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【磐梯町】人を成長させるのは人と旅と本。人

むかしむかし、福島県の磐梯町に、夢(ゆめ)という名の若者が住んでいました。夢は自分の人生に迷い、成長する方法を探していました。
ある日、夢は町の古い図書館で一冊の本を見つけました。その本には「人を成長させるのは人と旅と本なり」と書かれていました。
夢はその言葉に導かれるように、磐梯山の麓から旅に出ることにしました。
旅の途中、夢は多くの人々と出会いました。磐梯山を守る老いた山伏、猪苗代湖で漁をする漁師、裏磐梯の自然を案内するガイド。それぞれが夢に人生の知恵を教えてくれました。
夢は旅の合間に、持参した本を読みふけりました。本の中の物語は、夢の心に新しい世界を広げていきました。
月日は流れ、夢は多くのことを学びました。人々との出会いは夢に思いやりの心を、旅は勇気と冒険心を、本は知識と想像力を与えてくれました。
やがて夢は磐梯町に戻ってきました。帰ってきた夢は、以前とは違う、成長した自分に気がつきました。
夢は自分の経験を町の人々に伝え始めました。そして、図書館で見つけた本の言葉の意味を、身をもって理解したのです。
夢は後にこう語ったそうです。「磐梯町は素晴らしい。ここには人と出会い、旅をし、本を読む、すべての要素がある。この町自体が、成長のための大きな本のようなものだ」と。
そして磐梯町は、「人と旅と本の町」として知られるようになり、多くの人が成長を求めてやってくるようになったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年8月25日23時30分に書く無名人インタビュー875回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 小川 直樹 さんです!

年齢:20代後半
性別:男性
職業:株式会社ペグ 代表取締役


現在:総じて今、とても良い状態だなって。それは会社の業績がとかそういう固い部分じゃなくて、人間として成長をさせてもらっているフェーズなんだと思ってます。

ゆいぴ:
小川さんは今、何をしている人ですか?

小川 直樹:
今は株式会社ペグの代表取締役をしている人です。

ゆいぴ:
株式会社ペグっていうのは何の会社ですか?

小川 直樹:
主に三つの事業をやっていて、一つはリトリートサービス事業、二つ目がクリエイティブ事業、三つ目が地域プロデュース事業。何言ってんだって感じだと思うんでそれぞれ言うと、リトリートサービス事業っていうのがゲストハウスとかSUP体験の提供とか、他にもテントサウナとかいろいろやってるんですけれども、そういうサービスを提供する事業ですね。二つ目のクリエイティブ事業は企業などのPR、ウェブサイト制作、撮影、映像を作ったり、チラシ作ったり。三つ目の地域プロデュースっていうのが、町や自治体と連携してイベントやったり、講師、講演活動などをしています。

ゆいぴ:
いつからその会社を経営しているんですか?

小川 直樹:
会社はちょうど3期目に入りまして。7月1日からなので。2年前ですね、2022年に設立しましたね。

ゆいぴ:
3年目に入ってどうですかね?

小川 直樹:
やっぱり個人事業主と法人はいろいろと違いますし、法人になってからいろいろと任される責任の範囲は増えてきたなっていう。良い意味でも影響力は広まってきてるし、それに対して責任もちゃんと生まれてきてるっていう感じですかね。

ゆいぴ:
個人事業主と法人は違うなって感じたエピソードありますか?

小川 直樹:
そうですね。任される、お願いされる仕事内容が全然変わってきてて。今までだと小川直樹くん個人にお願いしたかったんだけれども、今はチームとして株式会社ペグにお願いしたいねっていうことがやっぱり大きくなって。僕だけじゃない、僕だけでできる範疇よりも全然広いところまでカバーできるようになったってことですかね。具体的な案件というよりかは全体的にそういう幅が広がった。

ゆいぴ:
法人にしようって思ったのはなんでですか?

小川 直樹:
自分のできる範囲を広げたいからっていうのが先行して、その手段としてというか。自分がこの町に引っ越してきた以上より多くの人に影響を与えたいし、せっかく来たから面白いことやりたいしっていうところから。そのための手段って何だろうなって考えたときに、個人でやるよりかは法人だった方がいろいろできるようになるから法人化したっていう感じですね。

ゆいぴ:
仕事をしてて一番楽しい瞬間、良かったなと思う瞬間ってあります?

小川 直樹:
やってて良い瞬間とか楽しい瞬間はめちゃめちゃあるんですけど、一つはやっぱ大きくなっていってるなってところです。今までこっちから必死に営業しなきゃいけなかったのに、気がついたら逆にお願いしますみたいなふうになったりとか。売り上げだけっていう観点じゃなくてちゃんと自分たちが会社にした意味、地域から信頼されるというか、そういうのがやっと少しずつ形になってきてっていうのはすごい良いと思います。要は必要とされてる存在になってきてるのかな、わかんないけれども。そういうのはすごい嬉しいなと思います。

ゆいぴ:
なんで周りから必要とされていることを嬉しいと感じるんですか?

