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【海士町】島出身の島前高校生の人

高校生の時のことを思いだすと、恥ずかしいなって思う。
無名人インタビューに参加していただく高校生は、「普通の高校生」というよりも何か活発な行動をしている人が多いので、わーすごいな! と思ったりするんです。それに引き換え私qbcの高校生活なんて、帰宅部でほとんど毎日学校と家の往復だったのにな。いやでも、その時家で読んでいた小説や漫画が、今の無名人インタビューの物語的構成に役立ってるし。ふふ。無駄なものなど何もない。
と、いうことで。
今回出た質問、「インタビュー、取材の時に緊張するのでどうしたらいいか」への回答ですが、
1,慣れる:大概のことは場数が解決してくれます。私qbcも100回目くらいまで緊張していました。それくらいやれば大丈夫です。で、ここで問題になるのが、どうやってその回数をこなす時間と相手を探すかですね。無名人インタビューに参加するっていうのも一つの解決策ですよ!
2,相手に集中する:緊張する原因の多くは、自分に意識の焦点があたっているからです。うまくできるか、うまく伝えられるか、良い記事が書ける素材が手に入れられるか。こういう成功のイメージが、実は緊張の原因です。お話いただいている人にとって良い時間になるようにする、といった目的の立て方をすれば、自ずと緊張はほぐれます。相手への集中の高め方は、無名人インタビューに参加することでじっくり学ぶことができますよ!
以上勧誘でした! 無名人インタビューにようこそ!!!!!
そして記事をお楽しみくださいませ!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
この記事は「無名人イン旅ューin海士町」で実施したインタビューです。
他関連記事は、こちらのマガジンからお楽しみくださいませ!!!!!

今回ご参加いただいたのは 紗矢音 さんです!


現在:ずっとこの島にいるけど、もうあと1年でこの島から離れていってしまうから、もっとこの島を好きになりたい

 ナカザワ:
紗矢音さんは今何をしている人ですか?
 
紗矢音:
高校2年生で、地域国際交流部っていう部活に入っています。日本に一つしかない部活なんですけど、そこで私は海洋プラスチックを拾ってきて、アクセサリーを作ったり、ワークショップで地域の人と一緒に作ったり、そういう活動をしてます。
あとは、「しましま」の編集だったり、地域活動とか好きなんで、誘われたら行ったりしてます。
 
隠岐島前教育魅力化通信「しましま」

ナカザワ:
「しましま」は高校生が、町内の人に向けて書いているものですか。
 
紗矢音:
町内ではなくて、島前、全部で3島あるんですけど、その3島の小中学校、高校とか、施設に配られています。
 
ナカザワ:
これは全部島前高校の学生が作っているんですか。
 
紗矢音:
学習センターの方と、今年からは私と同級生の女の子1人とで作っています。

島内にある隠岐島前高校と連携した公立塾「隠岐國学習センター」

ナカザワ:
ありがとうございます。部活の話から聞きたいと思うんですけど、何をするかも自分で決めているんですか。
 
紗矢音:
そうですね、今やっている海プラは、去年の3年生が始めて、それを受け継いだ形なんですけど、何でもできます。それがこの部活の売りなんです。
やりたいことを、ちいこく(地域国際交流部)内で発言して、同じようにやりたいって言ってくれる人たちが何人か集まればそこでグループを組んで、地域に出て何かやる、みたいな。だから「小学生と関わりたい」だったら、そういう人たちが何人か集まって、一緒に昔遊びしたりとか、そういうことをやってます。 

ちいこく(隠岐島前高校 地域国際交流部)の活動note

ナカザワ:
部員は何人ぐらいいるんですか。
 
紗矢音:
全員で30人とか。
 
ナカザワ:
なるほど。これって放課後毎日やってるんですか。
 
紗矢音:
週2日で、火曜日と、金曜日。さっきもやってて途中で抜け出していきました。
 
ナカザワ:
わざわざ来ていただいて、ありがとうございます。
「しましま」の話も聞きたいんですが、かかわるようになったのはどんな経緯ですか。
 
紗矢音:
今年の春、誘われて始めました。しましま自体は結構長く続いていて、私が小学校6年生のときに、1回だけしましまの編集を手伝う機会があったんですけど、スタッフさんがそのときと同じ方で、今回声をかけてもらいました。
 
