のタイピスト室のやりとりから、痺れました。
皆のお茶を入れる当番の女性がお茶を入れるのが下手で、沸騰していないお湯で紅茶を入れ、しけったビスケットを出す様子に、イライラするベテラン女性、
その隣を我関せずと通り過ぎていく金髪の美人秘書。
多分に、時代錯誤的ではあるものの、現代を生きる私たちでも十分「わかる」状況なのです。
女性が仕事をするということ、
若さ、美しさで女性が選別されること、
その女性同士でも分かり合えなさがあること、
こう言う点は、現在においても全く変わってはいません。
アガサ・クリスティはミステリの女王であると同時に、女性が生きる世界を描写するのが何より上手いのです。
探偵のミス・マープルが出てこない、お茶入れの場面だけでも引き込まれる筆力!
改めて、アガサ・クリスティは上手いなぁ…とため息が出ました。
ミス・マープル≠安楽椅子探偵
ミス・マープルは一般に思われているような、
安楽椅子探偵ではありません。
今回、ミス・マープルは、犯行現場のお屋敷「イチイロッジ」へ、何の伝手もなく、自ら乗り込んできます。
それは、自分のところにいたメイドが殺されたと知って、何かできることがあるのでは?と思っての行動です。
警察に止められることもなく、すんなりお屋敷の中に入り込み、お屋敷の老婦人に気に入ってもらって、宿泊まで勝ち取るのですから、
その行動力は、一般的な探偵に負けないのです。
もちろん、ミス・マープルは常に礼儀正しく、
戦ったり、アクションをしたりと言うことはないのですが…。
それでもイメージよりはずっと、行動的で、尚且つ、熱い想いのある探偵なのです。
マザーグースの見立て殺人
今回は、マザーグース(英国の童謡)の「6ペンスの唄」に見立てられた殺人が起きる…と言う展開です。
ミステリ好きなら皆さんお好きな見立て殺人!
元曲が牧歌的であればあるほど、陰惨な感じを受けるのは、
マザーグースでも同じですね。
歌詞も言葉遊びのようで、
意味があるのかないのかよくわからないのですが、
それに見立てられると、
殺人がやけに意味ありげに見えてしまうのです。
つまり、
ミステリではよくある展開ではあるのですが、
今作を読んでいて、
「殺人を何かに見立てると言うことは、
被害者へのひどい冒涜である」ということを
ミステリに慣れきっていて、
忘れていたことに気づきました。
今回の探偵、ミス・マープルは
見立て殺人ではないか、と気づいた上で、
それは被害者に対するひどい冒涜だ、と怒りを露わにします。
そうでした。
あんまりにも真っ当な意見で、自分のミステリ脳を少し恥じました。
ミステリ内での死は一種のイベントのように扱われるので、忘れがちですが、
その死にはそれまでの人生、生活があったのです。
見立て殺人ってよくよく考えるとかなり酷いことですね。
犯人、当てられず
目星をつけていたキャラクターは犯人ではありませんでした。
当てられそう!と思っていたのですが、
思いっきり、アガサ・クリスティの術中にハマっていました。
絶妙にうまく、書いてあるんですよ…。
読み終わると「そうか、そうだよね」と納得するのですが、
結末を知らない時には、結末とは結びつかないように、つまり、違うように、読んでしまっているのです。
これがアガサ・クリスティの凄さ、そして翻訳家の方たちの凄さなのだと思います。
「妹たちへ」
「ポケットにライ麦を」は、ミス・マープルシリーズの長編第6作目です。
アガサ・クリスティが60代頃に書かれたものであるはずです。
さて、
日経womanという女性向けの経済雑誌があります。
その巻末に、
各界で有名な女性たちが自分の人生を振り返り、
自分より若い世代の女性たちへエールを送る、
「妹たちへ」という連載が掲載されています。
それぞれ、波瀾万丈、大成するまでの経験を語ってくれるのですが、
たいてい、最後には、
自分より若い女性たちが楽しく生きていって欲しい、
何とか自分たちのような苦労をせず、のびのびとやっていって欲しいと言うような内容になります。
多くの女性は、歳を重ねると、
自分より年若い女性たちの人生の安寧と成功を願います。
男性たちには時折、「女の敵は女」などと揶揄されますが、
そういう女性はほんの一握りです。
少なくとも私は数えるほども出会ったことがありません。
大抵の女性は、自分の苦労や悲しみ、傷つきを若い女性にはさせたくないと願っています。
アガサ・クリスティも
この「妹たちへ」と同じようなことを
考えていたのではないか、と思うのです。
大作家になり、様々な人生経験を積んだ
アガサ・クリスティだからこそ、
自分より若い女性たちに、伝えたいことがあったのではないかと…。
「ポケットにライ麦を」は終盤に進めば進むほど、
アガサ・クリスティが
「女性の皆さん、幸せになりなさいね。
うんと幸せになるのよ。
そのためには、危険を見極めなくてはダメ」
と言ってくれているような気がするのです。
この作品に登場する女性たちは
どんな境遇、どんな外見の人であっても、
よく読めば、敬意を持って丁寧に描かれている、と感じます。
嫌な見方が描かれていても、
その主語は登場人物のいずれかの男性であって、
アガサ・クリスティはどの女性たちに対しても、
温かい眼差しを向けている気がします。
感じが良いと繰り返し描かれているパットはもとより、
メアリ・ダブもジェニファーもエレインもメイドのエレンも、クランプ夫人も!!
そして、後妻業のような女であるアデルも、不器用で理解力の弱いグラディスも。
どの女性もアガサ・クリスティは、懸命に生きるひととして描いている、と感じました。
そして、圧巻の最後の手紙。
もしかしたら、アガサ・クリスティはあれと似た、切実な手紙をもらったことがあったのではないかしら…と思うのです。
そして、その書き手を何とか助けてあげたいと願ったことがあったのではないか、
そして、その思いをこの作品にしたのではないか、
そんな妄想すら湧いてきてしまう、
胸をつく手紙でした。
ああ、本当にアガサ・クリスティときたら!
ミステリとしての面白さだけでなく、
女性として生きることについてまで考えさせてくれます。
やっぱり、迷ったときは、アガサ・クリスティですね。
いいなと思ったら応援しよう!
