後継ぎと人 西本紫乃-004 2024/08/27
西本紫乃さん(チア世界一、老舗料亭の後継ぎ、新卒)の、大学生時代について聞く、の2年生部分です。
いやー1年がこんなに長くなるとは思わぬものを。
まえがき:qbc(無名人インタビュー主催・作家)
参加いただいているのは西本紫乃さんです。
instagram:https://www.instagram.com/shino.n.too/
西本紫乃さんの過去インタビューはこちらから!
近況:”花火と酒と挑戦と” 料亭がバーに変身した夜
qbc:
近況はいかがですか?
西本紫乃:
前回話したのは1ヶ月前くらいですよね。
qbc:
そうですね。
西本紫乃:
ちょっとたくさんありすぎて、一言でまとめられるような感じではないんですが、お盆の中日に地域の花火大会があったんですよ。
qbc:
はい。
西本紫乃:
私にとっては初めての取り組みだったんですけど、その日に料亭の1階をバーとして開放したんです。
それで見えてきたものがたくさんあったので、一つの大きな出来事だったかなと。
qbc:
うんうん。
西本紫乃:
その日は営業形態がガラッと変わったので、オペレーションも全然違っていて。そのオペレーションに対応できるように、事前に従業員とコミュニケーションを取って、営業に挑みました。
準備するべきところはしっかりできたなって感じだったんですけど、実際やってみると想定通りにはいかないことがたくさん起きて。
でも、それで気付けたことも多い1日だったので、よかったなと思ってます。
qbc:
具体的にはどんな気づきがありましたか。
西本紫乃:
料亭として認知されているけどその日はバーとしての開放なので、お客さんが料理を求めて来ているのか、ドリンクを求めて来ているのか、期待が読めないところがあり、どっちも準備していたんですよ。料理も一定のクオリティで用意していて。
qbc:
レギュラーメニュー?
西本紫乃:
はい。普段コースで出しているようなメニューで、アラカルトでお出しできるものを準備していました。
飲み物も普段出している種類ってかなり多いんですけど、それが全部出せるような状態で整えていました。
qbc:
うんうん。
西本紫乃:
読めないから最大限の準備をするっていうこと自体は良かったんですけど、色々なものを用意しすぎてイレギュラーを起こしやすかったというか。
どの注文が入るかこちらでコントロールできない状況を、自ら作っていたな、と思います。
qbc:
うん。
西本紫乃:
どういうお客様に来てもらってどうオペレーションを組むか、という、作りたいお店の形を決めていく必要があるなと気づいた。
頭では理解していたけど、実際に最大限の準備をして挑んだからこそ、どこを削り、どこを伸ばすかっていうのが鮮明になりました。
qbc:
うんうん。
西本紫乃:
あと、当日女将が体調不良でダウンしていたんです。私とアルバイトの従業員だけで営業したのもあり、女将の知り合いやよくいらっしゃるお客様の対応を私がやることになって。
その分私がやっていたことをアルバイトがやる状況になったので、自分を含め、いつも女将の元で動いているメンバーの仕事の幅・できることが増えたっていう感覚も得られましたね。
qbc:
なるほど。その他には、今月何かありましたか?
西本紫乃:
先月色々と考えた分、8月は動く月にします!みたいなことを言った気がするんですけど、だいぶ動き出せたかなと思います。今回のバー営業もそうですし。
予約が入ったら、事前にどういうお客様なのかを今までより詳しく情報共有することができたし、採用面でもプロジェクトが動き出したところで、その準備ができた。
今後の経営の戦略が動き出せているし、動いた分、さらに鮮明に見えてきている感じですね。
具体的に8月やったことでいうと、バー営業ぐらいなんですけど。
qbc:
日々のオペレーションの改善が行われた、ってことですよね。
西本紫乃:
そうですね。情報共有の部分もそうですし、動線はもっとこうしたらいいよねっていう意見が出て、それに沿って改善したりとか。
そういうことを繰り返していて、8月はそのサイクルが早くなった感じです。
qbc:
言い換えると、前よりもチームができてきたって感じですよね。
西本紫乃:
そうですね。話す内容も結構変わってきた感じがします。ちょっとずつですけど。
qbc:
ちなみにそれって、チアリーディングでいうとどれぐらいの段階だと思いますか?新入生とか?