ナカザワ:
具体的にはどんなことをしてるんですか。
 
紗矢音:
取材ですね。島前高生とか、あと地域の方に取材に行ったり、写真を撮ったり、あとは、その編集後記、私ともう1人の子で感想みたいなのを書いて。
 
ナカザワ:
何でもやってるんですね。どこに取材に行こうとか、どんな写真を撮ろうとか、自分たちで考えるんですか。
 
紗矢音:
誰に取材に行きたいとか、自分があんまりこれまで話したことないけど今回ちょっと話してみたいな、みたいな人がいたらその人に会いに行こうとか、そんな感じで話し合って決めてます。
 
ナカザワ:
最初に聞いておけばよかったんですけど、紗矢音さんは島内の出身で、島前高校に通ってるんですよね。ずっと住んでるんですか。
 
紗矢音:
そうですね、ずっといます。
 
ナカザワ:
そうすると取材先も知ってる人が多いんですか。
 
紗矢音:
地域の人は知ってる人が多くて、ただ、海士の人は結構知ってるんですけど、西ノ島とか知夫の人はあんまり交流がないので、結構楽しかったりします。
 
ナカザワ:
取材ってこの中ノ島を越えていくこともあるんですね。面白かった取材先はありますか。
 
紗矢音:
知夫に行って、私の中学校のときの国語の先生に取材に行ったんです。女の先生で、久しぶりに会って。その先生の取材に行くはずだったんですけど、船の時間ギリギリまで逆に私がめちゃめちゃ質問詰めにされて。ずっと世間話をしてたんですよ。
で、船が出る10分前ぐらいに、「そういえば私、今日質問しに来たはずなのに質問してない」みたいな。
で2人で笑って、「こういう取材に来たんですけど」って言ったら、「私、その答えはもう考えてるから」って。
もう1分ぐらいでワーッて喋って。それを録音をして、しゃべったことを書き留めて。
写真も撮らなきゃいけないんですけど、残り5分で出るのに、先生が自分の首のしわとか、肌のくすみとかを絶対隠したいって言って、結局1時間、1時間半ぐらい写真撮影。私がずっと何かいろんな角度から撮って、先生がいろんなポーズとって。それで1時間後の船に乗って帰りました。
取材って、緊張、やっぱりするんです。今もちょっと緊張するけど、自分から言葉を発して、相手の言葉を出すみたいな、すごく難しいと思って。
なんかすごい楽しい取材で、取材っていうか、すごい楽しい時間だったから、思い出です。
 
ナカザワ:
この活動は声をかけてもらったことがきっかけだったと思うんですけど、紗矢音さんはどういう気持ちで関わっているんですか。
 
紗矢音:
なんか、私は、ずっと海士町に、この島にいるけど、もうあと1年でこの島から離れていってしまうから。もっとこの島を好きになりたい、って思って。
もっと知りたいし、島前高にはこんなにいっぱい島外から人が来る。なんかそれも不思議で。不思議だから、それを私達が知らないっていうのはもったいないから。
 
私、高1のときまでバレーボールを続けてたんですけど、バレーをやめて、高2からちいこくに入ったり、地域活動とかに参加しだして。その第一歩で、しましまに。ちょっとでもこの島のことを知れるかなと思って始めました。
 
ナカザワ:
いろいろ知りたいっていうのは、どういうきっかけで思ったんですか。
 
紗矢音:
なんだろう、結構何でもやってみたい気持ちが強いっていうか、興味が出たらすぐ何でもやりたくなっちゃうんですよね。島前高に入ってから。
中学校のときは、全然地域活動とかに興味なかったんですよ。勝手に大人たちがやってるな、みたいな。
けど、島前高に入ってから、周りの人たちが「地域活動に行く」みたいな目標を立ててたり、地域活動をやることにすごい価値を見出してて。それを見て、なんでこんなにみんな頑張るんだろうって。本当にそういう人がすごく多いんですよ。
しかも一生懸命やってる人たちがすごいキラキラしてるというか、かっこいいなって思って。自分もやりたいなって思いました。
 
ナカザワ:
ちなみに、島前高校は外からの生徒のほうが多いですか。
 
紗矢音:
多いですね。
人数もだけど、私の同級生は半分が島外に行っちゃって。島内生は、多分、本当にここが嫌いなんです。田舎が嫌い。なんか、青春できない、みたいな。
何もないし、何もできないから、外の学校に行きたい、みたいな。だからもう本当に全然人が集まらない。
 
