【海士町】未来は自分で何とでもつくっていけるなって最近思う人
彼女は、窓際の小さな机に座り、ノートに何かを書きつけていた。ペンを走らせる音が、静かな部屋に響く。
最近、彼女は未来について考えるようになった。それは、雨上がりの空のように、どこまでも広がっているように感じられた。
彼女の瞳には、どこか遠くを見つめるような光があった。それは夢を追いかける者特有の輝きだった。未来は自分で形作れるものだと、彼女は信じ始めていた。
長い黒髪を耳にかけながら、彼女はふと顔を上げる。窓の外では、風に揺れる木の葉が、何か秘密を囁いているかのようだった。
彼女の周りには、いつも音楽が流れていた。それは彼女の心の中で鳴り響くジャズのような、誰にも聞こえない旋律だったのかもしれない。
時々、彼女は一人で笑う。それは、まだ見ぬ未来への期待に胸を躍らせているからなのか、それとも自分の思考の奇妙さに気づいたからなのか。
彼女のデスクの上には、いつも半分だけ飲みかけのコーヒーカップがあった。その香りは、彼女の想像力をさらに刺激するようだった。
彼女は、自分の人生を小説のように紡いでいけるのではないかと考え始めた。そこには予想外の展開も、思いがけない出会いも、すべて自分次第で起こりうるのだと。
そんな彼女の足元では、小さな猫が丸くなって眠っていた。その猫は、彼女の夢見る様子を見守るように、時折目を開けては彼女を見上げるのだった。
と思う2024年7月25日13時58分に書く無名人インタビュー839回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは りん さんです!
年齢:20代前半
性別:女
職業:学生
現在:いろんな人と一緒にご飯食べたりとか、リラックスした状態で素で関わり合える場がすごく好き
ナカザワ:
りんさんは、今何をされている方ですか。
りん:
今は大学4年生で、4年次を休学して海士町に行って、大人の島留学という制度に参加してます。
仕事はインタビュアー、大人の島留学のnoteで、島の若者にフォーカスを当てて人物のインタビュー記事だったりとかイベントのレポート記事なども執筆しています。あとは大人の島留学のInstagramの投稿作りもやってます。
ナカザワ:
なるほど、広報というか、大人の島留学のアカウントの中でいろいろ書いたりされてるってことですか。
りん:
そうですね。主にnoteを担当しているんですけど、より多くの人に読んでもらえるように、今はnote記事をInstagram版にして写真とともに投稿するっていうこともやってます。どんな情報発信をしたら多くの人に大人の島留学に興味を持ってもらえるかを常にチームのみんなと考えています。
あと、大交流プロジェクトっていうプロジェクトにも入っていて、島留学生や島内外の人との関わり合いを生み出していけるきっかけ作りなどもこれからやろうとしてます。
ナカザワ:
いつぐらいからこのお仕事というのか、この活動をされてるんですか。
りん:
そうですね、ちょうど3ヶ月前の4月から海士町に来て、実際に暮らしながら仕事をしてます。
ナカザワ:
普段はどういった1日を過ごされてますか。
りん:
平日は基本的には朝から夕方まで仕事をしています。チームのみんなと振り返りや今後に向けてのミーティングしたり、note記事の執筆やInstagramの投稿を作成したり。休日は島内でいろんなイベントがあるので、積極的にそこに参加したり仲のいい子と喫茶店やカフェに行ったりしてます。なので1人でいる時間は、東京よりはだいぶ減ったと思います。
ナカザワ:
先ほど、東京にいたときより、っていうお話だったんですけど、海士町に来る前は東京にいらっしゃったんですか。
りん:
そうですね、育った場所はずっと東京で、大学も東京なので、ずっと22年間東京にいました。
ナカザワ:
なるほど。普段の生活の中で最近楽しかったことは何ですか。
りん:
つい最近まで東京に帰省していて、会いたい人たちにたくさん会ってきました。休日はバイト先だった地元の学習塾(寺子屋といいます)に行って、遊びにきた地域の子ども達とウクレレを弾いたりおしゃべりをしたりしてました。あとは品川の方に、いろんな世代や国籍の方が集まるゲストハウスがあるんですけど、たまたまそこでたこ焼きパーティーが開かれることを知って。一度はそのゲストハウスに行ってみたいと思っていたので、ふらっと遊びに行ってきました。
ナカザワ:
東京にいるときも、地域のなかのそういった場所には行っていたんですね。
りん:
そうですね。海士町に来てからいろんな人と出会い、いろんな話をする中で、誰かと会話することが楽しいなって思うようになって。せっかくなら東京に帰省するときも、いろんな人と関われるような場所に行ってみようかなと。東京って結構人との繋がりが薄いって自分の中で思っていたんですけど、よく見たらやっぱり地域の繋がりが強いところも小さいながらもたくさんあるので、ちょっとどんな感じか行ってみたくなって。
ナカザワ:
行ってみてどうでしたか。
りん:
ゲストハウスにしても、その寺子屋っていう塾でも、あと他の場所の子ども食堂行ったりしても、毎回本当に世代が違う方がたくさんいて、一緒にご飯を食べたり、お喋りし合ったりしてて、同世代とはまた違う居心地の良さですごく楽しかったです。
しかも、みんなほぼ初対面なんですけど、初対面だからって距離を取らずにみんなで一緒に何かができる。楽しい温かい時間が流れてたのが、すごく素敵だなって思ってました。
ナカザワ:
今、ご自身の生活の中心となっているのってどういったことですか。
りん:
わりと仕事がメインになってますね。
広報の仕事で期日までにこれを完成させなきゃいけないとかがあったり、記事にしたいネタが私の中で結構たくさんあって、常に頭の中でこういうのを書きたいなとか思ったり、書いてるときも結構楽しいので割と仕事がメインになってますね。
ナカザワ:
書くことっていうのは海士町に来てこういう仕事をする前からやられてたんですか。
りん:
実は今まで書くことが本当に嫌いだったんです。大学のレポートとかも書くのが億劫なぐらいだったんですけど、やっぱり自分の思っていることを表現できる力が欲しいなって思って。
今年の3月か4月あたりに試しに何か書いてみようと思って、自分のnoteアカウントで初投稿をしてみたら、いろんな人が読んで「いいね」を押してくれたり、記事読んでくれた方から、「応援してます」とか「良かったです」っていう温かいコメントをくださったんです。自分の文章に今まで自信がなかったけれど、自分が書いた文章でも誰かの心に刺さることもあるんだなと思って。
もっと書きたいっていう気持ちが芽生えましたね。
ナカザワ:
書くこと嫌いだったっておっしゃってたんですけど、それでもnote始めたのってどうしてだったんですか。
りん:
自分としては結構、自分の考えをとっさに言語化するのが苦手で。書く方が自分の言葉とか考えにもゆっくり向き合えるし、何かちょっと違うなって思ったらいくらでも後から書き直したりできるので、そういう意味で書くっていうのは自分の気持ちを一番詳しく、本当にそのままの通りに表せる表現方法の一つだなって思ったんです。
書くことは苦手だったけど、書くことで自分の気持ちをもっとちゃんと誰かに伝えられるようになることには憧れを抱いていて、ちょっとnote書いてみようかなとか、書くことに慣れていけたらいいなって思って始めました。
ナカザワ:
なるほど。実際、書いてみてどうでしたか。
りん:
今までは自分のプライベートのアカウントで発信をしてたんですけど、今は大人の島留学っていうチャンネルで発信しているので、より多くの人に見てもらえるようになって。
自分が書いた記事とかを自分のインスタでも発信したときに、今まで疎遠だった人とか、久々に話す友達とかから、「背中を押された」とか「勇気をもらった」って言ってもらうことがあって、より多くの人に届けられるようになれたのががすごくやりがいでもありますね。
ナカザワ:
思いを表現する方法として、りんさんが今一番好きなのはどういうやり方ですか。
りん:
やっぱり、書くことですね。話すってなると、目の前でその相手の表情を見ながら話して、自分の思いを伝えられることも素敵だなと思うんですけど、より自分の内面と深く向き合ってそれをまっすぐに表現できるのは自分の中では書くっていう方法が一番大きいなって思っていて。
ナカザワ:
まっすぐに、なるほど。
りん:
話すとなんか即興みたいな感じになっちゃって、後で振り返ったときに「実際自分ってやっぱこういうことを思ってないかも」とか、「もっとこれを言っておけばよかったな」とか、後から後悔することが多くて。
書くっていうのは全然人の目を気にしないで、まずは自分と向き合ってそれを言葉に正直に表現できる。ゆっくり焦らずにつづれるのも何か素敵だなと思って、自分にとっては書くことが一番自分の中のものを表現する最適な手段な気がしてます。
ナカザワ:
ありがとうございます。ちょっと話変わるんですけど、趣味とかやっていて楽しいことはありますか。
りん:
新しく海士町で始めた趣味ではあるんですけど、ウクレレにはまっていまして。