西本紫乃:
アメリカで優勝したときのチームの状態が100だとして、入部が0だとしたら、5〜10くらい。
自分の理想に比べると、まだまだ先は長そうだなという感じですね。
qbc:
日数でいうとどれぐらい?入部してから1ヶ月ぐらい?
西本紫乃:
高校1年生で入部したあたりを0だとして、3年後が100だとしたら、5〜6になった感じですね。8月に、5だったのが6になったくらい。まだまだです。
qbc:
ちなみに、バー業態の今後のイメージはあるんですか?
西本紫乃:
1年後ぐらいのイメージでいうと、定期的に営業をしていきたいなと思っていて。
週に3日から4日ぐらいはやっている状態にしたいです。
qbc:
そんなになんだ。
西本紫乃:
バーとしてがっつりやるっていうよりかは、宴席が終わった後にバーをやる感じ。
遅め開店の営業を3日から4日ぐらい常にできるような状態が、私のイメージとしては理想状態に近いです。
なぜかというと、会席料理のコースで使う食材が毎日必ず余るんですよ。それをお酒のあてにすることができるんです。
qbc:
なるほどね。
西本紫乃:
それと、日曜日と月曜日はこの近くの飲食店や飲み屋さんが閉まってるんですよ。
よく越前市に来てくださる方のお話の中にもあるんですけど、飲みに行く場所があんまりないからあるといいな、と。特に日曜日は開いていないので。
そういう場が欲しいし、あれば行きたいって人がいるだろうなっていう感覚はあるんですよね。
qbc:
うんうん。
西本紫乃:
そういう営業があると、アルバイトのメンバーとか従業員も楽しいって言ってくれてるんです。
今のメンバーで全部を回そうとするとキャパ的に難しいんですけど、1年後だったら採用もちゃんと進んでいると思ってるので、分担もできるし。
そのときに、バー営業もある体制を作れていたら、新しいお客様と出会えるし、働いてる側も楽しみが増えると思っていて。
qbc:
うん。
西本紫乃:
直近でも、できるときには営業をしようと思ってます。
9月も、日曜日にお昼に宴会があって夜の予約がない日があるので、そういうタイミングで無理のない範囲から始めて、長く続けて少しずつお客さんや地域の人にも料亭バーを認知してもらえるように動いていこうと思ってます。
”キャンパスを超えて”大学生活という名の冒険
”共創の舞台裏”学生が挑むビジネス空間の運営
qbc:
大学2年生ですね。
西本紫乃:
どこから喋ればいいですかね。
qbc:
1年生の終わりは、営業のバイトを辞めて、100人とオンラインで話していた感じだったかな。
西本紫乃:
はい。そこから接続していく感じでいきますね。
qbc:
はい。
西本紫乃:
2年生の4月まで営業のインターンを続けていて、4月末で辞めました。
でも、自分から辞めますと言ったというよりかは、自分が所属していた営業の部署が縮小することになったので、それに伴って解雇される形になって。
その話は結構前から聞いてはいたので、別のところでインターンをしてみたいなという気持ちになっていて。
qbc:
うん。
西本紫乃:
たまたま友達に誘われて、同志社大学と京都大学の間にあったコワーキングスペースの、インターンシップのような形で、一緒に事業をやってくれる人を探していたので始めることになりました。
qbc:
はいはい。
西本紫乃:
そこのコワーキングスペースは、私が大学に入る1年前くらいにクラウドファンディングで京大の方が立ち上げたプロジェクトで形になったんです。
それで、そこの2期目をやってくれないかみたいな声がかかって、入ることになった感じですね。
qbc:
うんうん。
西本紫乃:
2年生の期間に所属していたところを先に言っておくと、そのコワーキングスペースの運営と、自分で立ち上げた学生団体で動画のコンテスト。
qbc:
動画のコンテストは、参加じゃなくて主催?
西本紫乃:
主催です。それを2年生のタイミングでやっていました。
あとは、カフェのバイトはずっと続けていて。コワーキングスペースは、日々の店舗の業務と、利用者を増やすためのイベントを企画していました。そこにめっちゃ時間を使っていて、大学の授業に出ていた感じですね。
2年生が一番授業が多かったので、それをこなしながら。というかこなせてなくて単位落としたんですけど(笑)
qbc:
すごい基本的な質問だけど、何学部だったの?