小川 直樹:
僕は人生の最終ゴールとして、後悔した人生を送りたくないなっていうのがあって。これインタビュー的に削りたかったら削ってもらっていいんですけど…。どうなんだろうな、見た人がもしかしたらあまり良くない気分になるかもしれないから。

うちの家庭って結構悲惨だったんですね。父親が他に女の人いたりとか、母親にDVしたりとか。うちの方に全然お金入れなくて借金が多くて。そんな感じのところからスタートして。しかも僕の通ってた学校って青学なんですよね、青山学院中等部っていう。僕の同級生が、いわゆる芸能人もよくいたんですよ。

ゆいぴ:
うんうん。

小川 直樹:
あと歌舞伎の子とか、全然歳は離れてたけど超有名漫画家の息子さんがいたりだとか、そういう名門一家たちがいるところと自分たちですごい差があって。なんかそういう人たちにね、お金でやり返してやろうっていうのは一応あるんですけれども。やっぱり自分にしかできないことを、その劣等感から見返したいなっていう気持ちがあって。そういうところから後悔しないような生き方をしたいなって思って。だから自分でしかできない経験とか自分にしかできない体験を突き詰めていって、20歳ぐらいから世界一周日本一周して、他にはやってないような経験をすることによってどんどん自分の価値を高めていって。

その流れですよね、結局ここに来たのも。普通の人がやってなさそうだとか、自分の経験値を高めたいとか。それで福島に来て、この磐梯町にたまたま来て。めっちゃこの地域の人、地域のことが好きだし、でもあんまりまだ知られてないと。自分の過去の経験から何ができるかな?みたいな。そういう面白いこと、自分のやることをしていったら、将来後悔しないような選択ができるんじゃないかなって思って。で、そういうことをしていくとどんどん他の人から必要とされるというか、今まで自分の過去が結構ブラックだった反面、他の人から必要とされてるっていうことが嬉しいというか。

ゆいぴ:
なるほど。会社の経営以外で、仕事のことでも個人的なことでもいいんですけどやってることって何かありますか?

小川 直樹:
実は結構いろいろやってまして。県がやってる磐梯町の移住案内人やってたりとか、郡山の専門学校で非常勤の講師やったりだとか。あと会社の範疇から超えてですけれども、会津磐梯農泊協議会の会長を。去年立ち上げた組織なんですけど、一応その中に七ツ家とかもあるんですよ、ややこしいですけど。そんな感じかな、今は。挙げてくと細かいところはあるんですけど。

ゆいぴ:
移住案内人っていうのは自発的にやり始めたことですか?

小川 直樹:
オファーが来た感じです。その前までもそれっぽいことはやってたんですけど、正式にきたっていう感じですね。

ゆいぴ:
郡山での非常勤講師っていうのは何の講師?

小川 直樹:
一応ITかな。授業の範囲としてはITの基本的な知識とか、資格取得のための講義とか。

ゆいぴ:
ふうん。それは何がきっかけで始めたんですか?

小川 直樹:
たまたまそこの学校から外部講習みたいなので呼ばれて。普通に1コマか2コマ分ぐらい話したら、来年お願いしたい、みたいになって。

ゆいぴ:
どのぐらいの頻度で講義しているんですか?

小川 直樹:
毎週とかにしちゃうと他の仕事とかぶっちゃうんで、僕はもう1年間のある時期まとめて週2で12コマとか?1日6コマぐらいをがっつり教えて、それを1ヶ月半ぐらいって感じ。

ゆいぴ:
今までお話しいただいた仕事関係のこと、全部ひっくるめて自分的にどうですか?

小川 直樹:
総じて今、めちゃめちゃ良い状態だなって。それは会社の業績がとかそういう固い部分じゃなくて、すごい人生として人間として成長してるフェーズなんだと思ってて。自分がどういうときにそういうのを感じるかっていうと、知らない世界を知っていくと、物語でいうドラクエとかでいうレベルアップみたいなのだなって思ってて。その最初が、世界一周と日本一周に行ったときだったんですね。全然知らない人、全然知らない文化、食。目に映ること全てを知らないところで吸収していくと、すごい自分の価値観が広がっていって。今、結構それに似てるなと思ってて。

っていうのも一応社会人で何年か働いた後に自分でこっちに来て独立したんですけど。やっぱ最初に独立したときって自分がいかに生きていくかみたいな、視野が狭かったんですけど。今はやっとそこら辺の余裕ができてきて、いろんな人と面白いことして。だから仕事以外にもどんどんどんどん最近輪は広がってるし。そういうのも踏まえるとめっちゃいいなっていう感じですかね。

それこそ数日前の磐梯町の納涼盆踊り。当たり前だけどギャラなんて出てないですし、むしろ月1ぐらいでミーティングしてみたいな感じなんすけど、ああいうのもめっちゃいいなって思いますし。去年やってみたら?って言われて渋々やったんだけど、でもそういうのもね、町との繋がりだし、いろんな人と喋れるし。そういう余裕ができてきたのもなんか良いかなって。

ゆいぴ:
気持ち的にはどうですか?