元々全然音符とかも読めないし、ピアノとかそういう楽器系は苦手なんですけど、ウクレレだったら、コードを見れば、音符とか関係なく弾けるので。
音楽が苦手でもウクレレなら弾けるなっていうのと、自分1人で弾くのはもちろん楽しいんですけど、島で例えば喫茶店のマスターの前で弾いたりとか、地域の人の前で弾いたりとか。あと東京戻ったときもゲストハウスでいろんな人たちの前でウクレレを弾くことによって、みんなが歌ってくれたりすごく懐かしい気持ちになってくれたりして。ウクレレを通してその場の雰囲気を温かくできたり、一緒にいる人と人とが仲良くなったり、自分もその人たちと仲良くなれる。それがなんかいいなって思って。ウクレレが最近好きです。
ナカザワ:
どうしてウクレレを始めたんですか。
りん:
なんだろうな、東京にいるときはマンションに住んでいたりとかで、あんまり騒がしい大きな音が出せないとか、大学の授業とかに追われてあんまりこういうことをやりたいなって思うことがなかったんですけど、島に来て、もちろん今も忙しいんですけど、海や山が身近にあって開かれた環境のなかにいると、気持ちにちょっとゆとりが生まれて。何かやってみたいなって思う気持ちが生まれたのと、自分が何かすることで誰かを喜ばせたいっていう気持ちもあって、そのツールにウクレレがあってもいいなって感じですね。
あと、小学校の頃に児童館でウクレレを弾いたことがあって、それが楽しかったっていう思い出もあって。
ナカザワ:
りんさんは今海士町に来て3ヶ月ぐらいかなと思うんですけど、りんさんにとって海士町っていうのはどういう場所ですか。
りん:
なんだろう、自分にいろんな経験をさせてくれる場所だと思っています。東京でも何かやろうと思えばできるとは思うんですけど、割と大学いるときも、とりあえず授業はすごく受身の姿勢で受けてたりとか、与えられたものばかりを受け取っていました。でも島に来て、広報の仕事でも待ってるんじゃなく自分の足で取材に行くことの大切さを教えていただいたり、プロジェクトも何でもやっていいよっていう環境だからこそ、自分からどんどんこういうのやりたいとか思わないと仕事が生まれない。
ナカザワ:
うんうん。
りん:
やっぱり受身の姿勢じゃ駄目だなって思って。だからこそ海士町は何でもやらせてくれる環境土壌があるので、執筆にしてもイベントを企画するにしてもすごくやりやすくて、自分がやったことない新しい経験もどんどん積んでいける場所だなって思いました。
ナカザワ:
先ほど、東京でもいろんなことできると思うんだけど、っておっしゃってたんですけど、大きな違いはどこだと思いますか。
りん:
うーん、海士町は仕事自体、何でも自由にやらせてくれる雰囲気があるところかなと思います。
周りの大人の島留学生も結構プロジェクトを自分たちで動かしたりとかして、そういう人たちが身近にいるからこそ、自分も何かやってみようって思えたりするのかもしれないですね。身近にそういう人がいるかいないかが多分自分の中で大きい気がしてます。
ナカザワ:
なんだろう一緒にいる周りの人とか、結構大きいというか、
りん:
そういう人に刺激を受けて、自分もあるものばっかり受け取るんじゃなくて、自分が何か作っていきたいっていう気持ちが芽生えたのが大きいかもしれないですね。だからこそ何でも挑戦してみようって思えるし、そう思ったときに、海士町も自由にやっていいよって言ってくれる土壌があるので、挑戦してもいいっていう雰囲気がより強いのは海士町なのかなと思いました。
過去:流れに流されて立ち止まる機会もなくなっちゃうのかなっていうのが怖くなった
ナカザワ:
りんさんは子どものときは、どんな子どもでしたか。
りん:
割とおとなしいねって言われることが多かったし、今も言われるんですけど、控えめすぎる性格だったのかなと思いました。
ナカザワ:
それは今は変わりましたか。
りん:
そうですね、今は控えめすぎるとどんどん人に流されちゃうのが怖くて、ちゃんと自分の意志は持っておきたいし、喋るときもちゃんとハキハキ喋らなきゃいけないなって思うようになったので、控えめではなくなりました。子どものときよりは。
周りから見ると控えめだなって思う人もいると思うんですけど、うーん、自分の中では自分は控えめではないとは思います。
ナカザワ:
ちなみに東京育ちっていう話をお聞きしたんですけれど、生まれ育った場所とか風景ってどんなでしたか。
ナカザワ:
渋谷とか新宿みたいに騒々しい場所ではなくて、割と閑静な住宅街で、川が見えたりとか、ちょっと自然が多いところがあったり、住みやすい場所でした。車が多かったり人が多いところはあるんですけど病院が家の近くに内科とか耳鼻科とか全部揃ってたり、スーパーも近くにあってすごく便利な場所だなって。生活するには不便なかったです。
ナカザワ:
基本ずっとそういう環境で過ごしてきたんですか。
りん:
22年間も同じ場所、家も引っ越しとかなかったのでずっと同じ場所で育ってます。
ナカザワ:
なるほど。子どもの頃はどういう過ごし方をしてたんですか。
りん:
あんまりアウトドアではなくて、基本インドアで、家にいるときは妹とゲームしたり。基本両親が共働きだったので、学童にいることが多かったり、休みの日も両親は家でゆっくりしてることが多いので、自分は遊びに行きたいって思ったら友達と児童館行ったりして遊んでました。
ナカザワ:
うんうん。
りん:
でも児童館でも外で遊ぶっていうよりは、中で卓球したりとか、折り紙やったりしてました。
ナカザワ:
妹さんがいらっしゃるんですね。
りん:
6歳下で、今高校1年生の妹がいます。
ナカザワ:
ちょっと離れてるんですね。
りん:
そうですね。前まではめっちゃ妹、って思ったんですけど、今は高校生なのであんまり年齢差を感じないというか、双子みたいだねって言われることが多いですね。身長も同じだし。
ナカザワ:
ずっと一緒に遊んでたんですか。
りん:
そうですね、喧嘩もするんですけど、やっぱり妹は自分にとってすごく大切な存在なので、家にいるときは一緒に遊んだりとか。この前久々に帰省したときも一緒にウクレレ弾いたりカフェ行ったりとかしましたね。
ナカザワ:
りんさんはどんな小学校時代でしたか。
りん:
小学校のときも割とインドアだったんですけど、学童に1年生から3年生まで通ってて、いろんな、年齢バラバラの子たちで一緒に帰り5時ぐらいになるまでおやつの時間をともにしたりとか、長期休みも学童に行って年齢の違う子たちと遊ぶことが多かったりして。
学童が終わって小学4年生ぐらいからは、委員会とか代表委員っていう学級委員みたいなことをやったり、委員長をやったりしてましたね。
ナカザワ:
なるほど。
りん:
なんで、委員長とか上に立つことをやりたかったのか覚えてないんですけど、何か人の役に立ちたいっていう気持ちが強かったので、目立ちたいっていうよりも、クラスに貢献したいとかそういう気持ちが強かったですね。
ナカザワ:
貢献したいっていう気持ちはいつくらいから思ってらっしゃったんですか。
りん:
全然覚えてないんですけど、でも小学校低学年ぐらいから誰かの役に立ちたいとか、困ってる人の力になりたいなとか思ってた気がします。学童でも1人でいる子がいたら、誘ったりして一緒に遊ぼうみたいな。
ナカザワ:
中学時代はどうでしたか。
りん:
中学時代は、また学級委員とかやったり、体育祭とか合唱コンクールの実行委員をやったりして、クラスを引っ張るような立場にはいたんですけど、今思えばリーダーとして誰かを引っ張っていくのは本当に全然向いてることではなかったなって。自分が表だって引っ張ってくみたいなことはもうやりたくないですね。
ナカザワ:
なるほど、学級委員とかって結構役に立つとか貢献性があるものだけど、リーダーの役割が求められますよね。
りん:
クラスで話し合いとかイベントをするときも、どんな出し物をするとか話し合うときに必ず学級委員が教壇に立っていろいろ話をまとめなきゃいけないんですけど、まとめるのが下手だったし、なんかみんなの意見を聞いて、じゃあこれでいこうって引っ張ってくってこと自体が苦手で、向いてないなって感じてました。
今思えば、貢献するっていうことは、リーダーとなって誰かの役に立つのも一つだし、かげながら誰かをサポートするっていうのも同じ誰かの役に立つってことなので、自分に合った場所とか立場で、人と関わりたいなっていうふうには少しだけ思っていました。
ナカザワ:
向いてないな、みたいな思いは中学ぐらいからのことですか。
りん:
そうですね、だんだん。最初、中1の頃は仲のいい友達も一緒に学級委員だったのでお互いにそうだんしあいながら楽しくやってて、中三になってからは委員長にも挑戦するようになりました。でもなんかやっぱり違うのかもな、と少しずつ思うようになりました。
ナカザワ:
その後高校とかでは高校時代とかは何か印象に残ってることとかありますか。
りん:
なんでしょう…そうですね、部活とか憧れで入ったけど、結局合わなかったとかがあったりして。
友達や同じ部活のメンバーとは仲良かったんですけど、実際運動が嫌いなのであんまり楽しいと思えなくて。でも3年間続けたりとか。
ナカザワ:
中学校は何部だったんですか?