西本紫乃:
商学部です。
qbc:
今思い出してみて、コワーキング、動画コンテスト、カフェバイト、大学の授業って、意味としての割合ってどんな感じですか?精神的なところでいうと。
西本紫乃:
今の時点から見ると、コワーキングスペース5、動画コンテストが3、バイトが1、授業が2くらいでやってたかな。自分の記憶に残ってるのは、そんな感じですね。
qbc:
コワーキングが強いんですね。
西本紫乃:
そうですね。
qbc:
この4つのうちで、なぜコワーキングが半分を占めているんですか?
西本紫乃:
メンバーがたくさんいたんですけど、私と同じタイミングで12人いたんですよ。
qbc:
うん。
西本紫乃:
その人間関係というか、チームになっていく過程が濃かったです。
半年から1年くらい集まったメンバーが、その後は散らばって今は色々な場所に行っているけど、コワーキングスペースを一緒に運営したときの思い出は自分の中で大きい経験だったと感じてます。
qbc:
うん。
西本紫乃:
あとは、シンプルに割いていた時間がめちゃめちゃ多かったからですね。
授業もオンラインで受けられるものはコワーキングスペースを使っていたし、それこそ動画のコンテストもコワーキングスペースを使ってミーティングしたりしていたので。
ずっと近くにあった場所であり、仕事仲間であり、仕事だったので、半分は占めるなっていう感じです。
qbc:
具体的には、どんなことをしていたんですか。
西本紫乃:
店舗運営でいうと、日々の受付業務はもちろん、内装をどういうふうにするかを話し合って決めて動いたり、コワーキングスペースでイベントをしてもらえないか営業したり。
地元の京都の企業さんと協力してイベントの企画をしたりとか、繋がった企業さんと一緒に考えたりとか。
あとは、大学の研究の発表をここでやらないかという営業周りをしたりしてましたね。
qbc:
うん。
西本紫乃:
クラファンで立ち上げたコワーキングスペースなんですけど、元々の会社が京都のスタートアップのピッチ運営をやっていたので、そこに行ったりとか。
それはコワーキングスペースとは別の場所でやってたんですけど、運営の会社でもあったので、手伝いとして出張してました。そこで得たことを帰ってきてやってみよう、と話してましたね。
とにかく、その場所で生み出せることをひたすら考えてやってる感じで、これという役柄はなくて、大部分を任されてやっていました。
qbc:
うんうん。
西本紫乃:
組織体制みたいなところでいうと、大元の会社があって、そのコワーキングスペース事業として私たちが運営している感じです。
私と同期の子が事業責任者として入っていて、その子が10人集めたんですよね。
雰囲気はサークルとか学生団体っぽい組織なんだけど、一応バイトみたいなメンバーで成り立っていました。
qbc:
うん。
西本紫乃:
そこに私もメンバーとしていたんですけど、運営していくイメージが湧きすぎて、元々の事業責任者とめっちゃバトるっていう(笑)
qbc:
なんで?
西本紫乃:
やっていきたいコワーキングスペース像で、噛み合わないところがあって。
喧嘩とかではないんですけど、こうしていくといいと思うっていう意見がぶつかり合った感じですね。
そのときは私自身が全体を見て動くことがあまりできなかったので、自分の意見を通したい気持ちが強くなってしまっていて。
そのための準備は色々とするタイプだったんですけど、リーダーが二人いるような状況を作ってしまいました。
qbc:
そういう状態になってるなっていうのは、何で気づいたんですか?
西本紫乃:
全体でミーティングをする機会があったんですけど、常に私とその事業責任者の議論になっていたんですよね。それを周りがなだめつつ意見を言う、みたいな感じの構図になってて。
家に帰るときに一人で振り返りをするんですけど、そのときに気づいた感じです。
誰かからこうなってるよと言われて気づいたのではなくて、自分で自分の発言やその場の様子を振り返って、これは良かったのかなとか、違う言い方があったかなとか、そういうことを振り返っているときに気づきました。
qbc:
へえ。そもそも、そのコワーキングスペースに入ったきっかけは?入ろうとした目論見というか。
西本紫乃:
なんか、面白そうって思ったんですよ。
面白そうっていうのは、自分が直前まで営業をやっていたので、商材がなくても自分たちで売るものを作れる状態で営業するなら、自分も貢献できそうだと思って。そういう意味で面白そうだと感じました。
あとは、大学生活が始まって、チームやみんなで何かを成し遂げるみたいなことを1年間やってなかったので、久しぶりに集まった12人でコワーキングスペースを盛り上げていくっていうことにチャレンジしたいなと思って。
仲間がたくさんいる面白さを感じたからですね。
qbc:
うんうん。
西本紫乃:
前回話した気がするんですけど、その後に親友になる子もいて。
それまで授業とかサークルで一緒だっただけのメンバーと濃い関係性を築けるっていうのも、いいなと思った理由の一つですね。
サブ要因みたいなところでいうと、そのときはぼんやりと就職活動も頭にあったので、そのヒントにもなるかなっていう。
京都のスタートアップ企業みたいなイメージだったので、色々な企業の方と触れ合えるのは今後の自分の決定材料になりそうだなっていうのもありました。
qbc:
その時点で、大学卒業後のことは考えていましたか?
