記録して、振り返って、そのときの自分に気付かされるのを繰り返して、いい選択ができるようになったらいいなって思う人
記録は大事だよ、ってね。何度も何度も思ってる。思ってます。
日記を書き始めたのは小学校高学年のときだったんだけど、たぶん6年生かな。小説を書き始めていたから、その練習もあって日々のことを記録しなきゃな、って思ってたと思う。
いろんなこと書いたな。その日あったこと、考えたこと。この日は、うん、よいのが書けたな、とか思ったりして。そのころ、日々繰り返し繰り返し自分のことを考えて、振り返って、また考えて、というのがあったからこそ、今があると思う。今の自分が作られたと思う。
というか、記録してそれを読み返すこと、あるいは読書しながらその本の中身と脳内独り言で会話すること、くらいしか、自分というものを作る方法は、なかなかないんじゃないだろうか? そういうさ、考える時間がないと、人ってその場その場の反応でしか動けなくなるから。じっくり、立ち止まって、考える時間というのは、必要なんだぜ。
ともあれ、小学校6年生から書き始めた日記は、大学生になってから止まる。大学ノート10冊分くらいの分量の日記は、実は20代のころに捨てた。もういらないな、と思って。
私はもうそのころには、インターネットにえんえんと文章を書くようにもなっていたし、なんというか、そのうち、見返せなくなってきたんだよね。膨大になりすぎてしまって。
だから、これは、もう、自分はそのころとはもう今は違うんだなと思って。で、生き方を変えたんだ。
まあいろいろよね。
と思う2024年5月29日9時56分に書く無名人インタビュー788回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは 西本紫乃 さんです!
年齢:20代前半
性別:女
職業:明治20年創業料亭の後継ぎ
instagram:https://www.instagram.com/shino.n.too/
現在:休んでねってめっちゃ言われるんですよ。頑張りすぎだから、とも言われる。想像以上に自分に厳しいというか。
qbc:
今何をしてる人でしょうか?
西本紫乃:
今は、福井県の越前という場所で、創業138年になる料亭の事業承継を行っています。
qbc:
継ぐとすると何代目になるんですか?
西本紫乃:
私で六代目になりますね。父親の家系がずっと続いていて。初代が、明治20年に元々魚屋をやってたところを、その業態を変えて料理屋にしたところから始まって。もう五代六代と続いてるようなお店になってます。
qbc:
ちなみに、なんで業態を変えたかっていうのは、伝え聞いてあるんですか?
西本紫乃:
なんで業態を変えたかは、伝えられてないですね。きっと、地元に根付いた商売をやってきた家だと思っていて、その魚屋の横でちょっと料理もしていて、その流れで多分料理屋をメインにやっていく方がいいんじゃないか、って初代が思ったのかなって想像はしてます。立地的にもそういうのを感じるので。
qbc:
あ、初代のタイミングで変わってるんですか?
西本紫乃:
初代が料亭を始めて138年続いているので、その前から商売自体はあったんだと思います。その前は魚屋として続いてたので、もういつから始まってたのかは分からないっていう。
qbc:
じゃあ初代ってお話しされてたのは、料亭の初代ということですか?
西本紫乃:
はい、料亭の初代ということです。
qbc:
じゃあ一番古くまでさかのぼって、いつってわかってるんですか?
西本紫乃:
分かってないんですよね。魚屋が何年、何代続いていたのかまでは。多分江戸時代とかで記録が無くて遡れなくて。なので、明治20年から創業したってところから分かっています。
qbc:
明治何年には何してたかとかまで、わかってることあるんですか?
西本紫乃:
いや、私は聞かされてないです。
qbc:
へー、じゃあきっと商売の系統ってことですね。
西本紫乃:
そうですね。
qbc:
じゃあ、事業承継のために、具体的には何をされてる状態ですか?
西本紫乃:
今現在やってることは、めっちゃ簡単に言うと接客と経営ですね。五代目女将の下、女将修行と言いますか、接客を学んでいるっていう。
あとは、経営の引き継ぎをやってるんですけど。経営の方は、分かりやすいところだとお店の人が足りないところに適切な人を入れたり、お客様に来ていただくためにはどんな情報発信をすると良いか考えたり、ありとあらゆることを考えて打ち手を立ててやってるみたいな。
qbc:
今どんな気持ちで働いてます?