小川 直樹:
でもちょっと焦りもあって。このままいけば、すごい嫌な言い方かもしれないけれども、別に生きていくことはできるんすよ。今の事業のスケールとか含めて。そのままいくと停滞してる状態になっちゃうんで、こっからさらにギアを上げないといけないなと思って。別に仕事だけじゃなくて、いろんな人との付き合いとか。そうするために何をすればいいんだろうみたいな焦ってる感は…。何すればいいかはわかってるけれども、これで合ってるのかな?みたいなのはあったりしますかね。抽象度が高いですけど。

ゆいぴ:
焦り始めたきっかけが何かあったんですか?

小川 直樹:
なんだろうな。会社がちょっと落ち着いてきた、落ち着いてきたってのは数字的にある程度安定し始めてきたからっていう。自分1人だったら別に損するのは自分だけだからいいけれども、やっぱ抱えてる人たちがいるとその人の面倒まで見ないといけないし。って考えると、これを来年も続けてそのままで大丈夫なのかみたいなのは思ったりしますかね。でもそういうのを今まで全く考えるきっかけがなかったんで、そういう意味ではまたそれも成長に繋がってるんじゃないかなっていう。

ゆいぴ:
自分の中で満足に成長しきった状態が10段階の10だとしたら、今はどの段階ですか?

小川 直樹:
でも基本的にフェーズが違うんで。僕はどの段階でも3ぐらいだと思ってて。あんまり現状に満足しようとはしてないです。

ゆいぴ:
ちょっと質問を変えて、自分はどんな性格だと思いますか?

小川 直樹:
どんな性格かなー。器用貧乏って性格ですか?

ゆいぴ:
まあ…。

小川 直樹:
どういう性格って初めて質問されたかもしれない。どういう性格なんだろう。でも、好奇心旺盛が一番近いのかな?なんかもうやりたいことあったらすぐ実行まで移しちゃう。それで困らせている人いると思いますけど(笑) いろんなことにチャレンジする性格な気がします。

ゆいぴ:
それはどんなことに関して?

小川 直樹:
たぶん興味を持つハードルがすごい低くって、ちょっと面白そうじゃんってことには。ただ熱しやすく冷めやすいみたいな。遊びでも仕事でも趣味でも、最近見境ないですけど。性格はそんな感じかな。

ゆいぴ:
周りから何て言われます?

小川 直樹:
周りからかー。周りからは、何でもやってるね、みたいな。なんかいろんなことやってるイメージ。どこにでもいるね、みたいな。性格なのかわかんないけど。そんなふうに言われることが多いですね最近は。ありがたいことに。

ゆいぴ:
あ、それはありがたいんですね。

小川 直樹:
そうですね。やっぱそれだけ他の人の頭の中を占めてるってことは、何かいろいろできてんじゃないかなっていう。

ゆいぴ:
自分が思う自分の性格に対してどう思います?

小川 直樹:
うーん、そうだな。もうちょっと大事なところは時間をかけるべきなんじゃないかなと思ってて。飽きやすいから結構、損切りって言い方はあれだな、なんて言うんだろうな。…悪くはないなとは思ってます、自分で言うのもあれですけど。ホリエモンの多動力って本、聞いたことありますか?

ゆいぴ:
うんうん。

小川 直樹:
あれって要は自分の市場価値を高めてくださいよ、みたいな。市場価値って言い方も固いですけれども。1万人に1人の職人になるためには一番時間がかかると仮定して。100分の1、100人に1人の存在に、全く違うジャンルでなると1万分の1になるんですよ。例えば、僕で言うとカメラ。別に1万人に1人の才能がないと自分でわかってても、100人のうちの1人になるぐらいの才能はあると思ってて、それ掛けるSUPできますとか。SUPの上で綺麗な写真撮れる人ってそんなにいないじゃないですか。そういう100分の1をどんどん掛け合わせていきたいなと。だからいろんな領域にチャレンジしてるんですね。

でもそれが100じゃなくて10分の1とかで終わることがあったりするんですよ。もうちょっと深めるところは深めた方がいいんじゃないかなってのは結構思います。なんか浅すぎたり、逆にちょっと深過ぎたりみたいな。そこら辺をもうちょっと…やるんだったらやるところはしっかりした方がいいかなって。

過去:リフト券無料っていうのに惹かれて僕はここにやってきたんすよ。

ゆいぴ:
小川さんはどんな子供でした?

