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【海士町】自分がこの島を楽しむことをしないと、若い奴らが帰ってこない。人

海士町に住む人たちにインタビューする企画、やって良かったなって思ってます。なんでかって、人間は生きてるんだなって思えたから。
なんでかって、私は東京で妻と子供と3人で暮らしていて、基本家で仕事しているものだから、まあその周辺と、こうしてインタビューする人たちとしか関りがないんだけど。
でも今回のインタビューでわかったことは、「人間ってこうして生きているんだな」って手触り、リアリティ、現実感であって。
それはつまり、ある地域に、同時に住んでいる複数の人の話を聞くことで、なんかその土地に関する問題や、その土地で生きることの楽しさ、ゆるく共有されているものや、その人にしか持たされていない固有のものが、感じられて。そのわかったようなわからない感じが、一気に集まってきてめったやたらに自分にふりかかってきたから。
それがなんか、もう「生きているってこういうことなんだな」って感じがしました。
わけわからん。わけわからんのが人間だし。
その中でもなんとか前に進んで生きているから、それがまあもう、やっぱり人間なんだよな、と。
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
この記事は「無名人イン旅ューin海士町」で実施したインタビューです。
他関連記事は、こちらのマガジンからお楽しみくださいませ!!!!!

今回ご参加いただいたのは 万代 さんです!


現在:あ、あと俺、イエスマンですわ。断ることができない性格です。仕事とかもそうなんですけど、引き受けてますけど、この車とか。

qbc:
今何をしている人でしょうか?

万代:
今は、車の板金塗装ですね。

qbc:
それ以外の時間って、何をされてます?

万代:
仕事以外ですか?

qbc:
そうですね。それ以外の時間。

万代:
仕事以外は、基本はもうほぼ家ですね。ただ週に二、三回はスポーツ。バスケと、フットサル。

qbc:
それはチームがあるんですか?

万代:
チームというか、この島だけのチームですね。

qbc:
何人ぐらいでやられてるんですか?

万代:
フットサルは15人ぐらいで。バスケットは島留学の子が結構来てて。なんですごく変動がありますけど、地元の方が10人そこそこ。

qbc:なんかどんな雰囲気です?

万代:
バスケットは、本当にバスケットがしたい人が集まってきてる感じで。フットサルは、昔から仲の良い、元々はもう先輩後輩みたいな感じで始めた、のがだいたい20年ぐらい前からかな。で、そこからは島留学の人とか、サッカー経験者が入ってきたりして。フットサルは、どっちかというとバカな集まりというか。学生のときそのまま年とったみたいな。

qbc:
その先輩後輩っていうのは、どういうくくりの?学校の先輩、後輩?

万代:
ここ島なんで、中学校一つ高校一つなんで。やっぱこの上下関係、特に俺らの時代は上下関係は縦社会だったんで。でも、歳はもう上から2番目になったかな。みんな後輩ばっかりで。

最初は、やっぱ若いときは、サッカーとかフットサルが好きで。ちょっとこの島以外にもいたんですけど、そこでちょっと本気というか、ちょっと真面目にやってたんで。こっちの島に帰ってきてからも、こういうチームを作りたいなと思ってたんで、一つ二つ上の先輩と一緒に作って。でも年取ってくると、もう別にフットサルがどうのこうのとかじゃなくて。集まる、週1で集まってなんかこうわいわいしてるのが、ストレス発散というか、楽しいなっていう、そんな感じです。

qbc:
じゃあもうその創立メンバーだったってことですか?

万代:
そうですね。だいぶ減りましたけど。まぁ言ってももうみんな40歳を超えてきたので、あちこちガタがきて。ちょっともう走れんわとか。

qbc:
創立されたのは何歳ぐらいの頃ですか?

万代:
自分が帰ってきたのが28とか27なので、本当に20年前、今48なんで20年前ですね。

qbc:
なるほど。お仕事の方ってどんな感じでやられてるんですか?

万代:
仕事がですね、今のこの仕事、元々19で始めて、板金塗装。約10年間島外で。島出て、松江の方で10年ぐらい勤めて。ちょっとその仕事中に、左目を怪我して。それからちょっと入退院を繰り返して、まぁ手術ですよね。ちょっともうそのときには子供と嫁さんいたんですよ。で、なかなか生活ができないっていうので、この島に、自分とこに帰ってきたっていう形で。
で、帰ってきてから、ここは元々違う方が板金の仕事をやられとって、ここに1年半いたんですけど。なかなかね、俺がこの会社に入っても仕事が増えるわけじゃないし、人口も決まってるし、ちょっと俺の方が引いたっていうか。今まで1人でやってこられたのに、俺に給料払ってもらって申し訳ないなと思って。
ちょっと俺が引いて違う仕事を、約17年ぐらい。下水の維持管理の方を17年ぐらいやって。で、ちょうど2年ぐらい前、この仕事にまた復帰したんですよ。

qbc:
人生の中心は何か?みたいなことなんですけど、お仕事と、先ほどおっしゃられたそのスポーツやってるのと、どっちが中心でしょう?