西本紫乃:
うーん…一言でまとめると…いや、まとめられないな。この引き継いできた伝統というか、私や今働いてる人たちが生まれる前からずっと続いてきたものを、自分が背負っているんだみたいな。なんだろう、プレッシャーじゃないんですけど、責任感というか使命感みたいなものを持ちながら。
でも、それ(誰かによる圧)によって動かされてるというよりかは、自分の目の前を見て、今いらっしゃるお客様と将来のお客様に、どうしたらもっとより良い空間や時間を提供できるかなっていうのを考えながら、日々仕事してるっていう感じなので。ちょっとどういう気持ちかどうか、に答えられているか分からないですけど、先代からのプレッシャーと、自分から湧き出る責任・使命感みたいなものの狭間で働いてるみたいな感じですかね。
目の前のことも考えるし、遠くのことも考えるし、過去のことも考えるしって、結構いろんな風に頭と心が動くような感じです。
qbc:
感情、喜怒哀楽みたいなもっとそのシンプルな感情って、どんなことを感じてるんですか?
西本紫乃:
最近は、怒りを感じることが多いんですよ (笑) あんまり人にぶつけたりとかはないんですけど。なんだろう、自分が仕事をする上で当たり前だと思ってることが、一緒に働いてるのは親と子でもあるし、世代も違うし。という感じなので、自分も相手も、自分の思った通りにスムーズに進むわけではないというか。
でも、一瞬単位では怒りみたいな感情が湧くんですけど、もっと長い視点で捉えると、こうやって怒りを覚えたり、疑問を持てたりすることは良いなと思ってて。怒り以外にもお客様からの感想に対して純粋に嬉しくなるとか。なんかそういう、日々いろんな感情の波が来ていて大変だけど、こういう状態にあるということは、すごく嬉しいことだなって思ってます。
qbc:
具体的な怒りエピソードってどんな感じですか?
西本紫乃:
1人お局的存在みたいな、昔からずっとここで働いてる70代の女性がいるんですけど。その人はもともと接客をしていて、もう引退したんですね。表に立つところからは離れたんですけど、自分の持ち場というか、裏の仕事から手を離さないというか。何か自分に関わって権力を持ち続けたいみたいな、すごくにじみ出るような行動があるので。それに対して湧くことがありますね。
個人的には、会社なり事業なりが長く続いていくためには、誰かが力を持ち続けるのではなくて、若い世代に、次のそれを担う人に教えていって、全体としてできることが増えていくようにしたい気持ちがあって。
自分が権力を持っていたい!に対して、その気持ちだけで淡々と仕事してるんだったらまだいいんですけど、自分の嫌いなタイプの人にはきつく当たるという、半分いじめみたいなのが起きることもあって。あんまり自分は感情に任せてバーンってぶつけるようにものを言うタイプではないので、心の中で怒りが湧いて、その人に対してどういうふうに接すると、これが治るんだろうみたいなのをひたすら思っていますね。
その人自身というよりも、周りへの言動とか行動に対して、怒りが湧くみたいな感じですね。具体的に話せたか分かんないんですけど。
qbc:
なるほど。今の事業承継の前って何されてたんですか?
西本紫乃:
京都で大学生してました。大学時代は経営学、組織論などを学んでいて。最初は机に向かって理論的に頭に入れていたんですけど、それだけだと自分の実践的な力は身に付かないなと思って、色々な企業に長期インターン的な形で行かせてもらって。事業の内容やフェーズ、所属する人の年齢・性別・価値観もバラバラの組織に同時に入って、何が自分に合うんだろうとか考えつつ、事業に貢献する仕事をできるところからさせてもらってました。
qbc:
なるほど。何か趣味とかそういうのはどんな感じですか?
西本紫乃:
趣味…今は日本酒と将棋です (笑) 。
qbc:
日本酒と将棋?いつ頃から?
qbc:
日本酒は2年前からで、将棋は最近。半年前ぐらいですね。
日本酒に関しては、20歳のタイミングで京都にいたので、日本酒をメインに扱っている料理屋さんでアルバイトを始めて。そこで叩きこまれたというか、周りはプロのシェフやソムリエという中で、私は素人で日本酒を自分の言葉で伝えられるようにする、っていう環境で。いろいろ試しに飲ませてもらって覚えて、もうアルバイトはやめたんですけど、シンプルに飲むのも楽しいし、そういう知識を入れることで新しい発見があるのも楽しいなって感じです。
qbc:
将棋は何で?