小川 直樹:
子供って、いわゆる何歳ぐらい?

ゆいぴ:
お任せします。

小川 直樹:
小学生の頃は、あんまり他人と関わるのが好きじゃなくて。別に今も好きっぽく見えるけど好きじゃないんですけども。特に小学校の頃とかは足の速い子がモテるみたいなのあったじゃないすか。足も速くないし、強いて言えば中学受験したんで勉強がちょっとできたぐらい。別にそういう足の速い人たちに群れるわけでもなく、かといって出木杉くんみたいに自慢してるわけでもなく、あんまり自我がない少年だった気がします。

中学校に入ると、周りがさっき言った自分の知らない人たち、普通に生きていたら関わらないであろう芸能人の息子とかがいっぱいいて。あ、なんか自分って思ったより下だったんだな、みたいなのを再確認して。そこから、劣等感があるから何か他のことをして見返してやろうみたいなのがちょっとずつ生まれてきた。

高校になって生徒会長に立候補するんすけど、残念ながら二位で終わってしまって僕はなれず。でも何か自分ならではのポジションを作ろうと思って文化祭の実行委員やったりだとか、いろんなことをやって。そこら辺からちょっとずつ自分を出すようになった感じですかね。大学生でさらにもっともっと自分しかやったことないことをやりたいなって、世界一周したりとかって感じ。すごいざっくり言うと。

ゆいぴ:
ちょっと最初に遡って。小学生の頃、一番楽しかったこととか思い出とかってありますか?

小川 直樹:
全然なくはないんだけど…。いや自分ね、マジで何もできなかったなって。よく小学校が終わった後に校庭で遊んだりすると思うんだけど、なんかね、全然才能なかったの。本当に才能がなかった。サッカーやっても全然ダメだし、サッカークラブ通ってたんだけど全然レギュラーとかなれなかったし。習い事も何個かやらせてもらってたんだけど全然だったし。勉強も学校の中ではできるけれども、塾に行ったら合格率40%みたいな、中途半端な感じだったから。なんか自分パッとしないなっていうのはすごい残ってるな、何もできない、みたいな。

ゆいぴ:
当時もそう思ってたんですか?

小川 直樹:
たぶんそうだと思う。できることがあったら自ら行きたいけれども。放課後のサッカーもサッカーを習ってる割にはって感じだったから、あんまり人と関わりたくなかったみたいな。別に学校行くのが嫌だったとかじゃなくて、仲良い友達もいたけれども、いわゆる陽キャグループではなかったな。

ゆいぴ:
中学ではどうでした?

小川 直樹:
中学でもそうだったな。小学校は地元だったから30人ぐらいが1クラス、ずっと同じクラスで1年から6年まで一緒だったけれども。中学校に入った瞬間、38人が6クラスぐらいあって。地元千葉なんだけど、千葉の本当にちっちゃい小学校から、電車乗り継いで1時間半かけて渋谷っていう日本で一番栄えてるところの学校に行ったらもう何もかも見える世界が違ってて。こんな人もいるんだみたいなのが、最初ずっと続いたかな。

ゆいぴ:
中学高校で特に印象的な思い出はありますか?

小川 直樹:
そうですね。でもそんな違う価値観の中でも、一応サッカー続けて、あと吹奏楽やってたんですよ。なぜか吹奏楽部。吹奏楽部は、小学校のときにちょっと楽器やってたことがあって、親に入れって言われて入ったんですよ。うちの学校では部活が週2までしかできなくて。なんでかわかんないけど。だからサッカーを週2でやって吹奏楽を週2でやって。でも結局サッカー部は顧問の先生とそり合わなくて辞めちゃったんすけど。

結果的に嫌々やらされた吹奏楽部がめっちゃはまって。全国は行かなかったけれども、コンクールで金賞とか結構取らせてもらったりして。なんか良かったですね。今はこんな色黒ですけど(笑) 中学しか部活やってないんすけど、同じ部活の中でも神奈川から来た子とか東京からとか。今まではね、近いところで一緒にやるのが当たり前だったけれども、全然違うところから来てひとつの部活で価値観を共有できたっていうのは結構覚えてるな。

ゆいぴ:
吹奏楽を続けることができた理由ってなんですか?

小川 直樹:
そのときに付き合ってた彼女が同じ吹奏楽部だったってのもあるし、でも思ったより楽しかったっていうのが。あとサッカー部ってめっちゃ上手い奴いっぱいいて、本当自分なんてBチームのレギュラーギリギリ取れるかぐらいな感じだったけど。吹奏楽だと良くも悪くも人が少なくて、だから取り合いにすらならなくて、自分がいつも舞台に出れるから。だから続いたのかな。小学校のときと中学校の部活だと全然熟練度が違うけれども、それでもちょっとやっただけである程度結果が出てきたから楽しかったなっていう。だから吹奏楽続けられたんだと思う。

ゆいぴ:
先ほど大学のお話もされてましたが、高校卒業した後はどういう生活をしていました?

