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【磐梯町】磐梯といえばこの男になりたい人

むかしむかし、福島の磐梯山のふもとにある村に、岳(がく)という名の若者がいました。岳は幼い頃から磐梯山を見上げて育ち、「いつか磐梯といえばこの男だと言われるようになりたい」と心に決めていました。
岳は毎日、磐梯山に登っては山の様子を観察し、麓の村人たちの暮らしを見守っていました。山の天候の変化を読み取る目を養い、動植物の知識を蓄え、そして何より、山と人々を愛する心を育てていきました。
ある日、突然の大雨で村が洪水の危険に晒されました。岳は即座に行動し、山で培った知識を活かして安全な避難路を示し、村人たちを高台へと導きました。
別の時には、山での遭難者を、誰よりも早く見つけ出して救助しました。岳の山の知識と機転が、命を救ったのです。
やがて、岳は「磐梯の守り人」として知られるようになりました。tourists が訪れれば、岳は磐梯の自然の美しさと大切さを語り、訪れる人々の心に磐梯への愛を植え付けました。
四季折々の磐梯の姿を描いた岳の絵は、多くの人々の心を魅了しました。また、磐梯の豊かな自然の恵みを活かした特産品を開発し、村の経済も潤していきました。
歳を重ねた岳は、若者たちに磐梯への愛と知識を伝え続けました。「磐梯は私たちの誇り。この山と共に生きることが、私たちの幸せなのだ」と。
やがて、人々は「磐梯といえば岳」と言うようになりました。しかし岳はそれを誇らしげに思うのではなく、「私は磐梯の一部に過ぎない」と、常に謙虚な姿勢を保ち続けました。
岳が旅立つ前、こんな言葉を残したそうです。「磐梯はみんなのもの。これからは、あなたたち一人一人が『磐梯といえばこの人』になるのだ」と。
そして「磐梯の心を持つ者が、真の磐梯の人」ということわざが、この地に広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年9月15日21時18分に書く無名人インタビュー882回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 秋山 玄徳 さんです!

年齢:20代前半
性別:男
職業:なんでも屋のお祭り男


現在:俺、何でもできるんでいつでも呼んでください。ぐらいの気持ちでできるとこが磐梯かなと思ってる。

ゆいぴ:
秋山さんは今、何をしてる人ですか?

秋山 玄徳:
一番難しい質問だな。どれから話そうかな。今は、磐梯町で観光系のポストになるような会社の起業の準備をしてます。何かっていうと、磐梯で足りてない人材、もうちょっと人がいたらなーっていうところに「俺できますよ」って手を挙げられるような会社。どんなことでも受けれるよ、みたいな会社があったら便利だろうなと思うし、欲しいなと思ったことも何回かあったからそれになればいいんじゃねっていう。自分を派遣する人材派遣会社みたいな。それプラス観光ガイドをやったりとか。英語を使ってちょっと仕事したりとか。あとは横浜の会社から業務委託をもらってて、その会社のイベントの手伝いに行ったりとか。こないだも白山っていう金沢の隣町にある山に登ってきて。ネイチャーガイドというか登山ガイドの仕事で行ったりして。結構いろんなところを行ったり来たりしてる感じです。

ゆいぴ:
起業をしようと思ったきっかけってありますか?

秋山 玄徳:
コロナの時に大学入ってすぐ辞めて、2年間役場の商工観光課にいて仕事してるときに観光って楽しい仕事だなーと思って。役場は続けてもよかったけど、自分でやった方がよくね?自分でやった方が自由度あるんじゃね?って思って。じゃあそういう系の会社を作ったらいいんじゃないかなと思ってるときに、ゲストハウスやってる友達とか自分で起業してる人が周りにいたから、いろいろ相談してたらやっぱり自分で会社立てた方がなんだかんだ良さそうだなと思って。それで会社を立てようっていう気になった。だからコロナ禍で大学辞めたのがきっかけって言っても過言じゃないです。

ゆいぴ:
起業の準備はどうですか?

秋山 玄徳:
もう屋号は決まってて。個人事業主からスタートだからそんなに資本金もいらないし。とりあえずあとは書類出すだけなんだけど、地銀の起業塾みたいなやつ出てから起業の届出した方がいろいろ融資受けたりできるんで、ちょっと今それ待ちで。それを受けるまで、起業の届けを出さないようにしてる。

ゆいぴ:
なんで磐梯町で起業しようと思ったんですか?

秋山 玄徳:
生まれも育ちも磐梯町っていうのもあるし、横の繋がりが多いから。だからこそ困ってることがあるのも目に見えてわかるし、俺だったら手伝ってあげられる、手伝いが必要だよなみたいな人もいるし。俺、何でもできるんでいつでも呼んでください。ぐらいの気持ちでできるとこが磐梯かなと思ってる。磐梯というか、磐梯山周辺の猪苗代や北塩原も含めた三町村での活動をメインにしていこうかなとは思ってます。

ゆいぴ:
観光事業っていっぱいあるけど、自分を派遣するスタイルに辿り着いたのはなんで?