西本紫乃:
考えようとしてたけど、考えられなかった、想像できなかったですね。
qbc:
うん。
西本紫乃:
あと今思い出したんですけど、大学2年生のときに、実家の料亭のクラウドファンディングをやったんですよ。
クラファンで立ち上がったコワーキングスペースだったから、それを知りたいっていうのもありました。
qbc:
それが重なった感じなんですね。
西本紫乃:
そうですね。
1年生の末ぐらいに、クラファンをやるというよりかは、新しい取り組みをやっていくっていうのを両親から聞いていたので。
結果、そのコワーキングスペースに入ったことでクラファンの解像度がめっちゃ上がりました。
クラファンの文章とか見せ方とか、どういうところに声をかけていくのかとか、コミュニケーションの取り方とか、両親と一緒に決められたのでよかった。それを2年生でやりましたね。
qbc:
なるほど。
qbc:
コワーキングの時点では、卒業後の未来は全く見えていない感じだった?
西本紫乃:
全く見えてなかったですね。例えるなら、闇みたいな。
探ってもわからない状態だったので、とにかくまずは目の前にあることをやろうという気持ちで、どうなるかわからないけど動いてみる精神でしたね。自分が興味を持てるイベントや団体と繋がって一緒に何かやったり。
そういうことを繰り返していく中で、どういう人と関わっていくのが私は楽しいんだろうとか、そういう情報を増やしていた感じでした。
とりあえずデータを集めて、考えるのはその後にしようって思ってました。
“画面の向こうの可能性”学生主導の動画コンテスト奮闘記
qbc:
動画のコンテストはどうでしたか。
西本紫乃:
動画のコンテストの内容は、全国の大学の学生団体やサークルをPRする動画を作って応募してもらって、それを審査して優勝団体を決めるというものでした。
その企画自体は私の頭の中にあって、どこかの企業さんに喋ったんですよ。そしたら、協力すると言ってもらえて。
実現させるために、大学の団体に声をかけたり、仲間を集めたり、ビジュアル作りや協賛いただく会社を集めてもらったりしました。
qbc:
うんうん。
西本紫乃:
私の思いとしては、コロナで学生団体やサークル活動がストップしてる中でも、団体が取り組めることはあるので、コロナが明けた後の新しいメンバー集めに繋がる活動ができたらいいなと思っていて。
PR動画が集まっている状態を作って、それを見れば全国で活動している団体の様子が見れるイメージですね。
それができれば、作る側も楽しいし、見る側も色々な団体やサークルの活動が見れて参考になるんじゃないかと思ったんです。
私が大学1年生のときはコロナで新歓がなかったけど、PR動画があればやってみたいことが見つかるかもしれないと思って、それを100人以上と話していて共感を得られることがたくさんあったので、始めました。
qbc:
うんうん。
西本紫乃:
結局は私がキャパオーバーして代表として立てる状態じゃなかったので、その1年間だけの1回で終わってしまったんですけど。自分の原体験から始まった企画でしたね。
qbc:
うん。
西本紫乃:
色々な人に喋っていたら、やってみたいと言ってくれる子も結構多くて、仲間を集めて一緒に企画の中身を詰めた感じです。
qbc:
なんで病んでしまったんですか?