万代:
難しいですね。でも、仕事で怪我したのが本当に分岐点だったと思うんですよ。この島に帰る気は本当は無かったんで。仕事で目を怪我したことによって、ちょっとこの島に一旦帰ろうかってなった結果、20年になってしまって。
その後ですよね、スポーツっていうのは。向こうでもスポーツやってたんですけど、目を怪我してスポーツもできなくなってしまったし。この島帰ってきて目がだいぶ良くなったので。どうせこの島いるんだったらちょっと楽しいことしたいなって思って。で、後輩とかにやろうって言って始めたんです。

qbc:
それ以外の趣味ってあります?サッカー、フットサル以外に時間使ってるもの。

万代:
いや、僕ほんと釣りもしないし。島の人間だけど、マリンスポーツがそんなに好きじゃないし。みんながいろいろしてることを、ちょこちょこやっては、あー合わんなと思って。でもビリヤードとかはやっぱり好きで、やりますね。
あと、ラジコン触ったりもしてましたね。

qbc:
それはやっぱその板金の仕事というか、機械いじり的なところが?

万代:
そうですね。プラモデルとかもちっちゃい頃から好きだったんで、もう物作りはやっぱり。出来上がっていくとか、何かを構えばもうちょっと早くなっていくとか。

qbc:
性格について、周りの人から何て言われますかね?

万代:
周りの人から…、まぁほぼ後輩が多いので、どうしても怖がられるっていうのは、一番にありますけど。慕われるてるかどうかは、わからないです (笑)

qbc:
(笑) 

万代:
でも実際のところ、本当に何かね、いろんなことをしてきましたけれども、なんか先輩だからついてきてくれてるっていう感じではありますけど。それが慕われるかどうかっていうのは、ちょっと俺には分からないですね。

qbc:
そこに関して、具体的なエピソードって何かあります?こう悩んだみたいな。

万代:
フットサルでの出来事なんですけど、15年ぐらい前に、この島でフットサルの大会をしたくて。自分は、全国からチームが集まってくる大会をしたくて。それを15年前に始めたんですよね。
で、最初はまだ30前半だったのかな。まだイケイケだったし、後輩とかもやるぞっていう感じで。それがもう3年、5年経っていき、まだ今でもやってるんすけど、その大会。小さい規模ですけど。だんだん後輩が、毎年ゴールデンウィークを目掛けてやるんで、東京や埼玉やいろんなところから集まってきてくれてたんですけど。どうしても準備片付けとか、3日間4日間後輩を拘束するっていうのが、ちょっとそこで自分も悩みましたね。俺に無理やりやらされてるんじゃないかなと思ったんです。

qbc:
具体的な文句って出ました?

万代:
いや、出てないです。

qbc:
なるほど。それは、ちなみにご自身が先輩に対して思うことと比べてどうですか?

万代:
先輩、そのフットサルのチームは先輩1人しかいないんですよね。先輩は2つ上でして。その先輩もやっぱサッカーが好きで。どちらかというと俺と一緒な気持ちでずっといてくれたので。
ただ先輩は役場に勤めてらっしゃるので、なんかいろいろそういうお金の工面とか、そういうのをお願いしてばっかりで、これはちょっと申し訳ないなっていう風に思いますけど。

qbc:
ご自身では自分の性格について、どう思っていらっしゃいますか?

万代:
面倒くさがりですよ。気持ちはすごく面倒くさがりですね。ただ、やりますけど。面倒くせえなと思いながらいろいろやりますけど。何かどうしても短気っていう。

qbc:
その他、性格でありますか?

万代:
几帳面かもしれないです。数字の細かいところとか。
あ、あと俺、イエスマンですわ。断ることができない性格です。仕事とかもそうなんですけど、引き受けてますけど、この車とか。多分他じゃもう直さないなとか、変えた方がいいよとかっていうのを、直すよって言って。めちゃくちゃ面倒くさいんですけど。(笑)

qbc:
(笑)

万代:
めっちゃくちゃ面倒くさい。なんであんなこと言ったんだと。

qbc:
なるほど。身近な人、ご家族、親友だったりとか、パートナーの方だったり、プライベートに近い人から見える、意外な一面があったら知りたいっていう質問なんですが。

万代:
俺、家では多分ほとんど喋らないんですよ。ただそれが、こうね、後輩とか連れとかといると喋ったりとか。
一番俺言われてショックだったのは、お前は笑うんだって親に言われたとき。家でそれだけ笑ってないんだと思うんです。

qbc:
お母さんお父さん、どちら?