秋山 玄徳:
いろんな人と話してて、あとは元々役場で働いてたときに、何やるにもちょっと人足りないよねっていうのがこのエリアの肝になってる問題の一つで。イベントをやりたいけどちょっと人足りないとか、ファシリテーターとかコンダクターがいない、みたいなのが観光で働いてて一番顕著に出てきてる。じゃあそこを穴埋められりゃいいんじゃないかなと思って、ここでそういう仕事をしようと思ってます。

ゆいぴ:
起業の準備をしてきて、今どんな気持ちですか?

秋山 玄徳:
最初はいろいろ面倒な書類作業とかあるんかなーとか思ってたんすけど、別に個人事業主だったらそこまで大変じゃないのもわかったし。周りにいろいろ起業した人がいるから教えてもらったりとか、商工会の人に聞いたりしてるから意外とやろうと思えばできるんだなっていうのがわかって。今後起業した後も他の人に教えられるんじゃないかなとか思いつつ、ですね。

ゆいぴ:
感情的に一番当てはまるのは何ですか?

秋山 玄徳:
早く届け出して本格的にやっていきたいから、楽しみだなっていうのが大きいです。

ゆいぴ:
その楽しみなことって何ですか?

秋山 玄徳:
なんだろうな。結局俺がやることは自分を価値にして売り出す仕事だから、逆に受け取る側がどのぐらいの価値を見いだしてくれるのかなっていうのは楽しみですね。いくら払えるのかっていうのが。もちろん観光ガイドだったら何人アテンドすればいくらってのはあるけど。じゃなくて他のイベントとか、そういう働きに対してどのぐらいもらえるかみたいなのを、自分で見えてない自分の価値を知れるのがちょっと楽しみですね。

ゆいぴ:
話せる範囲でいいんですけど、横浜の会社からの業務委託っていうのはどんなお仕事なんですか?

秋山 玄徳:
基本的にはイベント運営のお手伝いとか、新しいツアーの企画考えたりとか。拠点が横浜以外に白山市、さっき言った金沢の隣の白山っていうところに白峰っていうすごい山岳があって、そこにも拠点あったり。あと静岡県の焼津にポーターズっていう拠点、ワーキングスペースみたいな箱があって、そこでイベントをやりたいとかっていうときに。元々そこはホテル経営とかシステム開発の会社で、補助金とかをもらってイベントをどんどんやっていきたいけどノウハウがないし、プログラマーが多い会社でイベントコンダクターがいないから何かできない?っていうのを相談受けてて。じゃあ一緒にいろいろ作りましょうっていうので入ってるんで、基本的にはそういう仕事が多いですね。

ゆいぴ:
どうですか?そのお仕事やってみて。

秋山 玄徳:
やっぱり俺はイベントの運営側が向いてるんだなって。他の仕事しててもそうだけど、イベントに参加するよりも裏方やってたりとかイベント回す方が得意だなっていうのは自覚があって。だからやってて楽しいっすね。

ゆいぴ:
なんで運営が向いているって思うんですか?

秋山 玄徳:
ありきたりなことを言うんだったら、参加してる人たちが喜んで帰ってってくれるとか、来て良かったねっていう話をしてくれるとか。お前がやってんだ、頑張ってんじゃん!みたいな話するのとかが結構楽しくて。だから運営の方が向いてるのかなとは思ってます。

ゆいぴ:
ちなみにどんなイベントを運営したか聞いてもいいですか?

秋山 玄徳:
会社でじゃないけど、最近だったら磐梯町の納涼盆踊り。元々役場にいたときから役場の仕事としてやってたんすけど、役場辞めてもイベント実行委員会に名前残ってて、今回の祭りも運営で参加して。いろいろ大変だったんだけど最後までお客さんが結構来てくれて。町民の半分ぐらいいたのかな。みんな楽しかったって言ってて、やっぱりこういうイベントがないと、こういうイベントをやってくれる人がいないと困るよね、みたいな話をしてたから。直近だとそのイベントが印象に残ってる。その後だと、委託を受けている会社がサトヤマカイギっていうイベントをやってて。奉納祭っていう、山に登って山頂で日の出を見ながらオペラ歌手が君が代を歌う、みたいなちょっとぶっ飛んだイベントをやってて。それの運営もこないだやって。そういう参加者がいるお祭りみたいなイベントをやってるときが一番いいっすね。

ゆいぴ:
納涼盆踊りは何が大変でした?

秋山 玄徳:
大変だったのはー…やっぱ集客。前年度は参加できなかったんすけど、前年度の課題として、お祭り自体は早くやってるけどなかなか早い時間から人が来てくれないっていうのがあって。それどうしよっかってなったときに提案したのが、子供の花火の抽選会、それを早めにやったらいいんじゃない?みたいな。それで子供と大人は早いうちに集めちゃって、そっからオープニングやったら人がずっといてくれるんじゃないかって提案して。そしたら「じゃあよろしく」って言われて全部俺がやることになったんすけど(笑) でもやってみたら最初から500人ぐらい入ってて。なんか言った通りにできたなというか、うまくいったなっていうのがあって。それは大変だったけど、なんとかできるとこだったからやって良かったなとは思った。

ゆいぴ:
うまくいったなってときどんな気持ちになります?