小川 直樹:
中高大、青学って全部同じところなんですよ。なんなら青学の渋谷のキャンパスって幼稚園からあって、幼稚園小中高大の20何年間ずっとそこに通ってる人もいるんですけど。僕は中学から行ったんで、3年3年5年か。大学1年休学してたんですよ。で、大学は経営学部経営学科に入りました。勉強が全然できたわけじゃないんすけど、選べる選択肢がそこしかなかったから経営学部に行くしかなかった。別に経営を学びたいからじゃなくて、内申点みたいのがあって、全然勉強できなくて、選べるところが経営学しかなかったんで。そこで学園祭の実行委員に入ったんですね。やっぱり大学って高校までと全然違うじゃないですか。浪岡さん(ゆいぴ)は4年制の大学ですか?

ゆいぴ:
私は高卒ですね。

小川 直樹:
高卒なの?全然そんな感じしないけど。そっかそっか。まあね、イメージしてる通りなんすよ。青学の大学なんて、ちゃらけたやつばっかりいて。でもそういう人って地方から来て大学デビューしたい人とか…こう言うとちょっと良くないかもしれないけど。学園祭の実行委員に入ったんすけど、自分の求めてるものってそれじゃないなみたいな。結局サークルなので飲むのがメインで、建てつけはちゃんとやってるっぽく言ってたけど。高校生のときは、生徒会長にはならなかったけど生徒会でイベントのスケジュールだったりとか、企画したりとかしてたんですね。それが社会で今後どれぐらい通用するのかを知りたくて学園祭の実行委員に入ったんですけど、結局もっとチャレンジしたいという理由で長期インターンに応募したんですね。その長期インターンが僕の中でめちゃめちゃ役立っていて。どういうのかっていうと、アソビューっていうサイトなんすけど知ってます?

ゆいぴ:
うん、知ってます。

小川 直樹:
今から8年ぐらい前か、8年前は全然知られてないサービスだったんですけれども、そこの営業させてもらって。どういう営業かっていうと、僕みたいな体験事業者に、アソビューに載せませんか、そうすると集客できますよ、みたいな。それをサービスについて誰も知らないような時期にやってて。そのときに全然できなかったんですよね。営業のノウハウもないし、そもそも人に伝える能力ももちろんないし。そこでいろいろと磨いたスキルがめちゃめちゃ今に役立ってて。自分のライフスタイルにも結構変化を与えてくれて、その後の旅にも繋がるので。

やっぱいろんな体験事業者に電話するんで、例えばダイビングやってる人もいたりだとか、パラグライダー教えてる人もいたりだとか、陶芸を教えてる人もいたりだとか、今まで絶対自分に関わらなかった人たち。営業の中で、ダイビングってどんなんですかって聞いたり、パラグライダーってどんな感じですかって聞くと、すごい想像力が広がるというか。ダイビングやってみたいなとかパラグライダーやってみたいなって感じで、めっちゃいろんな体験をさせてもらったんですね。普通に仲良くなって、僕の知り合いの方なんてダイビングのライセンス無料で取らせてくれたんすよ、5万円ぐらいかかるのに。

もちろんそのインターンの中で広がったところもあるんですけれども、マジで自分の知ってる世界ってすごく狭いなって思って。大学に行って飲みサーで…みたいなのも別にいいんすけれども。コミュニケーション力とかつくし。でももっともっと自分の知らない世界って広いなって。そこからアソビューに1年ぐらいいて、だから長期インターンっていうよりもサービスを一緒に作ってるというか。それをやっていく中で、やっぱ世界見てみたいな、日本もっといろんなところ行ってみたいなっていうのがあって、バイトめっちゃ掛け持ちして超お金貯めて、行くかって。で、日本全国ヒッチハイクしたりとか。日本のあとは世界に行って。

ゆいぴ:
日本一周したり世界一周したりっていうのは大学生の間に?