万代:
両親は、小学校1年の時に離婚していて、今、母親と暮らしていますけど。

qbc:
お母様に言われる?

万代:
言われますね。

qbc:
好きな食べ物について教えていただきたいです。

万代:
好きな食べ物はもう、ザ・子どもなんでね。ハンバーグとかカレーとか、焼きそばとか。子供が食べるもの。

qbc:
カレーっていろんなカレーがあるじゃないですか。何カレーが好きですか?

万代:
辛口が特に好きなので。香辛料のきいたスパイスカレー。

過去:考えても結果、答えが出ないんですよね。やらないと答え出ないなと思って。で、もうやろうと。で、やり始めたのが、2年前です。楽しかったですね。初日から楽しかった。

qbc:
過去について聞いていきます。子供の頃は、どんな子供でしたでしょうか?

万代:
さっきも言いましたけど、小学校1年の時に両親が離婚してですね。俺は親父についていって。あと弟が1人いるんですけど、弟と親父と3人でこの島から出て行ったんですよ。
そっから親父は、トラックの運ちゃんをしてたんで、親父はほぼ家にいない。ただ、うちの親父のお袋が本土にいたので。そこで、要はおばあちゃん子になりましたね。おばあちゃんに育てられました。でも、弟もいたし、親父はいないしで、ちょっと周りのことばっかり気にしながら。

qbc:
弟さん、何歳離れですか?

万代:
弟は三つ下の弟。小学校1年の時、まだ3歳とか。

qbc:
その時してた遊びって、どんな遊びですかね?

万代:
メンコですね。

qbc:
そのメンコに何が描かれてましたか?

万代:
何が描かれてたっけな、あれは。えーと、多分キン肉マンとか。キン消しも流行ってたし。ビー玉とかでも遊んでましたね。でも、メンコがキン肉マンかどうかっていうのは…でも、いろいろありましたね、四角いやつやら丸いやつやら。

qbc:
性格的にどんな性格の子だったかとかは?

万代:
多分めちゃくちゃ、おとなしかったと思います。

qbc:
今と違います?

万代:
いや基本多分、基本は多分そうです。あんまり家からも出ないし。新しい雰囲気は好きですけど、嫌いなわけじゃないですけど。どちらかと言えば、黙ってるタイプですね。

qbc:
小学校時代はどんな感じの?

万代:
やっぱりもうずっと、やっぱり身体を動かすことが好きでしたね。小学校からずっと陸上やったり、サッカーやったり野球やったり。サッカーと野球はずっとやってましたね。
転校も、本当にこの島から出てから、本土で3回転校したので。転校先で野球やったりサッカーやったり。

qbc:
その転校先で流行ってるのをやるみたいな感じですか?

万代:
転校していくとやっぱ、近所の人が転校生っていうので声かけてくれて。その子が野球やってるけど野球やる?って言って入ったり。別の転校した先ではサッカーだったりしました。

qbc:
ちなみにどの辺りを回られたんですか?

万代:
最初は米子に。その後、弓ヶ浜。その後、同じ鳥取県の境港。境港で2校転校して。なんで友達はめちゃくちゃいますよ。

qbc:
今もお友達と連絡を取ってらっしゃる?

万代:
米子の友達はほぼいないですけど、境港の友達とは何人か。

qbc:
中学校は?

万代:
そうですね、中学校2年のときにこの島にまた帰ってきたんですけど。それは弟も一緒に。

qbc:
ここからお母さんと一緒ってことですか?

万代:
そうですね、親父から離れてこの島に、お袋のところに来たっていう感じです。ここで名字が変わるんですよね。

qbc:
うんうん。島の同い年の子たちとは面識とかは?小1の頃以来で。

万代:
俺がうっすら覚えてる人が1人2人とか、もう本当に少数だったんですけど。相手からしたら、全員俺のこと知ってるっていう。それはもう、上の人も下の人も。

qbc:
どんな気持ちだったんですか?中学生のとき。

万代:
まず帰ってきたときは…、自分の故郷に帰ってきたっていう感じでは全くなかったですね。もう本当に初めて来たみたいな。やっぱ小学校1年のときに出ていったけど、その後に転校も3回ぐらいしたので、この海士町の、自分の中の思い出がないんですよね。消えていったみたいな。

qbc:
逆に覚えてるところ、ありました?

万代:
すごい近所に同級生がいたんですけども、その子のことは覚えてました。なんか小さい頃一緒に遊んだなっていう。で、写真を見せられたんですよね、母親に。それを見たときになんかちょっと、ふわっと思い出したとか。

qbc:
この中学生のとき、スポーツはどんな?