西本紫乃:
将棋は完全にたまたまなんですけど。寄合に行ったら将棋をやっている人がいて、その人がめっちゃ教えたいみたいな、めっちゃ教えてあげるよって感じになって、私と友達と2人で弟子入りするみたいな。そこからLINEのグループができて、調子はどうですか?って言われて、今の対局とか送り合って、ここ良かったよね、みたいな話をしたりで続いていて。将棋好きの知り合いに動かされたって感じ。
qbc:
どこら辺が面白いですか?
西本紫乃:
面白い…難しいんですよ。難しいから、あらゆることを考えられるというか。この面白さを、まだ半年の人が伝えるのはむずかしいですね。
日本の将棋のルール、取った駒を使えるっていうのが、より面白さを増してるなって思ってて。自分の知らない戦術が来た時に、こういう手もあったのか!って、また研究して、また対局して、人が指しているのを見て、また自分がやって、、が面白いという。そういうのを考えるのが楽しい。うん、考えることがたくさんあって面白い、だと思います。
qbc:
性格は周りの人から何て言われます?
西本紫乃:
性格で一番言われるのは、真面目、ですかね。でも意外と抜けてるっても言われる。性格なのかな、これは。
あとはストイック、とかも言われたりします。自分ではズボラで怠惰だと思ってるんですけど。でもよく見られるのは、そんな感じですね。
qbc:
じゃあそのズボラ、怠惰以外で、自分で思う性格ってあります?
西本紫乃:
うーん。あんまり性格を答えたことがないんですけど、人の話をよく聞く、怒らず話し合いで解決する、ゆっくり、ちゃんと考えて判断する、ある意味合理的に考える、は自分で思ってます。
qbc:
いつ頃からそうでした?
西本紫乃:
自分で自分のことを見るようになったのは高校時代かなーと思ってて。高校時代はチアダンスをやってたんですけど、チアダンスは団体の競技で、チームで踊るけどみんなセンター争いをしてる、みたいな。分かりやすく言うとグループアイドルの世界みたいな。そういう意味では個人戦でもあり、という世界にいて。
その中でも、ダンスが上手い!センス抜群!みたいなタイプではなかったので、地道にストレッチとか筋トレをコツコツやっていかないと、結果が出ないというか、自分のなりたい状態までいかないというのを自覚していたので。それこそストイック・真面目・ちゃんと考えて動く、をやらないと駄目だなって、自分の中でそう思い込むようにしていた。
で、そこからずっとそれが続いてる。高校時代にその性格がよく現れた気がしてます。
qbc:
身近な人、家族パートナー親友とか、そういう距離の近い人から言われる一面みたいなのあります?
西本紫乃:
うーん、あんまり変わらないかも。休んでねってめっちゃ言われるんですよ。頑張りすぎだから、とも言われる。想像以上に自分に厳しいというか、自分で自分を追い込んじゃう人だって近くで見てると思われることが多いのかなって思う。きっと、もっと休んでいいんだよって思われてると思います。
自分で休めないことがあるので、周りの親しい人にそう言われて「あ、結構やりすぎなんだ、疲れてるんだ」というのに気づかされて、休憩する、みたいなことが多いですね。
qbc:
なるほど。好きな食べ物ってなんですか?
西本紫乃:
ええ、いっぱいありすぎてどうしよう。餃子です。唐突な餃子 (笑)
餃子、色んな食材入れて楽しめるので好きです。
qbc:
ちなみに、お店の名物料理は何ですか?
西本紫乃:
お店は基本コースなのでこれが名物料理だ、というのはないんですけど、私が好きなのはだし巻き玉子ですね。完全に主観だけど、うちのだし巻きが、一番美味しいって思ってます。
qbc:
日本酒に合わせる?
西本紫乃:
日本酒にも合います。し、母親、今の5代目の女将がソムリエなので、ワインとも合わせられるように、味を5代目で少し変化させてるんです。結構個人的には好みの味だし、ワインなどのお酒が好きな方にも、結構好評で。
qbc:
ワインは白と合わせるんですよね?