西本紫乃:
複数の活動を同時並行でやっていて、シンプルに自分がボールを持っていることがたくさんありすぎて。
周りの人に話しても、自分が想像している解像度で必要な作業をできる人が周りにいなかったというか、私がそういうふうに巻き込めていなかったんですよね。
だから自分で何とかしなきゃっていうので、病みました。こういうことをやりたいっていう理想は高く持っていたけど、それに自分の力が及ばなくて。
qbc:
うん。
西本紫乃:
しかも、コワーキングスペースの方もそういう状態で、動画のコンテストもうまくいかなくなってきて、授業も手につかないという。
さらに、動画コンテストは自分に入ってくるお金がなかったので、バイトをしないと自分の生活が成り立たなかったんですよ。
一人暮らしだったんですけど、親に仕送りはいらないと言っていて自分で稼いだ分で生きていくという決断を1年生のときにしていたので、それも相まってカツカツで生きてました。
qbc:
うんうん。
西本紫乃:
自分でやっていくと決めて始めたのは良いものの、それを実現させる力というか、人を適切に巻き込めなかったし、自分のキャパを知らなかったんですよね。できなくなってから初めてわかった。
やりきらなきゃっていう気持ちとか、逃げられないし諦めきれないと思う性格もあったので。
最低限まではやって、お世話になった人にちゃんとお礼を言ってから活動を辞めたいっていうのと、でも今のキャパだったらできないっていう葛藤で病みました。
色々な人の目に触れてたので、励ましもあれば、なんでもっとやらないんだっていう声も受けていて、自分一人の体じゃもたない感じでしたね。
qbc:
うん。
西本紫乃:
始めたときは自分もわくわくしている状態で良かったんですけど、最後まで理想の形に持っていく力がなかったです。
qbc:
コワーキングも並行してやってるんですよね。
西本紫乃:
並行してやってました。
qbc:
学んだことはありますか?
西本紫乃:
自分一人でできることは限られているっていうことと、協力してくれる人も周りにはたくさんいるっていうこと。
自分の伝え方次第で、ちゃんと伝われば助けてくれる人はいるから、そういう人たちを巻き込んだり頼んだりすることの必要性を学びました。
人に頼れないという失敗を経験したので、今後は自分が何かを先導する立場なら、適切なサポートをしてくれる人たちの巻き込み方を見つけていきたいし、逆に誰かの活動に私が巻き込まれる側だとしたら、そういう下手くそな代表だとこういうふうになることを見越して、コミュニケーションをとろうっていうのを学んだ。
自分が想像できる範囲が広くなった感じですかね。
qbc:
うん。
西本紫乃:
鬱状態で毎日のように涙が出て、あまり寝られなくて、暴飲暴食もしてしまっていたので、状態はかなり悪かったです。
始めたときは良いことしか考えられてなかったけど、いざやってみると乗り越えないといけないこととか、自分自身のキャパの狭さが浮き彫りになってきて、自分を知ることは大事だなと思いましたね。
そうじゃないと、自分の理想にも近づけないし、他の人を巻き込めない。
何が自分にできることで、何を助けてもらいたいかを見極めないといけないんだなっていうのを学びました。
qbc:
うんうん。カフェと大学では、何かありますか?
西本紫乃:
カフェのバイトもしてたんですけど、生活費のやりくりのために2年生の途中でコンビニの早朝バイトも始めました。それもあって、カフェのバイトは徐々にフェードアウトして辞めたんですよね。
コンビニのバイトをやってたんですけど、行けなくなってしまって。
qbc:
うん。
西本紫乃:
行けなくなったっていうのは、予定には入れているけど、他の予定がキツキツすぎて、行かなきゃいけないっていうのはわかってるんだけど行けないっていう。体が動かない感じになってしまって、コンビニもフェードアウトしました。
かなり切り詰めた感じがあったみたいで、バイトの人たちからも、ちゃんとお休みした方がいいよと言われました。
qbc:
うん。
西本紫乃:
カフェだからとかコンビニだからとかっていうよりは「バイト」っていう一括りで、お金を稼ぐために働いていた感じだったので。
そのときの自分は、何かを経験しようというマインドではなくて、お金がないからやる、という一心でした。
来月も生活するための経済的な余裕がちゃんとあるから、自分のやっていきたい活動に集中できる、ということを学びました。
わかっていたことだけど、身をもって経験した感じですね。
qbc:
なんで親には、お金はいらないと言ったんですか。
西本紫乃:
今まで、自分が見えていないところで支えてくれていたので、それを知ることをしたかった。自立したかったというか、親の支えがギリギリまでない状態で生きてみたい、って思ったからですね。
チアをやっていたときは、洗濯とかご飯とか、全部やってもらっていたので。
qbc:
うん。
西本紫乃:
一人暮らしを始めて、電気ガス水道とか、そういうのも自分で払うようになるじゃないですか。それも全くわからなかったんですよ。どういう仕組みになってるのか。
そういうのって、自分のお金でやってみないと完全には理解できないんだろうなって自分の中で思ってたんですよね。
だから、お金の仕送りはなしでやってみようか、と親との合意の元でそうなりました。
qbc:
へえ。
西本紫乃:
さすがに授業料は払ってもらってましたけど。
qbc:
4年間を通じて、ヘルプカードは使ったんですか?お米くださいとか、どうしても旅行にいきたいから貸してくださいとか。
西本紫乃:
食料は、お願いしていなかったけど送られてきましたね。
qbc:
ということは、生鮮的な野菜とかは買わなきゃいけない?野菜とかも送られてきた?