秋山 玄徳:
子供がいっぱい集まって、抽選会をこっちが回してるときにみんなが楽しそうにしてるから俺も楽しくなるし。やっぱりこういうのが夏の風物詩というかイベントの醍醐味だなっていうのもあるし、そういうのを一番間近で、目の前で感じられるのが良かったなとは思ってます。

ゆいぴ:
ふうん。じゃあ仕事以外で普段やってることとか、趣味とか何かあります?

秋山 玄徳:
趣味は麻雀です。あとは登山とか。アウトドアもインドアもまんべんなくやるようにはしてて。結構スポーツも好きだし。麻雀は頭使うから楽しくて、もう何年やってるかわかんないぐらいやってますね。

ゆいぴ:
ハマり始めたきっかけは何ですか?

秋山 玄徳:
麻雀は元々じいちゃんがやってて、それをちっちゃい頃から見てて。楽しそうだなーと思ってたら、混ざるかって言われてやって。麻雀もプレイスタイルはいろいろあるけど、俺は点数を高く取ってく人だから他人より多く点数が取れた瞬間が一番楽しい。そういうのを目標に麻雀はずっとやってるから、それが楽しいっすね。

ゆいぴ:
登山は何がきっかけで始めたの?

秋山 玄徳:
登山は元々自然が好きで、虫捕りとか自然の花見たりとかそういうのが好きだったけど。役場で働いてたときに磐梯山ジオパーク協議会っていうところに半分出向みたいな感じで仕事をしてて。今まで自分でも登山してたけど、仕事で子供連れたりとか引率して山登ったりとか、点検に行ったりするみたいなのが増えて。山で仕事できる人って限られてるから。限られた人の中で俺だったらできるよな、やってる俺も楽しいからいいよな、とは思ってて。だから趣味にもなったし、仕事にもしてるって感じっすね。

ゆいぴ:
麻雀は屋内で頭を使うことで、登山は屋外で体を使うことですよね。

秋山 玄徳:
うん。

ゆいぴ:
それってなんで趣味として共存してるんですか?何か共通点あります?

秋山 玄徳:
俺はやること全部に対して対話が大事だと思ってて。麻雀も席に座りながら、みんなでゲームしながら4人で対話するし。登山も山登りっていうつらいことを一緒にしながら、そんな中だからこそいろいろ話ができるみたいなのが大事だと思ってて。だからどっちも人と会話するっていうのがターンの中にあるから、それが好きで趣味になったってのが大きいと思います。

ゆいぴ:
対話が大事だと思うのはなんで?

秋山 玄徳:
仕事でも仕事じゃなくても人と話すのが好きで。仕事関係なく町中ぐるぐるして、知り合いの家とか行って、お茶飲みながらいろんな話をしてる。最近どう?みたいな話するのが好きで。もうしょっちゅうそんなことをやってるんですけど。対話が大事だと思う理由は、細かく相手のことを知れるから。自分が知らない情報を話してくれるし、向こうも話したいからお茶飲みに来てって言ってくれたりするし。そういうので情報交換もできるし。それはやっぱり田舎の良いところでもあり…悪いところでもあるとは思うけど、俺は好きだからいいかなとは思ってますね。

ゆいぴ:
ちょっと質問を変えて。自分はどんな性格だと思いますか?

秋山 玄徳:
難しい質問だなー。性格というか決めてるスタンスがあって。人に期待しないこと、がメインのスタンスにあって。それは性格の一つだなと思ってる。人に期待しないことで自分も相手も疲れないし、気が楽でいれるからいいよなっていうのが大きく思ってること。それが性格かって言われたらちょっとあれだけど。あとは何に関しても適当でいいかなと思ってる。適当でいいって言い方が悪いけど、なんとかなるでしょっていう。なんとかなるし、なんとかするからっていうのが大きいと思う。俺はなんとかできるポテンシャルは自分にあると思ってて、なんとかするから任せて!っていうそのぐらいのフランクなやり取りが多い。軽く言うから「本当に大丈夫?」って言われるけど、なんとかするわーって。

ゆいぴ:
「なんとかなる」と「なんとかする」、どっちの思いが強いですか?

秋山 玄徳:
考えてるのは「なんとかなる」だけど、実際動いてるから「なんとかする」の方が強い。なんとかしてるからこそなんとかなってるっていう。イベントとかもイレギュラーがあったりするじゃないすか。雨降ったりとか、会場を別なとこに急遽変更しなきゃいけないとか。そういうのも「ちょっと行ってきますわ」って言ってなんとかしてくるのが自分の仕事だと思ってるし、自分に仕事を投げる人はそれができる人だと思って投げてるから。そういうのを疲れた顔を見せずにやるのが自分の良いところというか、性格かなとは思った。

過去:何もすることなくずっと家でプリズンブレイク見ながら、俺何やってんだろうなーって。

ゆいぴ:
子供の頃はどんな子供でしたか?