小川 直樹:
大学の間ですね、大学1年休学したので。留年じゃなくて休学ね、大事だからそこはね(笑) なんで休学したかっていうと、大学って3年のときにみんなリクルートスーツを着て、いろんなところにエントリーシートを出すという謎の文化が日本にはあるじゃないですか。一番怖かったのは飲みサーでまともにやってなかったやつらが急に、いわゆるガクチカだっけ?学生時代に力を入れたこととか。ありもしない話を書いて、エントリーシート出して、自分はこんなことしましたみたいな。結局それで入っても3年後に会社辞める割合って3割、七五三現象っていう。すごい意味ないなと思ってて。4年間かけて大学行った後に、入った会社も結局すぐ辞めると。

そもそも就活の時点で、なんか周りがやってるからやるだとか、エントリーシート何枚書いたとか、何社応募したとか、そこが目的になってる人が多すぎてこれやばいなって思って。実際社会人に聞いたり飲み屋に行ってその周りで聞いてる話とかも、あの部長がうざくてとか、なんかすごいくだらない会話なんですよね。でもそれも結局自分が招いた結果じゃないですか。自分たちがその会社を選んで自分が今そこにいる。それってマジでやばいなって、青学でこれかって思ったんですよね。だから休学して他の世界の人とか、どんな働き方してるんだろうなっていうのが気になって、世界に出た感じっすね。

ゆいぴ:
日本、世界、旅してみてどうでした?

小川 直樹:
シンプルに知れてよかったなって思ってて。日本ってすごい恵まれてるなと思って。タイに友達がいて行ったんですけど、タイのスターバックスって時給いくらぐらいだと思いますか?

ゆいぴ:
タイのスターバックス?日本基準で考えると1,000円から1,200円くらい?

小川 直樹:
ですよね。でも僕が行ったときは40バーツだったんですよ。40バーツってそのとき120円ぐらいなんですよ。時給ですよ。日本ってレジ打ちしてるだけで800円から900円ぐらいもらえるじゃないですか。全然お金の価値は違うと思うんですけれども、その数十バーツを1時間で稼ぐために学校行かなかったりしてる人がいると。他にも物を売ってる人がめっちゃいて、そういう人たちは10バーツで焼き鳥売ってたりするの、30円くらい。そういうのが当たり前で。

ある国では子供たちが銃持ってるとか、その場面は見てないですけどそういう話を聞いたりだとか。生涯年収が数十万円とか数万円の国もあって。さっき言ったけど、貨幣の数とか情勢とかは全然違うけれども日本って別に何も考えなくても生きていけるし。なんて恵まれた国というか、でもそれが日本を悪くしてるんだなってすごい思って。そういうふうに日銭を必死に稼ぐ人たち、その人たちはどうやって外国人からお金を取ってやろうって考えてて。それは悪い意味じゃなくて家族を養うためだし。日本人が海外に行くと、めっちゃカモられるんですよね。これ買ってくれ、みたいなのもそうだし、すられたりとか。そりゃそうだよなと思って。

だってね、明日生きていくお金がなかったらそんぐらい当たり前にすると思うし。でも日本ってほぼそういうのないじゃないですか。一部は起きてるかもしれないけれども、大多数の人はそういうことに危機感を感じてないな。そういうのを見てるのと、就活でエントリーシート何枚出したかみたいな、そういうくだらないところのレベル差がやばくて。だからもう就活とかそもそもする気にならなかったんですよね。就活することが目的になってる時点でもう終わってんなって。でも残念ながらそれを変える力が自分にはなかったんで、まずはいろんなことを知ってみるってところに。結果めっちゃいい学びを得たっていう感じですかね。

ゆいぴ:
なるほど。大学を卒業してから今に至るまではどういう?

小川 直樹:
就活って僕の定義では、いわゆるエントリーシートを送るとか生産性のないことをすること、すごい世の中の人みんなを敵に回すようですけど。とはいえやっぱりね休学したんで、僕よりも先に僕の同い年とかはみんな新卒で入ってですね。そん中でも一定層はちゃんと志を持った人がいて、この人と働きたいなって思ったところを紹介してくれた人がいて。エントリーシート1枚も送ってないですけれども、アソビューでの経験とかインターンしたりとか、そこから内定くれたんですよね。さっき言った友達が紹介してくれたところへ繋がった企業がめちゃめちゃ良くて。そこで、自分も働いてないのにそもそも働くことを否定するのは違うなって思って。

レバテック株式会社っていうところですね。そこに1年遅れて2019年卒で入りました。どういう会社かっていうと、エンジニアさん、クリエイターさんの人材派遣とか人材紹介とか。フリーランスへの案件紹介とか。その会社のめっちゃいいところ、僕はすごい共感したなっていうのは、社員もそうなんですけれども世の中が良くなるようにしようって考えてるところもそうだし、決め手はめっちゃ成長できるよって言われて。平均年齢も若いですし、リーダーになる人もめっちゃ若いし、3年ぐらいでリーダーになってるし。1年で3年分ぐらい、普通の会社の3倍ぐらいは経験積めるよって言われたらめっちゃいいなって思って。実際入ってみるとその通りだったんですよね。新しくできた事業部に配属されて、半年でベストチームの組織になって、一気に組織を拡大していく途中で入らせてもらって。結局働いたのは1年10ヶ月だったんですよ。