西本紫乃:
野菜とかは送られてきてないです。北陸にしかないお菓子とか。たまには思い出せよ、みたいな贈り物はありました(笑)
qbc:
お米とか醤油とか、そういうメイン的な炭水化物やカロリーがあるものは?
西本紫乃:
それはそんなになかった感じですね。
qbc:
じゃあ、食料は基本自分ってことですね。
西本紫乃:
そうです。基本的な食料は自分で調達していました。
料理屋なので、お店で作っている自社商品の在庫が送られてくることはありました(笑)
メインの食事というよりは、余ったものがうちに送られてくる感じだったと思いますね。
だから、基本的に衣食住は自分で賄っていたと思います。
qbc:
へえ。
西本紫乃:
あまり親に助けを求めることはなかったです。相談とかも、基本は周りの友達にしていました。
qbc:
それは意識的に?
西本紫乃:
そうですね。親に頼るってっていうことは、高校時代も全然していなかったので。
相談相手は、基本友人か先輩。先生がいたら先生で、自分の近くにいる親以外の大人に相談することが多くて、もしくは調べる感じでした。なので親にはあまり頼ってないかな。
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qbc:
うんうん。2年生は、他に何かありますか?
西本紫乃:
大学の授業の話をちょっとすると、それまで学校の授業は真面目に受けてきたんですけど、初めて成績どころじゃない状態になった。
qbc:
ええ。
西本紫乃:
単位を落とす、っていうのが初めてだったんですよ。
今までコツコツ積み上げるタイプで、それが周りから信頼されたり評価されたりしてたんですけど、初めて単位を落として。
それで、成績が良い悪いというよりは、卒業ができる最低限ラインは保とうというマインドに切り替わりました。
全てを完璧にやるのは難しいっていうことに気づかせてもらえたというか、完璧じゃなくてもいいと思えたのが、大学2年生の授業ですね。
qbc:
うん。
西本紫乃:
ずっと完璧じゃないと駄目というか、大学にこれたのも全部をそれなりに完璧にやってたから次の道が開けたという自負があったので、それが覆されたのが2年生です。
qbc:
うんうん。
西本紫乃:
一気に壊れたっていうとちょっと違うんですけど、何か張ってたものが破られた感じでした。
qbc:
うん。
西本紫乃:
2年生の終わりに単位落として、バイトも辞めて、動画のコンテストも終わって、コワーキングスペースのインターンからも離れると決めて。本当に全部リセットしましたね。
春休みに入って大学の授業もなくなったので、2年生と3年生の間の春休みは全く何もしない期間でした。
qbc:
へえ。
西本紫乃:
全く何もしないと言ったら嘘になるんですけど、お金も稼がないし、何か目標を立ててそれに向けて勉強や作業をするということはしない感じ。心と体の治療みたいな期間でした。
qbc:
なんでそんなことを思いついたんですか?
