【たまに映画】当事者とそれ以外『流浪の月』
Amazon primeでずっとスルーしていた作品。その時の気分で見れるかどうかわからない骨太な作品だからだ。
■『流浪の月』作品情報&予告
解説
■騒ぐのはそれ以外。
映画のストーリーが重たいので見たいと思う時しか勇気が出ない作品と感じていた。たまたまホテルに宿泊しているときに予告を見て、気分だった。小説も未読なので予告情報だけで映画を観た。
その理由は李相日監督作品だったこと。
『フラガール』は大好きな作品ですが、それとは題材も作風も違う骨太な2作品がある。それは『悪人』と『怒り』。事件を中心に犯人と関係する人たちの物語が交錯していく。当事者と親近者の物語。
未見の人は『悪人』予告どうぞ。
こちらが『怒り』の予告です。
ほとんどの人が人生で犯人になることは少ない。殺人事件があっても自分が犯人になることはないだろう。テレビやネットで知るだけ。親近者になることも少ない。多くの人がそれ以外の人になる。
この作品の2人は「加害者」と「被害者」という関係性。それは「それ以外」の人から見た場合の関係性である。つまり世間から見た関係性でもある。「加害者」が感じていること抱いている想い、「被害者」が感じていること抱いている想いは、それ以外からみた「事象(事件)」とはずれていた。しかし、それは正しくないと「それ以外」からは判断される。
当事者にしかわからないことがある。
普通に生活している我々もそうだ。自分しか知らない誰にも言わない部分。誰かだけに伝える部分。オープンにする部分。きっと、たくさんあるだろう。人は多くの側面を持つ。場面によっても使い分ける。だから心は複雑で悩み苦しむ。
この作品で、「加害者」と「被害者」との関係が「事件」というバイアスだけで善悪として「それ以外」が判断して正しいのかがわからなくなる。この物語はレアケースだと思う(「それ以外」だからそう思うのかも)が、事件だけではなく物事をさまざまな角度や視点で観ていくことが、これからもとても重要であると感じる。