万代:
中学校は、境港の時に野球部にいたんですけど。この島に帰ってきて、最初に担任の先生といろいろ話をして、何部に入りたい?って言われて。野球やってたんで野球部入りたいですって言ったら、いやここには野球部ないぞって言われて。じゃあサッカーしてたんでサッカー入りたいですって言ったら、サッカーも無いぞって。
逆に何があるんですか?って聞いたら、テニスとバレーとバスケットだって。でも全部やったことなくてですね。かじったことすらなくて。一旦ちょっと考えますって言って。で、その記憶にあった近所の友達に何部?って聞いたら、バスケ部だよって言ったので。じゃあ俺バスケ部入るわって言って。

qbc:
そっから、どれぐらいバスケ部?

万代:
本当にその中二、中三。って言っても中三ときは夏までなので。1年半、バスケ部。そのままこの島の高校に行ったけど、バスケ部がないんですよ。

qbc:
ない?なるほど。

万代:
ただ、サッカー部はあるんですよ。で、サッカーが好きなので、サッカー部に入るっていう。

qbc:
の当時のスポーツの楽しさって、どんなところに感じていました?

万代:
当時は、本当に今みたいにDVDも無ければ、YouTubeもないし、パソコンもないじゃないですか。たまに持ってるビデオ、NBAの選手のビデオとかしかなかったので。バスケットの場合は本当に、リングに入れるっていう楽しさですかね。

qbc:
参考にするものって何だったんですかね?

万代:
先輩ですよね。うまい先輩とか、真似しようって。でも、中学校のバスケのときは楽しくなかったですね。初めてやったスポーツで。周りは小学校からやってるんですよね、バスケット。
なんで、どうやったら追いつけるかなって。自分はやっぱり一番下手くそで。楽しさは無かったですね、あの時は。

qbc:
サッカーになってからはどうだったんですか?

万代:
サッカーになってからは、ちょっとサッカーには自信があったので。でもやっぱり高校の2個上の先輩は、やっぱり人数も多かったですし、うまい方も結構おられたので。

qbc:
その人たちと、今も一緒に活動している?

万代:
そうですね。1人しか残ってないですけど。

qbc:
ご家族から、どのように育てられたと思っておられますか?

万代:
うーん…母親からは、小学校1年までの記憶はほとんどないので、中学校2年からなんですよ。母親って感じがしないんですよ。もう離れすぎてたんで、一緒にいなかったので。なかなかやっぱり、お母さんとか母ちゃんとかって言うこともできなかったです。どっちかと言えば、もう本当に弟の面倒見てたんで。
本当に母ちゃんも多分あんまり、俺を触ることもしなかったので。中学校2年からだったんで、投げっぱなしでしたね。悪さばっかりしてましたけど。

qbc:
中2の時、お父さんとはどんな関係だったんですか?お母さんのところに行ったきっかけというか。

万代:
そうなったきっかけは、弟が、親父のところで犬を飼ったんですけど。秋田犬で、結構大きな犬。その散歩行ってる最中に、雨が降ってきて。畑のとこに小屋があって、そこで雨宿りをしてて。で、寒くなって、そこにあったライターか何かで、藁に火をつけて。そしたらもう、それごと全部燃えてしまって。結構大ごとになって。
で、親父は、お前らが後ろ指をさされて生活するのは、ちょっとつらいと。俺は何言われてもいいけど、「あの子火つけた子だよ」とか言われるのは。だからお前ら隠岐に帰らないかって言われて。お前らっていうか弟に。で、俺に親父は、お前どうする?って聞いて、そんなもん弟1人で隠岐に行かせるわけにいかんって。で、この島に帰ってきて。

qbc:
なるほど。生まれ育ったところは、どんな風景でしたか?

万代:
うちが、隠岐神社の横なんですよ。隠岐神社の真横で。隠岐神社の風景しか、なかったですね。

qbc:
どんな風景?

万代:
桜ですね。

qbc:
はい。

万代:
多分、1歳2歳3歳4歳5歳とか、そのぐらいのことって、もうほとんど覚えてないんですよ。ただ小学校に上がったっていうのは覚えてて。母親とか…誰かと一緒に写真を撮ったと。ピカピカのランドセル背負って。それが桜の木の下で撮ってたんですよ。その記憶しかなかったんですよ。

qbc:
桜がこう、どんな感じで生えてるんですかね?

万代:
そうですね。隠岐神社。まだ行ってないですか?

qbc:
行ってないです。

万代:
鳥居があって、鳥居からずっと、入るまでずっと結構長いですけど、そこにずっと桜が。100mぐらいあるんかな?あそこは。まぁ200m300mぐらいあるかな。

qbc:
なるほど。ありがとうございます。高校の後はどういう進路進学に?