ナカザワ:
でも、紗矢音さんは残ったんですね。島外に行きたかったですか。
 
紗矢音:
ちょっと行きたかったんですよね。なんか、学校帰りに友達とマック食べたり、憧れです。
 
ナカザワ:
そういう気持ちがある中で行かなかったっていうのはなぜですか。
 
紗矢音:
私、小学校6年生のときに、子ども議会で、高校、島前高校のことについて取り上げたんですよ。それこそ、島前高校の島内生の比率がすごい低いから、アンケートを取って、なんで島内生は行かないのか、みたいな。

紗矢音:
それで、そのときに私がパンフレットを作ったらどうか、島内の小学生とか中学生向けに島前高校のいいところを発信していけばいいんじゃないか、みたいなことを提案して。それがしましまに繋がったりして。
島前高校がいい、みたいなことをめちゃめちゃ言ったものだから。だから他に行けなくなったんですよ。そんなに言っといて、外出ちゃうんだ、みたいな。それはさすがにちょっと怖くて。
 
ナカザワ:
なるほど。怖かった。
 
紗矢音:
あの、周りの目が。だから、島前高校にしました。
 
ナカザワ:
やっぱりみんな、あのとき言ってたよね、みたいなのは分かるんですね。
 
紗矢音:
同級生は覚えてますよね。
 
ナカザワ:
なるほど。そしたら部活も地域活動も、本当にここ1年くらいのことですか。
 
紗矢音:
そうですね、それまでは部活が忙しすぎて。だからもう何もできないし、なんか全部中途半端になってて。
 
ナカザワ:
実際、地域活動ってどんなことをやってるんですか。
 
紗矢音:
カレンダーに一応、やったことはまとめてるので、確認しますね。
えっと、10月11月が結構忙しくて。なんか、反動でめちゃめちゃいろんな予定をいれてるんです、来たら全部入れるみたいな。
ポレポレキャラバンっていう、アフリカの子どもたちにお話しをするとか、アフリカに行ってる人の話を聞いたり、アフリカの音楽で一緒にダンスするみたいなイベントのスタッフとか。
あとは、前は、国土交通省の人たちと高校生が対話会をしたこともありました。「風と土と」っていうところでそういう機会を作ってもらって。
 
ナカザワ:
視察か何かできた大人たちと高校生が喋る、みたいな感じですか。
 
紗矢音:
そうですね、そういう機会を設けてくれる大人の方がいて。
あとはAMAFESっていう、いろんなミュージシャンが来て、1日通していろんな音楽をやるんですけど、そのスタッフとして入ったり。なんか、いっぱいありますね。

海士町初のガバメントクラウドファンディング(ふるさと納税を活用したクラウドファンディング)で実現した AMAFES2023

ナカザワ:
そもそもどういう経緯で地域活動に参加するんですか?
 
紗矢音:
学習センターから声が掛かったり、あと、ちいこくはそういう情報もいっぱいあるので、それで募集がかかったものに全部参加して。
 
ナカザワ:
なるほど。紗矢音さんは今の生活の中で、一番楽しいのはどんなときですか。
 
紗矢音:
一番はちょっと難しいんですけど、イベントのときとか。
イベントの日は、緊張と、ちょっとわくわくみたいな感じなんですけど、毎回そのイベントが終わった後は、すごく満足感、やってよかった、みたいな。
心も体もハッピーで、いい疲れ方したなって思えるから、その感覚が大好きです。

 
ナカザワ:
満足感はどういうところで感じますか。
 
紗矢音:
そのイベントに、自分が関われたっていうのを感じれられたっていうことがすごく嬉しくて。
あと友達とか地域の方と一緒に作り上げて、お客さんがすごい楽しそうにしてるとか、そういうのを見ると、ああ、うれしいなって。 