辞めた理由は何だろうな。それは決してネガティブじゃなくて、多少細かい言い訳はありましたけれども、そういうのじゃなくて。何かもっと自分に経験を積んでできることがあるんじゃないかなって。自分の今の会社のポジションの中で、自分の替わりはいるかもしれないけれども、自分しかできないことってまだあるんじゃないかなって思って。自分の中でそこそこ力ついたってわけじゃないけれど、何かある程度踏ん切りがついて、ちょっと自由なことやってみようかなって思って。

で、猪苗代スキー場がたまたま無料だったんすよ。仕事辞めた後にフリーにしたかったっていうのもあって、そのときにできるだけお金抑えたかったんで。だから、リフト券無料っていうのに惹かれて僕はここにやってきたんすよ。しかもそのシーズンしかいる予定なくって。ちょうど3年前ぐらいの冬か。無事そのシーズンに資格取れたんですね。1月31日に仕事辞めて2月1日にもうこっち来てて、なんとかその2月1日からのシーズン、だから2ヶ月ぐらいで資格取れたんですけど。なんかもうちょっといるか、みたいになって。それはなんでかって言うと仕事を辞めると失業保険もらえるんですよ。その失業保険が出てたんで、逆にこの間働いたら損かなみたいな。本当にそんぐらいの気持ち。あとめっちゃ働いてたんですよね、1年10ヶ月で超働いてて。朝7時に出社して、夜11時までみたいな。別に強制感はなくて自分で学びたいためにやってて。その反動からちょっとゆっくりしたいなって。

高校生ぐらいからカメラやってて、冬が終わって春が過ぎてくうちにいろんな人と繋がっていく中で、お願いしたいんだけどって言われて。別に仕事してないしいっかみたいな。そんな感じで裏磐梯の撮影に行って、そこが一応自分の個人事業主としての始まりではあるんですけど。そのときに見た裏磐梯がめちゃめちゃ綺麗で。そもそも雪しか考えてなかったのにそういう新緑があって。めっちゃいいじゃんみたいな。自分、世界中いろんなところを見てきたけど、めっちゃいいなって思って。でも東京にいたときは福島に来たこと1回もなくて。でもみんなそうだし、僕の周りでも福島行ってる人いないなって思って。これ知らないのって結構損じゃね?ってそんときから思い始めて。そっから夏ぐらいに個人事業主で開業して、失業保険が終わったのと同時に。

さっき言ったようにめっちゃ写真ができるわけじゃないんすよ。そう言うと仕事は減っちゃいそうだけれども(笑) 東京とかで活躍してるようなプロのカメラマンよりは全然だし、ずっと趣味でやってきたから。それでも何か自分にPRできることっていっぱいあるなって思って。だからそれをまずはやってみようかなー、ダメだったら別に東京戻っても仕事はあるし、って感じで個人事業主を開業しました。

ゆいぴ:
それで磐梯町に移住してきたという流れ?

小川 直樹:
そうですね。順を追って説明すると、最初は猪苗代だったんですよ。猪苗代のゲストハウスの人と繋がって、そこで住み込みみたいな感じで働かせてもらったんすけど。そこから会津若松市にお試し移住ができるところがあって、月1万で住めるんですよ。これめっちゃいいなと思って。しかも2LDKで。団地みたいなとこだったんですけど、一旦そこに半年ぐらいかな?住んでる途中でもうちょっとここにいようと。春夏秋っていろいろ見ていく中で、めっちゃこの地域いいなって思いが詰まったし。実際に仕事も入ってきて、これは生きていくぐらいできるなって思って。その後に、旅してたからそういうコミュニティみたいなものを作りたいなって思って、いろんな物件探したんですよね。最初は猪苗代の中ノ沢温泉ってわかります?あっちの方でもう成約するところまで行ったんすよ。でも直前で地元の知り合いか何かに売られちゃって、結局ダメだねってなってるときに、たまたまその中ノ沢の物件を紹介してくれた人に、ここもそんな良くないけど見てみる?って言われて見たのが、今のリトピ(RETOPIA AIZU)なんですよ。

ゆいぴ:
そうなんだー。

小川 直樹:
そうそうそう。意外といいじゃんってなって、とりあえずやってみるかって。しかも賃貸だったんで初期投資かからなかったんで。そうして磐梯町に来たんですね。

未来:今後どんどん人が少なくなっていくのは間違いないから、地域の担い手がちゃんと幸せになる事業をやんないといけないなって。

ゆいぴ:
この先、近い未来から遠い未来、最後に小川さんが死ぬってところまで考えて、未来に対してどういうイメージを持っていますか?