秋山 玄徳:
子供の頃ずっとバスケやってて。小学校中学校とバスケやってて。高校はさらっと友達とやるぐらいだったけど。活発に遊ぶのも好きだし、逆に友達とゲームするのも好きで。インドアもアウトドアも両方やってた。生まれも育ちも磐梯町だから自然と共に生きてるから、山に行ったり川に入ったり虫捕ったり。そんな感じ。磐梯町って坂の町だけど、みんな自転車に乗って外で活発に遊ぶから、俺もそれは好きだったし。でもみんなで集まってゲームするのも好きだったっていう。とにかく1人でいるよりも誰かと遊んでた方がいいかなっていう子供だったような気がします。

ゆいぴ:
自分が覚えてる一番古い記憶ってどこですか?

秋山 玄徳:
えー、どこだろうな。保育所の記憶とかはあるけど…たぶんそのぐらいかな。保育所で遊んだよなーみたいな。同級生って磐梯町はずっと変わらないから。どれだけ行ってもずっと同じ人しかいないから。ここ出るまではずっと一緒だから。あいつとこんな遊びしたなとか、保育所から一緒だったよな、ぐらいの記憶はあるような気がする。

ゆいぴ:
保育所から中学まで同級生がずっと一緒っていうのは当時どう思ってましたか?

秋山 玄徳:
俺はそれが普通だと思ってたから。狭いんだなっていう。高校に出たときに初めて同級生が200何十人いて、顔も知らないような人が同級生にいるっていうのを体験して。磐梯町って人いなかったんだって。たぶん俺の学年が、磐梯町で最後に2クラスあった学年だったような気がしてて。でも1クラス17人とか18人とか。でも高校入ったら40人いますみたいな。こんなに多いんだって。同じクラスでも話さない人いるってのがあまりなかったから。中学までは別にそれが変だとは思ってなかったし、こんなもんかなとか、ずっと同じメンツで頑張ってこうぜって感じだったけど。逆に高校入ってからのギャップが大きかったです。

ゆいぴ:
小学生のときに特別やってたこととか、印象的な思い出とかって何かありますか?

秋山 玄徳:
ずっとバスケやってたんでやっぱりバスケかな。基本バスケって週末に大会があるから、合宿行ったりどこかに泊まりで出かけて大会行ったりっていうのはほとんど毎週あったから。なんであのときあんなに疲れなかったんだろうと思うけど。平日の夕方はバスケ行って、土日は大会でバスケ行って。基本ミニバス、小学校のときはミニバスケットボールずっとやってたんで。今の登山とかに使う脚力もそっからきてるだろうし、なんとかする根性論もバスケからきてるような気がするし。バスケがやっぱり印象的かな。

ゆいぴ:
そもそもなんでバスケを始めたんですか?

秋山 玄徳:
バスケのコーチというか、うちの町でバスケを教えてる人が同級生のお父さんで。だから一緒にやろうぜってなってやってたんだと思う。なんで始めたのかっていう記憶があんまりないからあれだけども、ずっと小1からやってて。たぶんそんな理由かな。

ゆいぴ:
中学でもバスケ部?

秋山 玄徳:
中学でもバスケ部。

ゆいぴ:
中学のときはどんな中学生でした?

秋山 玄徳:
相当クソガキだったような気がする。どこにでもいるようながきんちょだったとは思う。けど英語の勉強が中学で盛んになって。うちの町は姉妹都市がカナダにあって。そこからALTが派遣されてきてて中学校の近くに住んでて。毎日学校来てるからそこで実践的な英語を話す機会があって、結構英会話好きだなとか楽しいなって思うようなことが多かったから。中学では基本バスケをやりながら、英語をメインで勉強してたような感じです。

ゆいぴ:
英語の楽しさって何ですか?

秋山 玄徳:
英語って難しいよねとか英語は嫌いって言う人が多いけど、実際英語って言語で、話すことがメインだから。別に難しい単語を覚えることが必要なわけじゃなくて、相手と会話できるようになろうっていうのがメインだから。聞き取る方が大事だし、話すのも手札の中から出せればいいから。ちょっと手札があればいいだけで、難しい単語100個知ってるから偉いとかじゃないってのがやっぱり英語の良いところ。いわゆる受験英語みたいなのはあんまり言葉として良い言葉じゃないなとは思ったりしてて。それはなんか日本の良くないとこかなとは思ってる。

ゆいぴ:
うんうん。中学卒業後、高校はどうでした?

秋山 玄徳:
高校は部活を掛け持ちしてて、コンピューター部やりながら科学部にいて。ちょっとバスケの助っ人に行ったりはしてたけど。メインは科学部、科学生物部っていうとこにいて。ちょうどそのときにいた先生が論文書いてるような、雑誌に名前が載るような先生で。なんとなく入った部活だったけど本気でやろうぜってなって。実際学会に出れたりするぐらいの研究をしてた。だから基本勉強より部活メインで、放課後みんなで部活しようぜみたいな雰囲気で高校はいたような気がします。

ゆいぴ:
科学部はなんで入部したんですか?

秋山 玄徳:
俺文系だったけど、同じクラスだったやつが文系で科学部に入ってて。することないんだったらうちの部に来たらっていうノリで入って。そういうのは嫌いじゃないし生物が好きだから。教えてる先生が生物関係の人だから入ろうかなって言って入って。気づいたらもうずっと部活やってる、論文書くために夜8時ぐらいまで学校に残ってやってたりとか、そんな感じでしたね。

ゆいぴ:
部活動で印象的な思い出あります?