りん:
中学はバスケ部で。これも本当憧れというか、キラキラしててかっこいいなみたいな。でも実際入ったら全然うまくなれなくて。
学級委員をやっていたので副部長にもなってたんですけど部活のメンバーとは仲良くても、バスケ自体なんかあんまり自分に向いているスポーツではなくて、やめたくてもやめれずズルズル3年間やってました。
なんかそのとき自分が好きなことができて自分に合った場所に行ってればもっと楽しかったのかなと思います。
ナカザワ:
その当時、そっちに入ることは選択肢にあったんですか。
りん:
あったんですけど、部員の数が多い部活ならそこに入ればいろんな人と仲良くなれるかなって思ったり、明るい人が多くてなんか憧れというか、ちょっと入ってみたいなっていう気持ちがありました。
ナカザワ:
なるほど。
高校を卒業をして今は大学生だと思うんですけど、ここの進路選択というか、どういう理由で進路を選ばれたんですか。
りん:
大学は女子大の国際協力系です。そこに行こうと思ったのは、ぼんやり海外に憧れとか興味があったというところと、知名度のある大学に行けばすごい、みたいに思うところがあって。通っていた高校は大学進学に力を入れているところだったので、ブランドがある大学に行くことがすごいみたいな風潮があり自分もそれに流されてました。
ナカザワ:
休学される前までは国際協力とか海外とか、そういう勉強をされてたんですか。
りん:
はい。でもちょうど大学に進学したのがコロナの時期で、大学もオンラインだし、憧れだった海外にも急に行けなくなって。勉強に対するモチベーション、それこそ英語とかいろんな海外の国々を見てみたいっていう気持ちがだんだんなくなっちゃって。大学に行くモチベーションがどんどん下がっていったって感じですね。
大学進学と同時に先ほども話に出た地域に根ざした地元の学習支援塾でバイトするようになって、もっと自分の身近なところ、地域というところからいろんなこと知りたいなって同時に思うようになりました。
ナカザワ:
なるほど、そうかコロナ禍ですよね。
りん:
大学はオンラインで友達とも全然会えなくて。
東南アジアとか海外にも行きたかったんですけどそのチャンスもいつ来るかもわかんなくなって。
留学もできたらいいなと思ってました、入学当初は。
ナカザワ:
なるほど。ちなみに休学はいつからですか。
りん:
今年の4月から1年とりあえず休学しようと思ってます。
ナカザワ:
なんで休学しようと思ったんですか。
りん:
去年の夏、大学3年生になると周りがみんなインターンとか始める人が多かったので、私もそれに乗っかっていろんな東京の会社、保険会社とか商社とか人材とか見てたんですけど、なんか、あんまり面白くないっていうか、別に保険の商品とか専門商社で扱ってる商品にも興味がなくて。
塾でのバイト経験から人の内面をもっと知りたいと思ったし、商品を売るとかじゃなくてその人自身、肩書きとかそういうのもなくその人自身に寄り添えるような仕事がしたいなって思ってたとき、やっぱり普通の会社で営業とか、商品企画とかそういう仕事は自分のやりがいにも繋がらないし、やりたいことじゃないな、みたいな。でもどっちみちやっぱり会社には入った方がいいのかなって思ったりもして。完全に迷走してました。
いろいろモヤモヤしてる中でとりあえず就活して、とりあえず会社員になったら、またそれはそれで社会人ってなんか忙しいイメージがあったので、もう流れに流されて立ち止まる機会もなくなっちゃうのかなっていうのが怖くなったんですね。
だから、一旦就活する前に、休学してもっと自分の知らない場所に行ったりとかいろんな人の話を聞いて、自分が選ぶ進路、就活にしてもどの会社にいくにしても納得した状態で今後の自分の生き方とか考えたいなと思って。とりあえず休学っていう猶予期間を作ったって感じです。
ナカザワ:
なるほど。
りん:
元々海士町に行きたくて休学したわけじゃなくて、休学してどこ行こうかなって探してたときに、たまたま海士町見つけて。大人の島留学ってなんかいいかもって思って、3ヶ月とりあえず行ってみました。
ナカザワ:
休学しようって決めたのっていつくらいだったんですか。
りん:
去年の12月ぐらいですね。早期選考も始まりかけていたときで、ある企業の早期選考を受けてたんですけど、このままでいいのかなって。