西本紫乃:
思いついてやろうと思ったというよりは、そうしないと死んじゃうと思って。
qbc:
変な話、多くの人はそれで鬱病になるんですよね。
だから、自分で休養できるっていうライフハックはどうやって生まれたのかなって。
西本紫乃:
たしかに。
qbc:
ポジティブに前向きに動いていたとしても、エネルギーがなくなって鬱になってしまう場合もあるから。黒字倒産みたいなこともあるわけで。
そうならなかったっていうのは、なぜだったんでしょうね。
西本紫乃:
思い当たるのは、そのときの自分はめちゃめちゃどん底だという感覚はあったんですけど、これは悪いことではないというか、波はあるもんだと心の底では思えていて。
部活で腰を痛めて、自分の意図しないところで挫折したことがあったし、人とぶつかる経験を小さいときから結構やっていたから、「逃げる」ということを知っていたというか。
qbc:
うんうん。
西本紫乃:
小さいときは、学校という社会と、習い事という社会で人間関係があったので。
学校で嫌なことがあったら習い事で仲良くしてる友達がいるから大丈夫だと思えたし、習い事で嫌なことがあっても、学校で成績がよかったら先生は見てくれてるから大丈夫だと思ってました。
今調子が悪かったとしても大丈夫だと思ってくれてる人がいるんだろうな、っていうのを感覚的にわかっていて、そういうふうに自分はメンタルを保っていた気がします。
qbc:
へえ。
西本紫乃:
大学のときも同じで、人間関係がうまくいってないときは勉強をちゃんとやってるから大丈夫だと思っていたし、そういうふうに自分の頭の中で逃げるようにしてたんですよね。
それに、今この環境でうまくいかなかったから人生全てが駄目なんだ、みたいな、そういうことは思わなくて。
でも、さすがに2年生のときは色々なことに手を出しすぎて全部に迷惑をかけたから、一旦身を引かないと駄目だよなっていう。
qbc:
うん。
西本紫乃:
そういう感覚になったので、一旦全部から離れて、ちゃんと振り返る時間を取ろうと思って。
何が駄目だったのか、どういう行動を取っていたら駄目にならなかったのか、ちゃんと整理する時間を取ろうっていう。
qbc:
うん。
西本紫乃:
「何もやらない」っていうことができたのは、高校卒業のときにコロナで最後のチアの全国大会ができなくなったときに何もしない状態が1ヶ月あったからなんですよね。
そのときに高校3年間を振り返って、失敗したことや良かったことを書き出したり、友達と話したりして、その後に大学に入ったんです。
それを1回やっていたから、何も活動をしなくても前に進むっていう感覚はあって。
「振り返りをする」ということが、「次に進む」っていうことを知っていたから、っていうのは今振り返ると思います。
qbc:
ありがとうございます。
振り返ってみて、どうでしたか?
西本紫乃:
今の私からすると、大学2年生の時の失敗経験って、あまり思い出したくないことなんですよね。
コワーキングスペースで頑張っていた仲間とか一緒に動画のコンテストをやっていたメンバーは今でも仲良いし、あんなときもあったよねって話せるような仲間なので、今はそれでよかったと思えるけど。でも、あのときはこんなふうに考えられない心だったので。
qbc:
うん。
西本紫乃:
でも、自分で休みが取れたということはそういうことなんだな、っていうのが今わかったから、大事な期間だったんだと思いました。
普段初めましての人にこの話をすることはないですが、そういうのも乗り越えてきたっていうのを久しぶりに振り返れてよかったなです。
これがあったから今があるんだよな、と思えました。
qbc:
私のインタビューの経験上だと、10年分を先取りしてる感覚はあるよね。いわゆる自分の限界の壁の話をされているから。
社会人で会社に入れば、キャパは与えられないんですよ。会社がキャパシティを管理しているから。
西本紫乃:
そうですね。
qbc:
だから、そのせいで30歳前後でぶち当たったりするんですよね。
20歳後半ぐらいに向けて仕事の内容がちょっとずつ変わって、それが無理だって思って休職する人もいるし、普通に乗り越えていく人もいる。
西本紫乃:
いますね。
qbc:
あとは、それをどうやって乗り越えるか、どうやってキャパをオーバーしていくかっていう。筋肉じゃないけど、壊れない範囲で痛めつけないと、増えないわけだから。
で、休養するということも知ってるっていうのは人生のライフハックなので、それが10代のときに終わってしまっているんだよね。
チアで世界を制覇した経験もあると思うけど、個人でもそういう経験を積まれてるっていうのは異様な感じがしますよね。
西本紫乃:
自らキャパをオーバーしに行ってるみたいなのは、確かにあったのかも。
qbc:
その感覚はあったんですか?