万代:
高校の後は、サッカーを続けたくて。学校の先生にお願いしたら、広島に働きながらサッカーできるところがあるぞって。進学する気は全くなかった。で、広島といえばマツダなんで。マツダの、車の精密部品を作る会社で、午前中仕事して、昼からサッカー。そこに勧められて、広島には行ったんですけど。広島にいたのが2日だけでしたね(笑)

qbc:
(笑)

万代:
そこで、もう大揉めで。大揉めで、こんなとこいれるかって言って2日目にはいなかったです。

qbc:
次の日はどこに?

万代:
3日目からは松江にいましたね。

qbc:
松江の誰かを頼って行かれたんですか?

万代:
松江には同級生が何人か、就職してたので。とりあえずそっちのとこに居候しながら。で、そいつと同じ会社に勤めて。ただやっぱり、自分のしたい仕事じゃなかったので、半年で辞めてしまって。それからですね、板金塗装をはじめたのは。

qbc:
それから、松江で10年ぐらい働かれてってことですかね?

万代:
そうですね。9年、10年くらい。

qbc:
その松江時代ってどうでしたか?

万代:
そこで結婚もできましたし。バスケットもしてましたし、サッカーもしてましたし。まだ全然20代。ばりばり、まぁ楽しかったですよね。自分の好きな仕事ですし。ただ、給料はすごく安かったんですけど。それ以上に楽しかった。仕事は楽しいし、休日は自分の好きなフットサルしたりサッカーしたりとか。

qbc:
目の怪我ってどういう怪我だったんですか?

万代:
仕事中、ボンネットが少し曲がってて、片手でちょっと小さいハンマーを当てながら、大きいハンマーで殴ってその周りを出してくと。その小さい方のハンマーが欠けて、それが左眼を貫通して網膜に突き刺さったっていう。

qbc:
すぐ手術ですかね?

万代:
そうですね。そっからちょっと病院も、二、三件回ったけど、うちじゃ無理っていうので。3件目ぐらいでようやく。もうその日にすぐ手術。1ヶ月入院して、ただこの網膜のことなので安静にしてくださいと、仕事もしないでくださいと。
で、2ヶ月ぐらい安静期間、でもその間に再発して網膜また剥がれる。1年間で4回、結果手術して。一応労災だったんすけど、労災は6割しか出なくて。とてもじゃないけど生活できない。それで嫁と子供をこの島に帰らせたっていう。

qbc:
島には一緒に帰ったんですか?

万代:
自分はまだ入院してたんですけど、一旦先に帰っててくれって。

qbc:
で、ご自身も帰られるっていうことですか?

万代:
そうですね。

qbc:
戻ってこられていかがでした?どういう気持ちで?

万代:
嫁さんの方も、帰る気は本当にさらさら無かったので。ただ生活ができないから、一旦ちょっと隠岐に帰ろうって。本当に、一旦っていう気持ちでしたね。で、自分もそうでした。なので、永住しに帰って来たわけじゃなかったんで、別に何とも思ってないですよね。ただ、ただ帰ってきてるだけだよっていう。なんで、気持ち的にはそんなに。

qbc:
そこから30代、どういう変化があったんですかね?

万代:
うーん、何だろうな。やっぱり島に帰ってくるのって、盆正月ぐらいで。それ以外ってあんまり。盆正月ってやっぱりちょっと慌ただしくしてるじゃないですか。そういう親を見てるので、普段の日の島の母親を見てなかったんですよね。
普段の親を見てると、1人ですし。そのときにはおばあちゃんもいたんですけども。なんかちょっと切ないというか。どのみち俺帰ってこなきゃいけないかなと思って。で、そのままこの島にいるか?ってそのとき嫁に聞きました。

qbc:
それって何歳のときかって覚えてらっしゃいます?

万代:
もう、すぐでしたね。29とか30ぐらい。帰ってきたのが28ぐらいなので。

qbc:
じゃあもう、1年経つか経たないか?

万代:
そうですね。そのぐらいにはもう嫁に言いましたね。

qbc:
その気持ちの中での30代って、どういう風にこの島で過ごされてたんですかね?

万代:
仕事に関しては、ここで元々板金をやっておられた方がいて。15歳ぐらい年の離れた方なんですけど。で、その方しかいないし。ゆくゆくは自分の工場を持ちたいと思っていたので。ただ、島に板金は2軒もいらないと思ってたので、ちょっとそこでお世話になって。仕事はこの仕事でやっていこう、自分の工場を持ってって。嫁にもゆくゆくは持ちたいかなって言って。
気持ちの変化っていうのは本当に、すごかったですね。30ぐらいのときにやっぱり。島に永住っていうことを決めたりとか、この仕事をやっていくんだっていうの決めたりとか。
でも1年半後には、板金でお世話になってる方に迷惑じゃないかって。気持ちの変化がすごかったですね。

qbc:
そこから板金のお仕事から離れることになると。

万代:
そうですね。

qbc:
いろいろ変化がある中で、島を出ないって踏みとどまれた要因って、何だったんでしょう?