12月に早期選考も全部辞退して、それ以降はもうちょっと自分と向き合ったりとかいろんな東京以外の場所に行く時間にあてたいなって思ったので、12月ですね。
ナカザワ:
最初、大人の島留学では3ヶ月の予定だったけど、これから1年間いるんですね。
りん:
本当は3ヶ月いたらもう帰る予定だったんですけど、1年間どう?、って事務局の人に聞かれて。
海士町にはIターンでこっちに来たり島外からも関わったり、島留学生も含め、なにかワクワクするあたらしい取り組みにチャレンジしている人がいっぱいいて、すごく多様な生き方で溢れてる。海士町にいるだけでもいろんな人に出会えて、すごく面白そうだなと思ったし、自分が今後何かやりたいと思ったときに、自分がやりたいことをやりやすいのはやっぱ長期的にいて、ここでいろんな人と関係性を築いたり経験を積んでいくことがなのかなって思って、1年間いることにしました。
ナカザワ:
実際いてみて、もうちょっと考えたいなみたいな思いっていうのは、叶えられそうですか。
りん:
どうですかね。まだ地元の人ともあまり関係性を築けてはいないのでもうちょっと積極的に関わって、島のことももうちょっと知りたいと思ったし、これから少しずつ小さいながらもいろんなことに挑戦しながら、何か自分で何かやりたいなっていう感じですね。
未来:本当に肩書きとか偏差値とかどうでもよくなっちゃって。その人自身が自分の考えを持ってるとか、自分自身もちゃんと思いを表現できるっていうことの方が重要だなって思って。
ナカザワ:
5年後とか10年後とか、あるいは死ぬとき、そういったちょっと先まで想像したときに未来っていうのはどういったイメージをお持ちですか。
りん:
未来は自分で何とでもつくっていけるなって最近思ってます。
東京にいて就活してるときは、やっぱり大きい企業入ったり、とりあえず世間的に安泰とか安心っていうところに従ってないといけないのかなと思ったんですけど、でも一旦休学してレールから降りてみたことで、これまでいろんな道をたどってきた人たちと出会うようになって。そういう人たちの方がすごく表情が生き生きしてるし、自分で選んだ選択を楽しんでいるように見えて、自分も誰かに合わせて流されるよりも、納得感を持って自分のやりたいこととか選択肢を作って行ってそれを正解にしていきたいと思うようになって。今は前よりも未来に対して不安はないし、自分次第でどうにでもなれる、変えていけるのかなって思っています。
ナカザワ:
大企業とか、こっちに行っておいた方が心配ないんじゃないかみたいなところから今の考え方になるのって結構変わったのかなと思うんですけど、どういう理由でそういう考えを持つようになったんですか。
りん:
今まで東京にいるときは本当に視野が狭すぎて、周りにも、とりあえず会社に勤めてる人が東京だといっぱいいるけど、休学決めて、ちょっと東京から離れると、いろんな地方で自分の理想の暮らしを追求してたりとか、自分に合った場所で自分らしく働いている人とかに出会いました。なんか会社だけが全てじゃないよなと思ったし、別にそこにとらわれなくても、大丈夫なんじゃないかなって思って。
ナカザワ:
うんうん。
りん:
いろんな生き方をしてる人にちょっとでも出会えたことで、これまで思っていた「こうあるべき」みたいなものがちょっと崩れてきて、割と今、自分が好きなようにいろいろ選択してもいいのかなって思えるようになりました。
島留学に来たのも大きいですね。なんか、結構4年で休学する人って私の大学にはあんまりいなかった気がするんですけど、島に来たら4年で休学してる人がむしろ結構たくさんいたりとか、会社辞めて、あるいは新卒で島留学に参画した人もたくさんいるので、何かそれでもいいんだなって思えるようになったのが大きかったです。
今まではずっと流されてきて、高校を卒業して大学も進学して、大学卒業したら就職するみたいな道があったんですけど、あえてそこから降りたことでいろんなものをちょっとだけ遠くから見れるようになった。
ナカザワ:
うんうん。
りん:
休学して自分の意志で何かいろんな場所に行くと、そこでも自分の意思に基づいて島留学に来たりとか、その地域に来たみたいな人にたくさん出会う中で、みんな自分の意見をちゃんと持ってるのがかっこいいなと思って。