西本紫乃:
そうですね。赤でも、お好みで。
過去:事業も自分も、どう転ぼうが、うまく行こうが行くまいが、ひたすらそこに向けて、自分はできる限りのことをやるだろうなって思った。どう転んでもいいって思えた。
qbc:
子どもの頃はどんな感じでしたか?
西本紫乃:
子どもの頃は、結構外で遊ぶことが多かったですね。でもずっと泥団子を作ったりとか。なんか地味な (笑) 。虫と遊んでる、みたいな。でも、はしゃぐ時はめっちゃはしゃいでました。
幼稚園のときに仲良かった子が、めっちゃ本読む子だったんですけど、本読んでる子を引きずり出して、外行くよ!って言って。でも思い切り体を動かすかと思ったら、その子も一緒に楽しんで遊べるような、ゆっくりとした遊びをするみたいな感じでした。
qbc:
虫と遊ぶってどんな遊びなんですか?
西本紫乃:
虫は、ダンゴムシ丸めたり、毛虫とかに道を作ってあげたり、アリの行列を止めたり。生き物が動いてるのを観察したり飛んでたら追っかけたり。そういうことしてた記憶が大部分を占めてる。で、よく刺されて、怪我もしました。
qbc:
なんか生まれ育ったところの風景ってどんな感じですかね?
西本紫乃:
近くに川があって、山があって、あまり高い建物はなくて。夏は湿気が多くて暑いし、冬は雪で真っ白。人は駅の近くだから少なくはなくて、隣の家の人とか町内のおじいちゃんおばあちゃん、ほぼ顔見知り。名前呼んで挨拶するような。そういう自然と人に囲まれていた。風景というか、そんな感じです。
qbc:
小学校の頃はどんな感じ?
西本紫乃:
まず、小学校の同級生は30人くらいで1クラスしかなくて。6年間同じクラスメイトだった。
自分の小学校時代は、勉強でも運動でも全部なんですけど、超負けず嫌いで。算数の小テスト絶対一番最初に提出しに行きたい!みたいな感じで、勝手に自分の中で競ってましたね。友達で、塾に通っていて勉強できる子がいたり、クラブ活動でスポーツやってて足速い子がいたりしたんですけど、私は塾もクラブも行かずの子だったので、でも負けたくない。みたいな。周りの子と比べて、自分はあんまりやってないけど負けてない!って思ってました。めっちゃ子供だった。
あと、習い事でクラシックバレエとピアノをやってました。その習い事に行くのに学校から早く帰らないといけなくて。でも家がその小学校の区域の中で、一番端っこだったんですよ。遠いけど、絶対徒歩で帰らないといけなかったんで、重い荷物持ってひたすら走って帰っていたら、走るのが速くなって。で、意外とスポーツも、運動神経も良くなるっていうことが起きてました。
qbc:
中学校は?
西本紫乃:
中学校は、友達関係でいざこざが多かったですね。当時お付き合いしてた人がいて、その人の元カノとその仲間3人くらいに呼び出されて、ちょっと暗い高架下みたいなところで、私はまだ未練あるのに何で付き合ったんだとかLINE見せろとか言われ、女子のネチネチした会話を聞く、みたいな。先輩後輩関係も、どこが仲良いとか監視し合って。だいぶ面倒くさいなと思いながら過ごしてましたけど、そういう人間関係みたいなのが複雑になったのが中学生時代だなって思いますね。
中学高校どっちも、男の子が先頭に立つことが多くて。それこそ文化祭・体育祭の集団のトップ、生徒会長とか。いつも男の子だから。先輩方もそうしてきたから。って理由で自分たちもそうするだろうみたいな空気が周りのみんなの中にあって、そこにずっと小さく違和感を感じてた気がします。だからと言って何もしなかったですけど。仲の良い友達とは、必ずしも男子がやらなくても、思いがあったり、こういうふうにしていきたいって考えてたりする人だったらやってもいいのにねって言ってた。結構、”その役は男の子がやるものだよね”みたいなのが根深く、強くあったので、そこに意見のある友達と喋ったりしてました。
qbc:
高校時代は?