万代:
やっぱ親ですね。1年、2年近くいて、親にも一旦いるだけとは言ってたんですけど。このばあちゃんと母親を残して、また島を出るのかと思ったら出れなかったですね。

qbc:
そこから気持ちは安定されました?

万代:
それからまた新しい仕事に飛びこんだんすけど、下水道の方に1回。17年ぐらいしていたんですけど、全然1日も楽しいと思ったことはないですね。
でもやっぱり嫁子供がいたし、生活は安定したし。この島は、建設業がだんだん落ちていくって言われてる時代だったので。一番何が安定ってなったときに、下水道絶対なくならないし。ただ人が嫌がる仕事だったんで、3Kで。そこはやっぱり子供がいたってのが大きかったので。ここで金を稼ごう、本当に金を稼ぐだけって思ってました、こっちの仕事は。

qbc:
今の板金の仕事に再びつかれたのは何年前でしたっけ?

万代:
ちょうど2年前でしたね。

qbc:
どうでした?2年前。

万代:
いや、その2年前、2年2ヶ月前ですか。今この板金には、違う社長がいるんですけど、その人から話が来て、それが2つ下なんですよね。そこから話が来たときには、嬉しいっていうよりかは、もうマジかっていう。ちょっと17年ぐらいのブランクがあるので。いや、無理じゃないかなって。でもこの島に板金塗装がなくなったら駄目ですよって。かといって自分もブランクがあるし。本当に板金塗装で食っていけるのかっていうのもあったし。
で、ちょっと考えさせてって言って、2ヶ月近く考えたんですけど。考えても結果、答えが出ないんですよね。やらないと答え出ないなと思って。で、もうやろうと。で、やり始めたのが、2年前です。楽しかったですね。初日から楽しかった。

qbc:
何が楽しかったですか?

万代:
やっぱ車いじるのが好きでしたね、ちっちゃい頃から。板金の仕事は10年ぐらい松江の方でやってたんですけど。それを本職にしてずっとやっていこうと思ってたので。それがまたできてるっていう嬉しさ。なので、すごい楽しかったし。
今もです。今も、結構毎日が充実してますね。

qbc:
人生の転換点、変わるターニングポイントは、あるとしたら何個置ける?どこに置けると思いますか?いくつでも。

万代:
いくつか、多分あると思います。幼少期だったらやっぱり小学校1年のときと、中学校2年のとき。で、目を怪我した27のとき。それと2年前ですか。そしてその2年前、だから4年前か。4年前には一回離婚してるですけど、そこもターニングポイントかな。

qbc:
話が戻るんですけど、板金塗装について「やらないと答え出ないな」って思ったパワーって何だったんですかね?悩んでも答え出なくて、やらないと答え出ないなっていうふうに、踏み切った力って何だったのかなと思って。

万代:
まぁ1人だったっていうのが、結構。その前に離婚してたので。子供ももう高校卒業して、っていう状態だったので。1人だったっていうのも大きいし。
俺いろいろやってるんすけど、その2個下っていうのにすごく世話になってるというか。

qbc:
どんな風にお世話に?

万代:
何かやる度に。向こうからしたら使われてると思ってるかもしれないですけど。昔から頼りにしてるんですけど。何でも引き受けてくれたりとか、一緒にやってくれるんですよね。

qbc:
なんで一緒にやってくれてるかって分かります?

万代:
それは俺からしたら、2個上だからやらされてるんじゃないかというと思うんですけど。そういう話したら、違うとは言ってくれるんすけどね。万代さんだから一緒にって言ってくれますけど。

未来:今の副町長に、何年ぐらい前かな、何年か前に、人生って思い出作りだ、みたいな感じで言われて。それがずっと、ずっと残ってるんすよ。何かある度に、考えたりとか悩んだりするけど、その言葉が出てくるんですよね。

qbc:
未来について、残り10分ぐらいなんですけど、聞いていきます。5年10年30年40年、最後死ぬっていうところまでイメージして、今、未来ってどういうふうにイメージされてらっしゃいますかね?

万代:
それ、自分の未来ですか?

qbc:
自分。

万代:
自分の未来…。俺多分早く死ぬと思うんですけど。
あの、副町長がいるんですけど。今の副町長に、何年ぐらい前かな、何年か前に、人生って思い出作りだ、みたいな感じで言われて。それがずっと、ずっと残ってるんですよ。何かある度に、考えたりとか悩んだりするけど、その言葉が出てくるんですよね。じゃあ、やろうかみたいな。最初に言ったちょっと面倒くさいことでも、その言葉が出てくると、もしかしたらこの先に何か面白いこととか思い出ができるんじゃないかって。

qbc:
それはおいくつの時に聞いた言葉か、覚えてらっしゃいます?