秋山 玄徳:
福島の農芸学会に出るために福島市まで泊まりで行って、みんなで合宿みたいな感じで同じ部屋に泊まって夜中まで読み合わせの練習して、質問対策して、みたいなのがやっぱ楽しかったな。それがやっぱ部活の良いとこだと思ってるし、高校生だからできる無茶というか。それは楽しかった。

ゆいぴ:
高校卒業した後はどういう生活をしてました?

秋山 玄徳:
3月の頭に卒業式じゃないすか。大学が川越にあって、すぐ隣の鶴ヶ島っていうところに家も決めてて、もう3月の半ばには引っ越してて。そのタイミングが2020年でちょうど日本中がパンデミックになって、入学式もないまま大学に入って。名前だけ大学生だけど、家から一歩も出ずパソコン開いて。授業も、ちゃんと整備が整ってない状況だったから6月ぐらいまで始まらなかったのかな。何もすることなくずっと家でプリズンブレイク見ながら、俺何やってんだろうなーって。バイトも決まってたけど来るなって言われて。飲食店だったから。なんかこれ楽しいのかなっていう。大学生活ってこんなんなのかなっていう日々が3ヶ月か4ヶ月ぐらい続いたのかな。

夏休みのタイミングで一旦休学しようかなというか、この生活続けても面白くないかなーと思って休学して地元帰ってきて。一旦地元でちょっとバイトでもしようかなっていう感じで。実際、最初の数ヶ月だけ向こうにいて、あとは福島に戻ってきてて。オンライン始まったらもう埼玉に住んでる意味ないから。家は借りてたけど、福島に戻ってきて磐梯でバイトしながらオンライン授業を受けるみたいな。これってなんか大学生なのかな?みたいな生活をしてて。夏休みになったタイミングで休学して、後期はずっとラーメン屋でバイトしてました。

ゆいぴ:
へえ。

秋山 玄徳:
後期を受けずに年度が変わる時期まで行って、復学しようと思ったら、もう半年オンラインって言われて。元々2年生で留学させてくれる、アメリカに1年間留学させてくれるっていうプランがあって、それに行く前提で入ってた大学だったから。ちょっと今そういう状況じゃなくて…とか、せっかく入ってもらったんだけど…みたいに言われて。「じゃあ辞めるんで書類送ってください」ってそのまま電話口で言って。いいんですか?って言われたけど、もう目的違うんで辞めるんで書類送ってください、って電話口でそのまま辞めることを決めて。親にも高校にも相談せずに、勝手に辞めましたね。

その間に働いてたラーメン屋のバイトは一番良い人生経験になったかなとは思ってるんすけど。朝一からスープ作りの仕込みの手伝いとかして、個人経営のラーメン屋だから、これ食えあれ食えっていうのもあって。元々高校のときから通ってたラーメン屋で、コロナ禍で飲食店が本当に全部ダメになった時期に、俺このラーメン屋好きなんすよって言ったら「うちで働けば?」って言ってくれて雇ってくれたとこだったから。家族といろいろ話して、大学戻ろうかなーみたいな話とか相談してたけど、結局は大学には戻らなくてずっとそのラーメン屋でバイトし続けて。いろいろ教えてもらったとこはありました。

ゆいぴ:
何が一番の学びとして自分の中に残ってます?

秋山 玄徳:
一番残ってるのは、個人経営って大変だけど楽しいよっていうのが。個人だから何でもかんでも全部自分で決めるし、ラーメンの値段とか。会津で唯一豚骨ラーメンを作ってるお店だったけど、競合他社がいない代わりに、なんで会津で豚骨ラーメンやってるんだみたいなことを言われた時期もあったし、お店拡大するのも大変だったって言ってたけど。社長の考え方とか、どうやったらお客さんに喜んでもらえるかとか、ずっと毎日豚骨スープと向き合うみたいな話を聞いていると、やっぱこういう生き方がいいんだろうなっていう。だからすごい勉強になったなって思ってる。

ゆいぴ:
さっき言ってた留学できないなら大学辞める、の話は全部電話口で?

秋山 玄徳:
電話口。教育相談なんとか課みたいなところに休学するっていう段階で電話してて。休学中もちょこちょこ電話してて。復学したいんですけど、そのまま留学連れてってほしいんですけどって言ったら、今留学やってなくて…って衝撃の事実を言われて。復学もしないし留学もできないんだったら大学いる意味ないよねって俺の中で思っちゃって。「大学いる意味なくないっすか」ってそのまま大学の人に言って。いやそれはちょっとイエスとは言えないんだけど…みたいに言われたから、だって連れてってくれるって言ったじゃないですか!みたいな話をして。だってこういう時期だしって話をされて、じゃあ辞めるんでっていうのをその場で決めて。もういいんで、って。なんか大学に期待もしてなかったけど、それ以上にあんま大学に行っても意味ないなっていうのを思って、辞めることにしました。

ゆいぴ:
その場で辞めることを決めて、電話切った後の気持ちとか覚えてます?