西本紫乃:
高校時代は、ひたすら部活と勉強でした。商業高校に通っていて、大学受験のために勉強!というよりも、卒業して就職、商業系の大学の学部に指定校で進む、って雰囲気で、あまり一般入試の対策とかはせず実践に近い勉強。ただ、自分の学科が国際系で、留学が含まれていたので、そのための英語の勉強は毎日毎日やってました。プラスして、部活がかなり強豪の部活だったので、毎日、朝練、昼練、放課後、家でも練習、をひたすら繰り返していて、あっと言う間に3年間が過ぎました。
qbc:
留学はされたんですか?
西本紫乃:
留学は、1ヶ月くらいしました。高2の夏休みの間に。それは学科のカリキュラムに含まれているもので、クラスのみんなで行ってそれぞれホストファミリーと生活をして。学校では私たちと向こうの生徒でペアになってその子の授業を一緒に受けるっていう感じでした。
qbc:
どちらに行かれたんですか?
西本紫乃:
オーストラリアに行きました。ただ、自分としてはそんなに、すごく有意義な留学にできなかったなという、後悔みたいなものがあって。しっかりと目的を持たずに行ったというか、カリキュラムに含まれているから行く、くらいの気持ち。そこにもう1つ2つ、何か自分がここに行って何をしたいのか、それこそ友達作る!でも良かったんですけど、目的を持ってたらもっと楽しくなったのかなって思いますね。直前バタついていて意識しきれないまま行ってしまったので、取れる情報とか、キャッチできることが少なかったのかなみたいな。もちろん得たことはあるけど、ちょっと後悔のある留学だったっていう感じです。
qbc:
大学はどんな感じ?
西本紫乃:
大学は、入学のタイミングでコロナの影響を受けて授業も活動も少なくて。で、さっき話した高校の部活で、最後2月にアメリカの世界大会に出て優勝していて。日本に戻ったら周りの環境が変わって、でもエネルギーはそのままの量だから余っていて。すっごく濃密な高校3年間からの、大学生活、目標もやることもない。みたいな。落差が激しかった。
まぁ最初の半年間は引きこもってたけど、ちょっとずつ大学生らしく、新しい友達とか、活動的な先輩方とかと出会って、自分も目指したいと思える目標が少しずつ見つかって。ただ周りに学生が集まる団体の活動、というか情報が全然なかったので、たまたま見つけた企業のインターンシップに参加して、それが楽しくて、他の企業にも行ってみようってなりました。
結局5つか6つくらい環境を変えたのかな、それと合わせていろんな地域に足を運んだ気がしていて。福井県から京都の大学に出てきて、大阪の会社で働いてみて、地方にいた時はちょっと憧れもあった東京に拠点を置く人や組織に触れてみて。毎回新しい、こういう価値観があるんだ!ってなってた。
その後また、福島県の太平洋側、浜通りと呼ばれてる地域に縁があって、自分の出身とは違う地方を見る、をして、いろんな地域、深く関わったのはその4つの地域ですけど、いろんな地域を比較して、自分に合うかどうかもそうですし、これから自分の関わっていきたい人だったり環境だったりはどこにあるのかなっていうのを考えて、場所も考えも仕組みもいろいろ見ながら過ごした大学生活って感じです。
qbc:
ちなみに、ご両親からどのように育てられたと思ってます?