万代:
たしか10年近く前だと思うんですけど。副町長は、その時酔ってましたけど、酔ってなくても多分言ってると思うんですけど、ほんとその言葉が。で、元々この17年、下水道の仕事してたんすけど、そのときから…。
あ、うち、おふくろがスナックやってるんすよ。そのスナックを、スナックっていう形じゃないにせよ、何か人が集える場所にしたくて。なので、もうその下水道の仕事を辞めて、そっちの方にっていう気持ちがあったんですよ。
で、そのときに、この板金の仕事が来たので。でも今も、この仕事しながら、それはもう手伝いで週に2、3回とか、手伝ったりとかしてますね。本当は将来的には、人が集える場所、空間作りがしたいっすね。

qbc:
今、その方面で、部分的にできてたりするものってあります?

万代:
それが多分、イベントだったりかな。

qbc:
どんな気持ちになるんですか?そういうとき。それを主催したりというか開いたり、実際人が来てくれたときに、ご自身のお気持ちはどうですか?

万代:
思ってたものとは多分違う形になったりするんですけど、ただそれが全然悪くない。全然悪い方向じゃなくて。あ、こんな感じになってくれるんだっていうのもあるし。

qbc:
シンプルに、嬉しいのか嬉しくないのかで言うと?

万代:
あー、もう当然嬉しいですよね。嬉しいですけど。すごいなって。良かったなっていう、やってよかったなっていう。

qbc:
その気持ちのピークってどんな瞬間ですか?例えば何かその人の表情を見てなのか、人だかりを見てとか。どういう?

万代:
まず人だかりを見て、ですかね。こんだけ集まってくれたっていう、喜び。あとやっぱり、スタッフですよね。いろいろそういうことをしてきてはいますけど、来る人だけが楽しいんじゃなくて、やる側も楽しんでやろうっていうのが自分のスタイルで。

qbc:
やる側が楽しいって、どこからきた考え方なんですかね?やる側も楽しいって。

万代:
それがフットサルの大会のときですかね。もう最初、すごくしんどいんですよね、準備とか。でもその準備からいかに楽しくできるかっていって、やるんですけど。
でもそれはもう、人と人となんで。当然そのね、体動かすことは誰でもしんどいんですけど。でもそのしんどいのを、一対一の人と人との関わりで楽しい方に持っていって。

qbc:
もしもの未来の質問というのをしていきたいんですが、もしも目に怪我をしてなかったらどんな人生になってたと思いますか?

万代:
あー、それよく考えましたね。多分この島には帰ってきてないと思います。多分、この仕事を本土の方で続けていると思いますね。

qbc:
そのままってことですかね?

万代:
そうですねー。もう本当に、天職じゃないかって思ってたんですよ、板金が。松江にいた時から。

qbc:
もの作りですか?

万代:
そうですね。

qbc:
そこは何が楽しいですかね?もの作り。

万代:
当然、へこんだ車とか傷ついた車が直っていく様っていうのはやっぱり、気持ちがいいし。やっぱその先、やっぱお客さんが喜んでるときは。いや、マジで!みたいな。あれが治るんだー!みたいな。全然わからないじゃん、本当にありがとうございますっていうのが、やりがいでしたね。今でもそうですけど。

qbc:
先輩より、上の世代とのお付き合いってどんな感じですか?

万代:
上の世代との付き合いも、どうしても、ありますよ。やっぱ島にいるので。この海士町って島の中にも14の地区があるんですけど。その地区の集まりの付き合いもありますし。それ以外の人とか。仕事、さっきもインタビュー中にお客さんが来られましたけど、仕事でも全然付き合いは。母ちゃんの店にもたまに行ってますので、母ちゃんの年代の人とかも付き合いがあります。

qbc:
海士町で何かしたいこととか、こうなってほしいみたいな。未来を見据えて何かありますかね?思うこと。

万代:
いや、もっと地元のやつが頑張れと思いますね。

qbc:
(笑) あ、そっかそっか。外からたくさん来てるから。

万代:
そうです。外から優秀な方がいっぱい来られるんですけど。やっぱりでも、この島のことがわかってるのは地元のやつだと思ってるので、そういう外の人ばっかりが何かやってくれるって思うんじゃなくて。
俺らも昔は若い部類でしたけど、今もう50前になんで。20代30代、お前らもっと頑張れよっていう。っていうのは、もうめちゃくちゃ思いますね。

qbc:
そのために何かやられてることっていうのが、イベントだったりするんですかね?