秋山 玄徳:
全く後悔はしてなかったけど、大学終わんの早っ!とは思ったかな。

ゆいぴ:
そっかー。大学を辞めた後は?

秋山 玄徳:
その後、町長からこういう仕事あるんだけどって言われたのがジオパーク。ネイチャーガイドの団体に出向になるから、ある程度の専門職ではあるから、ちょっとした山登りの知識とか自然の仕事をするモチベーションがある人じゃないと雇えないんだけどとりあえず受けてみて、って言われてそのまま決まって入ったんで。そのまま役場に入ってます。

ゆいぴ:
役場のお仕事はどうでした?

秋山 玄徳:
役場の仕事はめっちゃ社会勉強になりました。書類の作り方から名刺の渡し方まで全部教えてもらって。他の人たちが大学でコロナ禍でオンラインが続いてるって言ってる中、俺はもうひたすら商工観光課でイベントをやりながら、コロナ禍でもできるイベントを模索しながら、ネイチャーガイドの磐梯山登ったりとかする仕事をしながら。ずーっとそれを続けてたからすごい勉強にはなった。

ゆいぴ:
役場にいたのはどのくらい?

秋山 玄徳:
役場には2年。時系列で言うと、大学には一応1年間在籍してて、その間にバイトしたりなんだりはしてたけど、1年生が終わるタイミングで大学を辞める。で、同級生が2年生3年生やってる間に役場で2年間働いてた。役場辞めた後に、カナダに留学することになって1年間行ってたって感じっすね。

ゆいぴ:
カナダ留学はどうでした?

秋山 玄徳:
実際いろいろ英語がないと生きていけない場所に行って、身についたのは英語がなくても生きていける手段っていう。たぶん今、アラビア語とか聞いたことない言語がしかない場所に連れてかれても生活できるぐらいのスキルは、自分でなんとかする力は手に入ったのかなとは思ってます。身につけた結果、俺が今徹底してる二つ、一つがさっき言った人に期待しないこと。もう一つはイエスマンでいること。誰の頼みも断らないこと。カナダにいたときに、ちょっと飲み行こうぜとかって言われて、いや今日仕事で疲れてるんだけどなーとか思うけど、イエスって言っとけば誰も嫌な顔しないし。もうとりあえずイエスって言っとけばいいじゃんっていう、世界共通で。それを学んだ結果、俺は今もずっとイエスマンを続けてる。明日東京来れる?じゃあ行くわ。みたいな生活を続けているせいで今スケジュールがぐちゃぐちゃになってるけど(笑) それでもその方が、俺が苦労すれば済む話だなっていうのはあって。俺がイエスって言い続ければ誰も不幸にならないし、その結果自分の仕事にも繋がるし。それがいいのかなとは思ってて、ずっとイエスマンを続けてる。

ゆいぴ:
人に期待しないこととイエスマンでいること、なんでその考えに辿り着いたの?

秋山 玄徳:
コロナ禍のときに同級生が首吊ったんすよ。いろいろ事情があって首吊ったのはわかるんだけど、その前の日にみんなで電話しようぜって言われて、俺は面倒くさかったから参加しなかったりとかいろいろあって。結果気づいたら、次の日首吊ったって連絡をその人の母親から聞いて。うわ、あのとき話しとけば良かったなーって。断らなきゃよかったって。どうしても来て欲しいんだ、ちょっと嫌な奴いるから話聞いてほしいみたいなのを断ってたのがあったから。だからそれは後悔したし、断ってたからこそ話が聞けなかったから。そういうことがないようにイエスって言おうって。人に期待しないっていうのも、自分は期待されるのはいいけど、人に期待するとちょっと期待通りにいかなかったときにその人のことを嫌いになりそうだから。別にいいんじゃねっていう、ずっと常に適当でいいんじゃないっていうのを続けてれば、誰も不幸にならないかなと思って。イエスマンでいることと人に期待しないことを徹底し続けています。

未来:磐梯といえばこの男、になりたいなと思ってて。

ゆいぴ:
この先の近い未来から遠い未来まで、最後に自分が死ぬってところまで考えて未来に対してどういうイメージを持っていますか?

秋山 玄徳:
磐梯町で議員やろうかなとは思ってます。もちろん起業をして、会社が落ち着いてとかはあるけど。カナダに行く前に磐梯町議員選があって、そのときに知り合いの議員のお手伝いしたりとか、選挙カーに乗ったりとか、書類作ったりとかしてて。なんか議員って結局人と対話する仕事だなっていう。町の人の声を聞いて、それを何とかするために議会に持っていく仕事だなっていうのは思ってて。だからその仕事だったら今の延長線でできるんじゃないかなと思ってて。30歳なのか35歳なのかはわかんないけど、そのぐらいで議員やれたらなとは思ってます。

ゆいぴ:
ふうん。

秋山 玄徳:
ただもう本当の目標としては、30歳で山奥の小屋に隠居して、鶏を飼って魚釣って生活したいなっていうのはあったけど、世間は許してくれないらしい。だからちょっとお金を稼ぎつつ、いろんなとこ行ったり、旅行が好きだから旅行したりとか、旅行先で仕事したりしながらっていう感じの未来を今思い浮かべてる。ゆくゆく町長になったら?みたいな話とかをされてて、元々うちのじいちゃんが40年議員やってる人で、お前のじいちゃんやったんだからお前もやれるだろうって言われて。町長からも町長やったらいいじゃんって言われて。みんな軽く言うなーとは思うけど。町を引っ張っていくっていうのは全然嫌なことじゃないし、むしろやりたいことだけど、俺が表に立ってやる必要があるのかな?とも思う。でもゆくゆくやってもいいかなって思ったりはします。

ゆいぴ:
やりたいこととか、チャレンジしてみたいことはありますか?