西本紫乃:
両親は、自分の好きなことをやれっていう考え方で。他人に迷惑をかけなければ、何でもやれみたいな感じで、基本的には放置されていた。でも学校以外に国内/海外に旅行で連れ出してくれて好きなことのヒントをくれたり。スマホ欲しいと言ったらなぜ必要なのかプレゼンして、と言われたり。自分の好きなように、ただ、わがままじゃなくてちゃんと自分で決めて自分で責任を取るみたいなのを、教わったというか。そこまで考えていたのかは分からないけど、少なくとも私は何かに気づいて欲しいんだろうな、直接的ではないけど分かるように接してるんじゃないかなって思うことが多くて。料亭を継ぐっていうこの決断も、どちらでもいいって言われてた。親の本心は、継いでくれた方が嬉しい気持ちはあったと思うけど、外で色んな経験をして、そこで自分が向き合いたい環境だったり課題だったり、一緒にいたい人だったり、そういう場所が見つかったら、それはもうあなたの背中を押すっていう考えで接してくれてた。きっと自分で決めて動くことを大事にするように伝えられていた気がします。
qbc:
人生の転換点って、どこにあると思います?いくつあってもいいんですけど。
西本紫乃:
中学3年と、高校3年と、大学3年。全部3年(笑) その3つかなと思ってて。
中学3年の転換点は、担任の先生との出会いですね。理科の先生で、一発目の授業で、「僕は授業しません」と言われて、は?ってなって。本当に1回も授業はしなくて「理科室の実験道具とか、教員用の資料とか、教科書も問題集も回答も過去問も、パソコンも先生も全部使っていいから、みんなで理解できるようになって」って。単元、大体3回授業ごとに小テストがあって、そのときに全員が80点以上取れるようになっていればいい。質問が出てきたら先生に質問をして、その場合は教えるっていう。どこがわからないか理解して、それを聞いてくれたら教えるよっていうスタンスの先生。私は理科結構得意だったので、教科書見たらある程度理解できる感じだったし、3時間あったら1時間は自分の理解に使って、他の友達のもう全然わかんない意味不明!っていう子に対して、あとの2時間使ってひたすら教えに回る、みたいな。めっちゃ楽しかった。授業スタイル普通じゃないから、見た感じ、他の先生からあんまりよくは思われてなかったと思うんですけど、最終的に、自分のクラスの理科のテスト結果は、4クラス中、1番点数高かったんです。自由にやらせてくれてるこのスタイルが好きだったから、やめろって他の先生に言われないように自分たちも頑張ろうって思ってましたけど (笑) そういう、授業全体から覆してくるような先生と出会った。なんか1個ネジ飛ばしてくれた感じが、殻を破ってくれた感じがしたんです。
高校3年は、断然部活が大きいですね、3年間本気で頑張って世界大会で優勝するっていう経験が大きく変えた気がする。チアダンスは集団で踊るのでチームの戦いだけど、目の前に対戦相手がいる競技ではないので、自分たちの世界を作り上げるしかなくて。勝った負けたが目の前の審査員の評価によるので、もうひたすら自分たちの演技を極めていくしかない。なので、自分たちがした努力が結果に結びつかないこともある。これがいいと思ってこう揃え方、表現の仕方をしたけど、それが審査員に刺さらなかった、とか。頑張る方向はどこなのか?私たちってどんなチームなのか?みたいなところから考えることをして。
最終的にアメリカでは、日本の選手はアウェーな状況で、でも自分たちらしく踊れて、優勝という結果もいただいて帰ってきた。っていう経験。そこにたどり着くまでの過程も含めて、自分は、努力が必ず報われるとは思ってないけど、報われることもあるっていうことを感じて。何か本気でやってみる、本気でやるって楽しいんだなとか。一つに集中してやってみるって、仲間と一緒にやるって、面白いんだなっていうのに気づけた。
それに気づいた時、結果として現れた時、それと同時に自分の目指すものがなくなったんです。たぶん転換点はそこで。ちょっと自分とチームを振り返って、夢見てたみたいな感じになって。ここから何したらいいんだろうっていう無に近い状態になった、そこが大きな転換点だったなって思います。
大学3年は、料亭の事業承継をすると決めたタイミング。同時に、新卒で企業に就職をしないと決めた。正直最初は固まってなかったけど、話せる人たちから話してだんだんと覚悟できてきた感じです。周りの学生は、どこかの企業に就職するか、起業する道を選んでいて。親しい友達がいるのは場所で言うと東京が多いんですけど。その中で、いきなり福井の家業で働くことを選ぶって、あんまりない道で理解されないこともあって。だいぶ不安もあったし、すっごい悩んだ。悩みに悩んで決めた。その決断からは、他のことを考えず、料亭の事業承継に向き合う自分はどう振る舞ってるのかを基準に考えるので、動きが変わって。その決断ができたっていうのが大きな転換点かなって思ってます。
qbc:
なんで出来たんですかね?重荷じゃなかったですか?