今までは、誰かが正しいっていう方向に合わせてたんですけど、なんか、流れるよりもそこからはみ出ても自分の考えをちゃんと持ってる方が絶対これから強いだろうなって思って、そういう人になりたいと思ってました。
ナカザワ:
なるほどちなみに短期的に、例えば5年後とか、自分が何をしてると思いますか。
あるいは、何をやりたいですか。
りん:
5年後…でもなんか、組織の中に所属するよりも、自分で何か作っていきたいって思いがあって。それこそ私は文章を書くのが結構好きなので、最近それを自分の強みにして、自分のオンラインメディアを立ち上げていろんな人のひとり時間にそっと寄り添えるような発信をしたいなとか。
あとは、少人数でいろんな人と話すことも好きなので、地域に根ざしたゲストハウスでお客さんをおもてなししたりとか。組織に入ってお金をただ働いてもらうんじゃなくて自分の強みを最大限に生かした働き方がしたいです。
ナカザワ:
1年後とかでの区切りとしては島留学も一旦終わってるのかなと思うんですけど、はい。東京に戻るんですか。
りん:
1年ってちゃんと区切りをつけないと、なんだかんだ2年目もって思っちゃうとダラダラ過ごしちゃう気がするので、1年で島留学は終わらせるっていう気持ちでいますが、でも迷っています。
もし東京に帰ったら大学にちゃんと復学しようと思うんですけど、それだけじゃなくって、今回東京に帰省して、島みたいにもっと人との距離が近くて、地域内でいろんな居場所ができたらいいなって思うようになったので、自分の地元でそういう場作りにも携わってみたいなって思うようになりました。
ナカザワ:
なるほど。
りん:
東京って人と人との距離が遠いな、寂しいなと思ったんですけど、全部が全部そういう場所でもなくて。
地域をよく見たらいろんなサークルがあったり、他にも多世代の人が集まれる場所があることを初めて知ったので、今広報として発信の経験をいろいろさせてもらってるので、その経験とかスキルを生かしながらもっと人と人とが繋がれる場っていうのを広げていきたいなって思いました。
今はとりあえず、海士町でいろんな経験をして、自分の力をつける。もし来年帰ったら、地元に何か役に立ちたいなって思ってます。
ナカザワ:
ありがとうございます。
りんさんが、これをするまで死ねないなみたいなのものってありますか。
ーーーーー
りん:
先のことまであまり考えたことがなくて、とりあえずちょっと目の前にある目標でしたら、島でフリーペーパーを実現させるとか、東京に戻ったら地域の場づくりに関わるとか、そういう目先のことしかまだ考えられなくて。
すごい壮大なもの、人生における壮大なものっていうのは考えたことがないですね。
目先のことでも、自分が今こうやりたいなって思ってることをやらずにいるのは絶対後悔するなって思ってます。
ナカザワ:
りんさんが22年生きてきた道をふまえると、就活してみて、なんか楽しくなさそう、みたいなそういう気づきがあったのかなと思うんですけど、りんさんにとっての楽しそうなことってどういうことですか。
りん:
やっぱり、自分の中でいいなとか、すごく価値があるなって思うのが、いろんな人とお喋りすること。自分にはなかった考え方とか、その人の経験から、旅が好きな人だったらこういう場所がいいよとか、海外に行く人だったら、ワーホリに行ってみた、みたいな。そういう自分がしたことがない経験を疑似体験できるのはおもしろい。人と喋ることで、初対面だったときはもしかしたら自分とは性格が合わないかもって思ってても、喋れば喋るほど自分と共通する部分があったり、意外な一面が見えて、本当のその人が見えてくるのが面白くて。
世代も違ったりとか、国籍とかも違ったりとか、いろんな人と喋ってるのがすごく楽しい。
ナカザワ:
うんうん。
りん:
あとは書いてる時間ですね。自分と向き合ったり内面とも向き合える時間がすごく有意義で、濃いなって思います。
ナカザワ:
濃い。なるほど。
りんさんがそういう楽しさにもし出会わずに、大手企業から内定をもらって過ごしてたら、どんなふうになってたと思いますか。
りん:
とりあえずも内定とかもらったら結局、自分が高校大学に進学するときと一緒で、常に周りの評価とか気にして、自分自身が本当にどういう人なのか、というものに目を向ける瞬間はなかったし、人と関わるときも、肩書きとかその人の内面じゃなくて周りを覆ってるものに囚われてたのかもしれないなって思います。今の方が自分自身も自然体っていうのを大事にできてる気がする。
ナカザワ:
なるほど
りん:
本当に肩書きとか偏差値とかどうでもよくなっちゃって。その人自身が自分の考えを持ってるとか、自分自身もちゃんと思いを表現できるっていうことの方が重要だなって思って。
今までの自分は結構、高校とか大学も行きたいところ行けてそれで満足してたところがあったんですけど、学習支援塾でバイトを始めてから結構痛いところを突かれることが多くなって。
バイト先の人たちが、休学して自分がやりたいことをやってたりとか、退学して全然違う方向に進んだ人だったんですね。生徒たちも自分の性格に合った学校を選んでたりとかして、ちゃんと自分の意志があるのがなんかかっこいいなって思って。
一方で自分は何か意見を求められても全然自分の意見言えなかったりとか、ずっと偏差値とかを大事にしてきたので、最終的に、自分自身何もないなって思っちゃって。
だから今は偏差値とかそういうものよりも、内面、自分の軸を持つことの方が強いし大事だなって思うようになりました。
ナカザワ:
なるほど。
りん:
バイトの塾長の旦那さんから言われた言葉が結構グサッてきて。私は、「ネクタイはちゃんと締まってるけどズボンがちゃんと履けてない」って。やっぱり中身がグラグラしてるんだなと思って、うん、ショックでした。
だからこそ、どうしようどうしようとか言う前にちゃんと自分の意思で決める人になりたいなって。そこから自分の気持ちと向き合って休学を選びました。
ナカザワ:
なるほどネクタイとズボン。
りん:
なんか見た目は真面目そうだけど中身全然ないよね、みたいな意味みたいで。
かなりショックでした。
ナカザワ:
今はどうですか。ズボンは履けてる感じしますか。
りん:
今は、はい。ちゃんと履けてる気がしています。グラグラはしなくなったのかなって思って。
ナカザワ:
ありがとうございます。りんさんの方から何か言い残したこととか、話しておけばよかったなとか、そういったことは何かありますか。
りん:
特にないです。割と言い切ったんですけど、改めて後でこう言っておけばよかったって後から、結構時間が経ってから思っちゃうタイプなのですが、今は、割と自分の内面を全部伝えられたのかと思います。喋るのは本当に苦手なんですけど、やりきれました。
ナカザワ:
ありがとうございます。
あとがき
かくいう私もインタビューを通して、めちゃくちゃでも、きちんとしてても生きれるんだな、って気づいたタイプでした。無名人インタビューはレールを外れた人生の優良なサンプルだと思っています。
「人生のレール」って何だろうな、誰が言い出したんだろうなと調べていたら、『あなたの人生は敷かれたレールに乗ってきたものでしたか?それとも外れたものでしたか?』というYahoo!知恵袋の結果がヒットしました。
他にも、人生の敷かれたレールという表現が扱われる質問がいくつもありました。
レールに乗っていることに疑問を持つタイミングでこのような問いが発露するので、たいていは外れることに対しての質問でした。順調に進んでるときはレールの上だろうが下だろうが横だろうが関係ないですからね。
もう少しインターネットの海をさまよっていたら、
「他人の敷いたレールに乗るって英語でなんて言うの?」みたいな質問も出てきました。
これに対しては、ドンピシャの慣用句的なものがあるわけではなく、「誰か他人の人生を生きる」とか「なんとなく周りの人達と同じようなことをして」という感じの表現をあてはめるみたいです。
そもそも「人生のレール」というのが日本語において慣用句的に使われていることからも、いかに多くの人が見えないレールの存在を意識せざるを得ない状況にあるかが伝わってくるなと思います。
【インタビュー・編集・あとがき:ナカザワ】
#無名人インタビュー #インタビュー #一度は行きたいあの場所 #この街がすき #離島 #海士町 #旅 #旅行
この記事は海士町関連のインタビューです。
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