秋山 玄徳:
お金が無限にあるならいろんな国に行ってみたいですね。カナダに行ったときも、カナダは結構いろんな人種がいていろんな国の人がいたから。ご飯食べる仕草とかから丸々違う人たちがいて、そういうギャップを見るのが好きだから。行ったことない国に行ってみて、食べたことないものを食べに行くのはすごいいいなと思ってて。お金がもし無限にあるなら、世界中を旅したい。世界一周とは言わず、何周もしたいなとは思ったりします。

ゆいぴ:
今、行きたい国とかあるんですか?

秋山 玄徳:
エジプトとか行ってみたいです。

ゆいぴ:
なんで?

秋山 玄徳:
全く未知の世界だし、ピラミッドとか有名なところもあるし。あとはインドも行ってみたくて。勉強はそんなに好きじゃないけどインド仏教とか宗教の勉強が大好きで。なんでこういう考えの人たちがいたのかっていうのを知るのが好きだから、宗教の勉強が大好き。インド仏教って神様がいっぱいいて、結構派手な戦いして、っていうイメージがあるけど実際どうなんだろう?みたいなのを現地に見に行ってみたいなとは思ってます。

ゆいぴ:
じゃあやりたいことじゃなくて、ありたい姿ってありますか?こういう自分でいたいとか。

秋山 玄徳:
俺はずっとイエスマンであることは続けたいなと思ってて。人に期待しないことを続けるのは人としてどうなのかなとは思ってるし。俺は続けたいとは思ってるけど続けるべきかどうかはまた別な話。とにかくイエスマンでいることは続けようかなとは思ってる。その方が誰も不幸にならないと思ってるから、ずっとそれを続けてる方がいいかなって。

ゆいぴ:
さっき言ってた山小屋で鶏を飼いながらどうのこうのっていうのは?

秋山 玄徳:
あれは、秘密基地みたいなところで隠居生活をするのが夢であって。仙人みたいな生活をしたいなとはずっと思ってるし、その方が自分には向いてるんだろうなっていう、スローペースっていうか。世間の時間じゃない時間軸で生きてたいなとは思うけど、世間が許してくれないので。やろうと思えばたぶんできると思うし、別にネットもいらないような世界で生きてくのも不可能じゃないんだろうけど。それは現代社会にいる時間に関しては難しいんで。できることから続けようと思ったら結局田舎暮らしがいいのかなっていう。都会に住もうとは思ってない。現状はずっとこのまま磐梯に住み続けようかなと思ってます。

ゆいぴ:
今はイベント運営とか、どっちかっていうとバリバリ現場を回すみたいなアクティブなことをやってるけど、最終的にはスローライフみたいなものを求めてるのはなんでですか?

秋山 玄徳:
生活の拠点をそこに持っていきたいだけで、仕事したくないわけじゃないんだけど。そういうのに憧れがあるし今も田舎に住んでるけど、それ以上の仙人みたいな生活をしたい。元々ぼくのなつやすみっていうゲームが好きで、ああいう生活に憧れるなって思ってる。虫捕りとかしながらゆっくり田舎の暮らしをするっていうのがいいなとは思ってて。それに一番近いのが山奥に隠居するっていう。ただそれはもう全てを捨て去っていかなきゃいけないから、そこまでするつもりはないけど目標としてて。月の半分ぐらいそういう生活ができたらいいかなと。

ゆいぴ:
なるほど。もしもの質問で、大学入った後にコロナ禍になってしまって休学して辞めてっていう人生を送ってきてるけど、もしそれがなかったとしたら。完全にコロナ禍というものが存在しない世界だったら、どういう人生を送ってると思いますか?

秋山 玄徳:
それは結構考えたことがあって。コロナがなかったら普通に大学に行ってて、普通にアメリカに1年留学して帰ってきて、そのまま大学に残り2年いて、卒業して外資系かどっかに就職してるんじゃないかなとは思ったし。もちろん磐梯町に帰って来るっていう発想もなかったわけじゃないだろうけど、どっちかっていうと東京とかで働いてたんじゃないかな。

ゆいぴ:
秋山さんにとって磐梯町ってどんな存在ですか?