過去:本当に残りあと1年、2年。もう残りは自分の好きなことやりたいって思って

 ナカザワ:
過去というか、これまでの話を聞いていきたいんですけど、小さい頃はどんな子どもでしたか。
 
紗矢音:
泣き虫でした。本当にずっと泣いてたし、めちゃめちゃおとなしくて、人と話したり、コミュニケーションを取るのが苦手でした。
 
ナカザワ:
周りの方からもそう言われますか。
 
紗矢音:
周りの人って言っても親しかいないけど、結構おとなしい方だと。
 
ナカザワ:
それは今も変わらないですか。
 
紗矢音:
おとなしいのはおとなしいけど、周りと関わりたいって思うようになりました。
 
ナカザワ:
それはいつからですか。
 
紗矢音:
うーん、高校生ですかね。
 
ナカザワ:
ちなみに、バレーはいつからやってたんですか。
 
紗矢音:
小学校2年生から、8年間やってました。町のチビッ子バレークラブみたいな。
 
ナカザワ:
それだけ続けてるバレーには、どんな思いがありますか。
 
紗矢音:
バレーも好きだし、ちっちゃな地域だから、私の同級生、一緒にバレーをずっと続けてる友達が2人いて、今もその2人はバレー部で頑張ってるんです。
だから、バレーをやめるときに、その2人にすごい申し訳ないと思ったし、自分にはバレーしかないんじゃないか、みたいな。本当にコミュニケーションが苦手だったから、バレーで仲良くなった友達もいるし、バレーを続けないと、自分がなんか、駄目なんじゃないかって思ってました。
 
ナカザワ:
今のお話を聞くと、バレーをやめるってすごく大きな決断だったのかなと思うんですけど、それ自体に葛藤はありましたか。
 
紗矢音:
めっちゃ悩みました。
お母さんに辞めるって言ったときに、泣いちゃって。なんか本当にめっちゃ不安だったし、だけど、なんか、そのときは高2の初め頃とかだったから、本当に残りあと1年、2年。もう残りは自分の好きなことやりたいって思って。本当にすごく申し訳なかったけど、思い切ってやめました。
 
ナカザワ:
その決意をするにあたってのきっかけははなんでしたか。
 
紗矢音:
本当に、自分自身を変えたい。弱い自分とか、すぐ落ち込みがちになっちゃう自分とかをもうちょっといい方に変えたくて。それでちょっと生活を変化させたくて、今、頑張っていろいろやってます。
 
ナカザワ:
なるほど。さっきから何回か「あと2年」っていう言葉が出てきてるんですけど、そもそもそういう思いはずっと持っているものですか。島の外に出たいとかいつか出るとかって、どういう感覚なんですか。
 
紗矢音:
この島前には、大学がないので。就職しない限りは、だいたい進学で1回はみんな外に、この島から出ていくから。いつかは出るって思ってて、そこから先の都会でのキラキラした生活への憧れみたいなのをずっと、小学校中学校からみんな持ってて。
だけど、高校生になって、残りあと3年間でこの島からいなくなるってことは、家族とも離れるし、今までずっと一緒だった幼なじみみたいな友達たちも、離れ離れになっちゃう。
お母さんのおいしいご飯も食べられないし、家に帰っても誰もおかえりって言ってくれないし、みたいな。あんなキラキラしてたのに、すごく孤独な生活が始まっちゃうのかなって思ったら、なんか、まだここにいたいというか。まだ始まってもない一人暮らしなのに、ちょっとホームシック入っちゃってるみたいな。
それで、ちょっとずつタイムリミットが近づいてるなって思ってます。 

未来:いろんなところに行ってみたいし、見てみたいし、いろんなことを感じてみたい。で、ちょっと落ち着いて、ここが恋しくなってきたら、ここに帰ってこようかなって

 
ナカザワ:
紗矢音さんは将来、3年後とか5年後とか、自分はどうなってると思いますか。
 
紗矢音:
3年後だったら20歳。専門学生ですね。今のところ大阪に行く予定で、そこで、専門学校に通って、バイトとかして何とか生活を繋いでるみたいな、そんなイメージです。
 
ナカザワ:
ちなみに何の専門学校の予定ですか。
 
紗矢音:
作業療法士とか、医療系ですね。
 
ナカザワ:
作業療法士の専門学校だと何年間ですか。
 
紗矢音:
3年4年ぐらい、意外と長くて。
 
ナカザワ:
なんでその進路にしようと思ってるんですか。
 
紗矢音:
小学校4年生のとき、私がお母さんの肩たたきをしてたら、お母さんが作業療法士っていう仕事があるっていうのを、本当にぱっと言って。
それで、ノリでじゃあなろうかな、とか言って。そのときはあんまりその仕事を知らなかったんですけど、中学校になってからちゃんと調べて。そこから、リハビリの仕事、素敵だなって思いはじめて。
高校に入って、キャリアガイダンスみたいな、いろんなジャンルの、看護とか、リハビリとか、あとテレビの何かとか、いろんなジャンルの仕事の説明を聞くみたいなときがあって。
 