万代:
そうですね。なので若いときにやってたイベントを、もう下の年代に振っていって、俺らがサポートする。どうしても自分たちがずっとやってしまってきてたので、それが逆に良くなかったのかなって。そいつらに早くバトンを渡して。自分らが来なくても動いてくれるって思わせたほうがいいなって。

qbc:
島の未来は、明るいと思ってらっしゃいますか?

万代:
これはすごくグレーですね。すごくグレーですね、ちょっと。

qbc:
なるほど。

万代:
今の、その島留学とかそういう制度は、全然悪くないと思ってますけど。それを作ってる役場の方たちが、もうちょっと考えないとだめかなっていう。
すごく若い方が入って来られて、町民の方はやっぱりいろいろ助けてもらったりとかしてますし。だけどその反面、ちょっとその先どう考えてんのっていうのが。

qbc:
それは5年後10年後のことですか? 30年とか、もっと先のこと?

万代:
いや、もう近年だと思いますよ。

qbc:
数年後? 2、3年?

万代:
5年以内。

qbc:
5年。うんうん。

万代:
何を目指してるのかなって。人を呼ぶっていうこと自体は、わかるんですけど。島自体は明るい未来ではないと思います。

qbc:
これは答えられなくても全然大丈夫なんですが、そのためにどうしたらいいかっていう、イメージ、具体的なプランとかって話し合われたりするんですか?

万代:
一応僕ら世代ぐらいから、30そこそこくらいまでで、集まりがあるんですけど。その年代でいろいろ、ああじゃないかこうじゃないかっていう話はしてるんですけど。してるだけであって、そういう年代から本当は議員さんとか、町長さんが出ないとなって。
それから、その前にやっぱり、自分がこの島を楽しむことをしないと、まず若い奴らが帰ってこないですよね、この島に。一時的な島留学とか、Iターンの方はおられるんですけど。ただそれじゃ駄目なんで。
もうIじゃなくてUターンをいかに増やすか。でもこれってやっぱり強引じゃ駄目なんですよね。そいつの人生もありますし。

qbc:
島の楽しさってなんですかね?

万代:
これは多分、良いも悪いも、人と人が近いところですかね。
あと、何もないのが、楽しいっていうか。何もないのもいいと思うんですけどね。ないものはないってキャッチフレーズあるんですけど、あれ完全に後付けですね。ほんと後付けだと思ってますけど。そんなん最初からわかっていたことだし。

qbc:
でも、そのキャッチフレーズに共感はするんですね?

万代:
共感は…うん。

qbc:
自分たちはもう知ってたけどっていう話ですね(笑)

万代:
今更かよ、みたいな感じなんですけど。ただ良い方に、良い方に持っていってますよね。

qbc:
ありがとうございます。最後の質問が、最後に言い残したことはっていうことなんですが、これもう遺言でもいいです。インタビュー振り返っての感想でもいいし、読んでくれてる人へのメッセージ、あるいは今回、海士町インタビューなので、海士町関係者というか町にいる人たちのメッセージでもいいです。
最後に言い残したことがあればお伺いしております。

万代:
言い残したこと…。町民にも、Iターンにも、島留学にも。この島にいない本土出身の方にも、みんなに「海士町をよろしくお願いします」ですかね。

qbc:
どういうアクションをしてほしいですか?来てほしい?知ってほしい?

万代:
それは多分さっき言った、今いる海士町のやつらは、もっとちゃんと海士町の事考えるとか、いろんなこと。
Iターンの方には、本当Iターンの方がすごく頑張ってくれてるんですよ、引き続きよろしくお願いしますっていう。
島留学の人は、絶対やっぱ出るんで、出た後ですよね。出た後にやっぱり海士町のこと喋ってもらえれば、という意味でよろしくお願いします。
島以外に住んでる島のやつら、元々ここで生まれ育ったやつらは、まぁ帰ってこなくてもいいんだけど、海士町のこと頼むよっていうのを。いろんな、いろんな形の凝縮で。

qbc:
ありがとうございます。

あとがき

ぜんぜん違うんだよ。ぜんぜん、ぜんぜん違うんだよ、と思う。
何が? って、同じ地域に住んでいる人たちでも、考えていること違う。そりゃ性別が違えば。そりゃ年齢が違えば。同じなわけないじゃん。でも、遠目から見てたら、同じところに住んでたら似てるのかな、って勝手に思ってた。
でも、ぜんぜん違うんだよね。
でも、似てる部分もあって。その似てる部分があると、やっぱ同じ土地に住む人なんだなと思ったりする。
その、固有のものと、共有のもののと混ざり合いが、人間の生活、暮らしなのではないのかなと。思った。

【インタビュー・あとがき:qbc】

【編集:mii】

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この記事は「無名人イン旅ューin海士町」で実施したインタビューです。
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