秋山 玄徳:
何かあったときにとりあえず帰ってこれる場所ですよね。本当の意味でホームタウンだし故郷であることには変わりないけど。それこそコロナ禍で埼玉に住んでてもどうしようもなくなって。あんまり田舎に行くのは避けてくれって言われたけど、でも帰ってくるべき場所だから俺は帰ってきてたし。外には出れないけど、結局実家に、地元に帰ってくるのが一番いいなとは思ってるし。なんだかんだ出張で1週間とか家空けることがしょっちゅうあるけど、出張続きがあっても一旦帰ってくることが大事かなと思ってて。そういう場所ではあるかなとは思います。一旦気持ちをリセットするために磐梯町に帰ってくるのが大事かなとは思ってます。

ゆいぴ:
逆に磐梯町にとってどんな存在でありたい?

秋山 玄徳:
最近言ってるのは、磐梯といえばこの男、になりたいなと思ってて。磐梯で何かしようとか、磐梯で足りないものがあるってときに、秋山くん呼んだらいいんじゃない?みたいな。玄徳くんに頼もうぜ、みたいに言われるような存在になりたいなとは思ってるんで。そのための会社、今作ってる会社も何でも屋みたいな会社だし、そういう存在になれたらなと。

ゆいぴ:
へえ。何かそう思うきっかけがあったの?

秋山 玄徳:
元々生まれも育ちも磐梯で。大寺三区の秋山って言ったら大体の人に伝わる人間であるからこそ、どこで何してても大体みんな見てるから。変なことはできないけど逆にそれを逆手にとって、秋山くんだったらいいんじゃない?秋山くんに頼めばなんとかなるんじゃない?みたいなところを追求していった結果そうなるのかなっていう。それが磐梯といえばこの男。何か楽しいことをやるときに、じゃあ玄徳くん呼んで一緒にやろう、みたいになったらいいなとは思ってる。ずっとその思いがあるからこそ磐梯にもずっといるし、いろんなことを磐梯で新しくやっていきたいなとは思ってるとこですね。

ゆいぴ:
名前も顔も知られてて悪いことできないじゃないけど、割と個人を特定されやすいこの環境はどう思います?

秋山 玄徳:
俺としては別に何も嫌じゃないし、むしろ昔からそうだったから。もうじいちゃんが40年議員やってて。役場で町の人たちと仕事するときも、役場の若いのが来たっていうとちょっと印象が、あの若いのがーっていう雰囲気のおじいちゃんおばあちゃんいるけど。大寺三区の秋山の孫で、って言うと「おお、お世話になったよ」「何、どうしたの?」ってなってくれるから存分にそのチケットを使ってるんだけど。だから名前を売っていくのも別に嫌じゃないし、だったら手伝ってあげるよみたいなこと言ってくれる人もいるからそれは田舎の良いとこだなとは思う。思うけどそれが嫌で田舎から出てく人もいなくはないから、良し悪しだなとは思うけど。俺はそれがすごい田舎の良いとこだと、温かいとこだと思ってます。逆に俺が選挙に出るなら、その人たちがみんないなくなる前に出ないと票が入らないんじゃないかなとは思ってる(笑)

ゆいぴ:
最後に言い残したことを聞いてるんですけど。人生を振り返った上での遺言みたいになってもいいし、インタビューの感想でもいいし、読者に伝えたいことでもいいし、何かありますか?

秋山 玄徳:
難しいけど、俺の生き方を真似してくれたらだいぶ楽に生きれるよとは思います。全部に対してどうでもいいっていうスタンスをとっていれば悩むことが少ないから。結構みんなにそう言ってて、仕事で悩んでるみたいな相談たまに受けるけど、いやもうそんなんどうでもよくない?っていう、テキトーにいけばいいじゃんって。けどみんなどうしてもそのマインドになれない、のが普通だし。そこまで全部に対して投げやりというか、投げやりでもないんだけど自分の中では。全部に対してふわっと生きれる人ってあんまりいないみたいだけど、俺はそのような生き方を推奨してて。そうやって生きてた方が、それこそもう首吊る必要もないよとは思ってます。伝えたいことはそこで。

あとはイエスマンでいこうぜっていうのは、俺はずっと思ってるけど、それもなかなか難しい。それができるんだったらやってるよって人がほとんどだと思うから、やっぱそれは難しいんだろうけど。そういう生き方をしてったら、楽に生きれるというか、心に負担を持たずに生きれるなとは思った。あとは結婚できればいいかなとは思ってるけど。

ゆいぴ:
結婚したい、が最後の言葉でいいの?

秋山 玄徳:
いいよ。

ゆいぴ:
はい、ありがとうございます。

あとがき

何かを代表することは誰よりも重いものを背負うということ。重いものを背負うためには筋力が不可欠ですよね。ここでいう筋力は、前に進み続ける力と何かを想う心だと思っています。なんとかなるしなんとかする。ポジティブ思考でもあるけど実は利他的だったりもしますね。ただ自己肯定感が高いだけじゃなくて、自分以外を深く愛せるってことなんだろうな。
そういう人は気づかないうちに周りからも想われてるし、言うまでもなく必要とされてたりするんですよ。私も必要とされたい!なんておこがましいことは思わないけど、仮にそうじゃないのなら静かに身を引きたいな〜とか思う今日この頃。でも、ホントはね、私はここが好きだし、ここの人も気に入ったから、しばらくずっとここに居たいと思ってるんだ。

【インタビュー・編集・あとがき:ゆいぴ】

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