ナカザワ:
それは高校の中でですか。
 
紗矢音:
そうです。今年もあるんですけど、去年もそれがあって。
それでリハビリの作業療法士の先生が来てくださって。その方が、作業療法士と理学療法士の違いの説明もされてたんです。作業療法士は、その人の幸せを考えてその人に合った治療を一緒に探していく。足が悪い人には、理学療法士だったら、足を良くする、歩けるようにするとかっていうリハビリを続けるけど、作業療法士は足が悪くても、暮らしやすい生活をするために、例えば、車椅子を使うための指導をするとか。
 
ナカザワ:
なるほど。足が悪いから足を回復させる以外もある。
 
紗矢音:
違う選択肢、いろんな選択支援を提案する。それで、いいな、やりたいなって思ってます。まだちょっと迷い中ですけど。
 
ナカザワ:
なるほど。学校行った後の話でもいいんですが、夢とか、どういう人生を過ごしたいとか、イメージはありますか。
 
紗矢音:
それ、塾とかでも聞かれたりするんですけど、本当に自分が何をどうなっていくのかが想像がつかないというか。多分そのときやりたいことをしてるから、もしかしたら北海道とかで暮らしてるかもしれないし、キャンピングカーみたいなので何か売ってるかもしれないし。
やりたいことは、いっぱいあって。

ナカザワ:
仮に今、高校生だからとか、ここに住んでるからとか、そういうのも全然無視して何でもしていいよって言われたら、何をしますか。
 
紗矢音:
一旦旅行に行きます。
 
ナカザワ:
行き先は、どこがいいですか。
 
紗矢音:
神社とか行きたいですね。都会の方じゃなくて、ちょっと自然が豊かな、温泉とかまわりたいです。
 
ナカザワ:
都会じゃないほうがいいんですか。
 
紗矢音:
なんか、今年の冬休みに大阪に行ったんです。大阪に私のおばあちゃんがいて。
1週間ぐらいいたんですけど、行って2日で飽きちゃいました。なんか楽しい物とかはいっぱいあるんだけど、何だろう、そんなに楽しめなかったんです。
だから、一人旅に行きたいなって。海が綺麗なところとか。
 
ナカザワ:
ありがとうございます。
海士町のいろんな人に話を聞いてるんですが、海士町って、紗矢音さんにとってはどんな場所ですか。
 
紗矢音:
地元ですね。私は結構好きです。
島の夏って、やっぱり素敵だなって。明屋海岸っていう場所があるんです。崖みたいになっていて。崖の下に、海があって。崖と海の間に道があるんですよ。道を歩いて行ったら、奥に行くにつれて砂浜があるんです。
その砂浜にはあんまり人が来なくて、1人だけのプライベートビーチみたいになって、本当にすごい綺麗で、もう毎年その明屋海岸で泳ぐのが楽しみだから、私は、できることなら、毎年帰ってきたい。
 
ナカザワ:
毎年帰ってきたい。やっぱり夏がいいですか。
 
紗矢音:
夏がいいですね。 

(たまたまこのインタビューの日に連れて行ってもらった明屋海岸)

ナカザワ:
海士町でやりたいことはありますか。プロジェクトでも、ちいさなことでも、なんでも大丈夫です。
 
紗矢音:
何だろうな。だけどさっき、ちいこくで話してたのが、ミュージカルやりたい、って。ミュージカルと、あとは、写真撮りたいです。
写真を撮るイベントに参加したとき、なんか、普段私達が見てる景色なのに、ちょっと目線を変えたり、撮り方を工夫したら、すごい素敵な写真になって。だから、もっといろんな写真を収めておきたいです。
 
ナカザワ:
それは来年までに、っていうところですか。
 
紗矢音:
そうですね。
 
ナカザワ:
1回島外に出なきゃいけないっておっしゃってたんですけど、その後にもう1回するっていう選択肢はあるんですか。
 
紗矢音:
いやあ、そのときにならないとわからないですね。だけど帰ってくるとしても、40代とかそういうイメージです。若いうちは、いろんなところ行ったり、都会で頑張るとか、他の地域で頑張るとか。
いろんなところに行ってみたいし、見てみたいし、いろんなことを感じてみたい。で、ちょっと落ち着いて、ここが恋しくなってきたら、ここに帰ってこようかなって。
 
ナカザワ:
今時点で帰ってきたいと思いますか。何歳でもいいんですけど。
 
紗矢音:
老後、老後は絶対ここで暮らしたいです。
 
ナカザワ:
若いうちはいろんなところに行きたいとか結構パワフルな感じの言葉なんですけど、それって、1年前とかの紗矢音さんでも同じことを思ってると思いますか。
 
紗矢音:
いや、思ってないと思います。何か、安定した生活というか、一旦仕事について、そこに、永住。仕事して、住んで。
この1年で結構ガラッと、何か自分の考えも、性格もちょっと明るくなったっていうか前向きになれたなって思います。
 