キャパをオーバーしたらどうなるのか試してみよう、という意図があったのか、いつの間にかそうなったのか。
西本紫乃:
どっちもありますね。でも、割合としては意図的にオーバーさせるというのは思っていて。
qbc:
うん。
西本紫乃:
私自身が自分を知りたい、っていうのが強いんですけど。
チアのキャパというのは、体力的なものとか、ダンスで極められる自分の限界はある程度チームで学んだので。
でも、世の中チアだけでできてるわけではないので、今だとお金を稼ぐとか、そういう面で今の自分はどこにいるんだろうっていうのは知っておきたい。
qbc:
うんうん。
西本紫乃:
よく言われる「若いうちに失敗しときなよ」みたいな。だからと言って失敗しすぎてもいいという訳ではないと思ってるので捉え方はあると思うんですけど、大学時代は失敗しても戻りやすいとは思っていて。
でも、これって、今だから言えることなんですよね。そのときはそんなこと思ってない気がする。
qbc:
うんうん。
西本紫乃:
すごいと思われたいとか、そういうのもあったと思うし。でも、それでやって潰れたから、ちょっと違う方法でいかないといけないと思いました。
今は人とぶつかったりとか、自分のキャパをオーバーしてできないって気づいてまた戻ってくるっていうのを、何回も何回も繰り返していきたい。そこにダルいとか感じないタイプでもあるし。
色々な人生を生きてみたいっていうのもあるから、コワーキングスペースを運営してる人の気持ちも知りたいし、自分で学生団体を立ち上げて代表をしている人の気持ちも知りたいし。
qbc:
うん。
西本紫乃:
自分の身をもって経験してちゃんと理解する、っていうことが自分にとって楽しいことだったから、半分意図的に半分思いつきで動いてきたのかなと。
それでちょっとずつ、どういう場所を選ぶかのセンスや判断基準が磨かれてきたと思います。
qbc:
うんうん。
西本紫乃:
予告みたいな感じになるんですけど、3年生に入ってまた新しい活動を始めて。
それで、3年と4年の間ぐらいでまたキャパオーバーするので(笑)
qbc:
うん。
西本紫乃:
同じことの繰り返しって感じもするし、2年生のときより質の高いキャパオーバーのような感じもするなって今振り返ると思います。
そのサイクルがどんどん早くなっているというか、できることが増えてるなっていう感覚です。
"心の支え"挫折を乗り越える人間関係の力
qbc:
ありがとうございます。
次回に回したい内容なんですけど、相談相手とかはいたんですか。
西本紫乃:
いましたね。2年生の12月に交際を始めた人がいて、その人とは今でも続いてるんですけど、今までで一番の相談相手というか、いつも話を聞いてくれて、適切な頷きをくれる人。
qbc:
人生がうまくいくというか、充実するっていう部分でいくつかキーワードがあると思うんだけど、困難を乗り越えるっていうことと、安全な失敗があるんだよね。
安全な失敗っていうのは、相談できるパートナーや友達がいるから、全部の失敗が安全になると思うんだけど。
西本紫乃:
うん。
qbc:
家族の場合もあるし、恋愛関係のパートナーシップの人もいるから、どういう感じなのかなと思ってた。
西本紫乃:
私の場合、恋愛的なところで支えてくれた人が一人いるのと、あとは大学時代の親友と言っていた共通点の多い女の子ですね。
その二人にはだいぶ色々なことを話したかなと思っていて、それ以外にも、前の営業のときのインターンの先輩にちょこちょこ相談することもあります。
3年生で新しいことを始めるってなったときは、コワーキングで一緒に事業責任者やってた子に相談したりとか。前の環境の信頼のおける人に相談することが多いです。
タイミングによって話し相手は変わってるんですけど、ずっと相談にのってもらってるのは彼と親友の二人ですね。
qbc:
この話は、人間関係編を設けた方がいいのかなと思ってます。
西本紫乃:
恋愛関係や友人関係含めて、人との関係性の築き方は大学生活で考えていたというか、自分はこういうふうな関係性を築いていきたいんだっていうのが見えてきた4年間でした。
なので、記録として残しておきたいですね。
qbc:
今の話を聞いていると、東大生のすごいノート術みたいな、そういう感じになるのかなと思ったりしますよね。
西本紫乃:
うんうん。
qbc:
なんでその人がそうなってるのかっていうのは、割とよくわからない部分があるから。
それを今回追いかけられるんじゃないかなと思ってます。
早いタイミングで失敗して破壊と再生を繰り返す、みたいなことは、一つ見える。
西本紫乃:
そうですね。
qbc:
破壊に至れる、っていうのはすごいことなので。
普通はそれが怖いから何もしないし、チャレンジしないで評価を受けないっていうやり方が多い。というか、それで十分生きてはいられるからね。
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終わりに
安全に失敗する方法と、挫折したときの給水ポイント大事だね。
最高に大事。
制作:qbc(無名人インタビュー主催・作家)
編集:misato(ライター)
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