西本紫乃:
重荷と感じることはなく。なんで決めることができたか…これからの自分にとっても、組織や承継する事業にとっても、事業に周りにいる人たちや環境にとっても、この選択が一番良いって思えたから、思い込めたから。
そう思い込めたのは、これまでの経験と、今周りにいる人、事業を取り巻く環境がどうかとかに依存してると思うんですけど。話を聞いたり、実際に働いたり、比べたりをして、事業も自分も、どう転ぼうが、うまく行こうが行くまいが、ひたすらそこに向けて、自分はできる限りのことをやるだろうなって思った。どう転んでもいいって思った。
言葉で表現するのが難しいんですけど、自分の人生の時間の使い方として、後悔はないだろうなって思えて。一緒に働く人に対しても、事業に対しても、住む地域に対しても、そこに自分の時間とか考えとか心とかが触れてる状態が、明るい部分も暗い部分もあって自分にとってすごい豊かだなと思うことができたから、決めることができたんだと思います。
世界大会優勝の模様はこちら!
未来:記録して、振り返って、そのときの自分に気付かされるのを繰り返して、いい選択ができるようになったらいいなって思って。
qbc:
未来について聞いていきたいんですけど。5年10年、最後自分が死ぬっていうところまでイメージして、今どんな未来を思い描いてますか?
西本紫乃:
今は、見える範囲の人、自分と自分の近くにいる人が幸せだったらいいなって思っていて。料亭に関わるお客様も従業員もそうですし、このまちで活動されている方々が何かに自信や誇りを持つ、ちょっとニュアンス伝わりづらいですけど、自分自身でも活動でも地域でもここにいて良いなって思うような状態にしたいなって思って。
過去に一緒に活動していて離れた友達と、またどこかで同じ目的や目標を持ったときには一緒に何かやろう。って話になるんです。何かは決まってないけど、一緒に補い合ってできたらいいねって。すでに実現していることもある。
そういう関係性が自分の周りに増えたらいいなーとぼんやり思っていて。最近は「長く続く組織や共同体を作りたい」って言ってるんですけど。周りの人たちが繋がって、今の環境を良くしていこうだったりっていう活動が、連鎖的に生まれていく仕組みみたいなものを、自分の周りに作っていけたらいいな、自分がいなくなっても広がっていったらいいなとは思いますね。
qbc:
もしもの未来の質問というのをしていて、もしも自分が今の家に生まれてなかったらどんなことをしてると思います?
西本紫乃:
今の家に生まれてなかったら、、いや…全然想像できない。うーん、自分の考えをこんな風に表現したり、意見を持ったりができてないなって思う。
考えられないくらい、自分は家業のある家に生まれたっていうのが、だいぶ大きいんだと思います。まあでも、もし今の家に生まれてなかったら、もっと自由な選択の中にあるから、向き合っていきたいことを今の自分よりも何十倍も何百倍も必死に見つけに行かないと選べないというか。料亭とか食とかとは全然違う領域にいると思います。でも自分はここだというところで上手くやってると思いますね。
qbc:
最後の質問は、最後に残した言葉っていう質問で、遺言でもいいし読者向けメッセージでも何かインタビュー振り返ってでも、最後に言い残したことがあればお伺いしています。
西本紫乃:
このインタビューを受けた理由、目的が「自分を記録しておきたい」だったんです。今の考えを記録しておきたいっていうのが強くて。考え方とか思ってることって日々変わっていくし、めっちゃいいって思っているものも、1週間後には何か違うなってなったり。大きな価値観も、新しい考えを持った人に出会ったらすぐ変わっちゃったり。今の自分は新しい考えに出会いやすくもあって。
それは、私が変化しやすいみたいなのもありますし。でもその今の状態を記録をしておいて、振り返ったときにそれも自分だって思える。そういう、何なんだろう。記録して、また振り返って、そのときの自分に気付かされるのを繰り返して、いい選択ができるようになったらいいなって思って受けました。という思いだけ最後に残しておこうかなと思います。
qbc:
ありがとうございます。
あとがき
記録は大事。大事だね。
この無名人インタビューというのも、記録の塊であって。
百人一首みたいに、いろんな人の話が残って、それで、今に生きる人たちだけではなくて、これから生まれてくる人たちのためにも、残していきたいと、思ってる。
永遠にね。
【インタビュー・あとがき:qbc】
【編集:mii】
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