ナカザワ:
そもそも、高校生になるときに島外に出なかったら。子ども議会でパンフレット作りますとかそういうこと言わなくて、出るって選択してたらどうなっていたと思いますか。
 
紗矢音:
大阪か島根の高校に行ってたら、友達作って、みんなでちょっとなんか帰り食べにいったりしてたと思うし。
なんか、結構自分たちの世界みたいな。高校が、多分。高校生の私と友達と家族の世界でとどまっているんじゃないかと思いますそれが全て、みたいな。私の中学校のときは本当にそんな感じだったから。
自分の友達に依存してたし、家族の前だけしか素が出せなかったし、こんなふうに喋れなかったし。それが高校でも、そうなってたのかなって思います。
 
ナカザワ:
出とけばよかったなと思いますか。
 
紗矢音:
いや、今はここでいい。結構今の生活が好きだから。
友達も面白いんです。変わった子が多いんですよ。
 
ナカザワ:
友達も外の子が多いですか。
 
紗矢音:
そうですね、1年生のときは島内生の友達とばっかり固まっちゃうんですけど、2年生になってから、結構、島外の子たちとも話すようになって。
 
ナカザワ:
固まっちゃうものなんですね。2年生になるときって徐々に混ざってくるものなんですか。それとも混ざろうとしないと混ざらないものなんですか。
 
紗矢音:
混ざろうとしてないと、本当にかたまってるところは、島内生のグループでガチガチに固まって。話しかけないと、向こうも話しかけないだろうし。頑張って話しかけました。
2年生になるとそういう機会が増えましたね。夢探求っていう、地域の課題を見つけてそれを解決したり、自分たちの活動に繋げていくっていう授業があるんですけど、それのグループがランダムで決められるんです。私のグループも、ほぼ全員全く話したことない子たちで。
 
ナカザワ:
あんま喋ったことない人と一緒に探究学習をやらなきゃいけない。
今の生活が好きでも、外には出るし、戻ってくるとしてもやっぱり、老後とかちょっと落ち着いてからっていうのは変わらないものですか。
 
紗矢音:
そうですね、ちょくちょくは多分帰ってこれるし、島前高校を卒業した先輩たちも、結構帰ってくるんで。みんな、ここが好きなのかわからないけど、帰ってきてるから。
もちろん、私も時々帰ってきたりはすると思うけど、住むってなったら、ここに腰を据える、それは、駄目です。
 
ナカザワ:
どういう駄目さなんですか。
 
紗矢音:
なんか、もっと挑戦しなきゃって思うから。ここは、すごく優しい世界っていうか。優しい故郷。自分が本当に傷ついたときの最後の自分の切り札として、ここがあるなって思うから。
だから、一番最後。最後にとっておくんです。
 
ナカザワ:
ありがとうございます。

あとがき

この町の桜を見るのはもう最後だ。
私も高校3年生のとき、そう思いながら1年間過ごしたことを思い出しました。離島とかじゃないけど、近くに大学はなかったので、進学するなら実家を出ることは確定していました。
もうそれも10年前のことです。
紗矢音さんの言葉を振り返ると、18歳の私が心をぎゅっとつかんでくるようで、苦しくも悲しくもないのに、なつかしさで涙が出そうでした。

マックのある青春を知らない高校生も全然不幸じゃないよ、と、今の私は簡単に口にしてしまいそうになりますが、それに気づいたのは大人になってからでした。田舎から飛び出して、自分とは違う環境で育った人々に出会って、普通が特別だと思えるほどの世界の広さを知りました。
今は、田舎に生まれ、外に飛び出す必然性を手にしていたことに感謝しています。だって便利なところに生まれたら、動き出す必要がないから。
本当に不幸なのは、幸せの形は一つだけだと信じ込んでしまうことかもしれません。

海士町にいると、高校でも、町中でも、自分と違う人に出会う機会が多そうですが、決して壁があるわけではなく、でも違うもののまま、共存しているように見受けられました。島の中にいながらも、自分と違う存在に気づけること。それが、きっといろんな刺激となって、海士町のおもしろさを作っているのでしょう。

【インタビュー・編集・あとがき:ナカザワアヤミ】

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この記事は「無名人イン旅ューin海士町」で実施したインタビューです。
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