小川 直樹:
そうだなー。世の中っていうか日本全体と世界全体で見ると、日本は緩やかに人口減少が進んでいって。消滅可能性都市がめっちゃ多くて、福島県内でもね、全国で見ても。調べたら1700何十ある自治体のうち40%が消滅可能性都市になるんすよ、何十年か後に。でも世界で見るとめちゃめちゃ人口爆発的に増えてるんですよ。日本ってたったこれだけ減っただけでやばいって言ってる中で、世界ってめっちゃ人口増えていくからそのアンバランス感というか。日本の国力というか、その危機感というか。いろんなところを踏まえてやばいなと思ってて。そういう未来がほぼ間違いなく起こります、と。その中で自分が何もしないってのはまずないし。そのためにどうしようかっていうのを今考えてるフェーズで。

近い未来、うちの会社のミッションみたいなところで言うと、未来の担い手、僕ももう来年30になっちゃうし、こっち来て4年か5年ぐらい経っちゃう。その中で、別に磐梯町に限った話じゃなくて、今後どんどん人が少なくなっていくのは間違いないから、未来の担い手がちゃんと幸せになる事業をやんないといけないなって。町長もいろいろやってくださってて、めっちゃ僕はやりやすいんだけれども。そういうのをもっともっといろんなとこに広めていかないといけないなと思ってて。まず磐梯町で、起業家育成とかもやりたいし。自分たちでゲストハウスとかやるのはもちろんなんだけれども、そうじゃなくてもっと今の自分の経験をアウトプットしていかないといけないなと思って。次の世代を育てるというか。そういうところをまず直近でやっていって。

別に東京から人を持ってくるのが僕は必ずしも正しいとは思ってなくて、間違ってないけれども解ではないなと思ってます。なぜかというと結局減っていく人口の中で、東京からの人を奪い合ってる状況じゃないすか。どっかが増えれば必ずどっかが減ってるんで。それは本質的じゃないなって思うんで。世界の人口がめっちゃ増えてるんで、そこから人を連れてくるってのは全然ありだと思うんですよね。食糧難とかいろいろありますけど、日本の米の自給率も高いし、農家さんめっちゃ野菜捨ててるし、そういうのが事実としてあるんで。そういう世界から来た人たちが日本の魅力を発信してくれるのってすごい意義あることだなと思うんで、そういうところまで持っていきたいなと思って。すごいやんわりですけど。

それをもっといろんな地域で実践できるような。取り組んでからその成果が出るまでって時間かかるんですけど、時間がかかってる間にその地域は滅んでいくと思うんですよ。それをいかに短くできるかが肝だなと思って。かと言って外国人いっぱい入れればいいんじゃないかってそういうわけじゃないんすよね。そこのノウハウをしっかり凝縮していって、福島からもっと日本を盛り上げていきたいなっていうのは思ってますね。それは消滅可能性都市が2050年に何百個できる前にはやりたいなって。中期的なスケジュールはそんな感じかな。

ゆいぴ:
じゃあやることじゃなくて、気持ち的な面とかどういう自分でありたいとかってイメージあります?

小川 直樹:
でも怖いなーって思うのは、今のこの挑戦し続けるところが失われてしまうのではないかなと思ってて。昔から今までは変わってないけれども、これが例えば、避けられないところで言うと体が悪くなったりする可能性だって全然あるわけじゃないすか。鬱になる可能性だってあるし。そうなったときにチャレンジ精神を維持できるのかな、どうなんだろうってのはありますけど。そんなこと考えてもね、どうにもなんないんでやり続けていくしかないんすけど。気持ち的にはこのまんまいろんなことにチャレンジしていきたいし、もっともっと視野を広げなきゃいけないなっていうのはありますかね。

ゆいぴ:
小川さんは磐梯町のことをどう捉えてます?磐梯町はどんな存在ですか?

小川 直樹:
どんな存在かー。この町はすごい可能性を秘めてる町だなと思ってて。なかなかこの環境ってないなって思うんすよね。すごい抽象的なこと言ってますけど。別に他の自治体にね、何年間いたからとかではないんすけど…何だろうな。これだけ町長がしっかりしてて、いろんな人がいろんなことに協力的だし、もちろんそうじゃない人もいますけれども。自分のやったことに対してちゃんと町が変わってるなっていう実感もあるし。だからそういう意味では成果が出やすい、って言うとすごいシビアかもしれないけど。ポテンシャルが高い、そんな町だと思いますね。

ゆいぴ:
今は磐梯町で会社経営されてますけど、その現状がなかったらどういう人生を歩んでると思います?

小川 直樹:
普通に遊んで満喫してるでしょうね。最初の方とかは本当そうだったんすよ。猪苗代に同い年ぐらいの子とか結構いて。もうずっとバーベキューしてみたいな。そんなときもありましたね。シンプルに遊ぶとしてもこのエリアは面白いと思うんですよね。僕も今、仕事してる感じもありますけどSUPしてるときなんか半分遊んでる感じですし。別に会社除いても、龍ヶ沢湧水の上のほう登ったりとか、蛇追ヶ滝の上のほうに登ったりとかしてそうですね。

ゆいぴ:
へえ。最後に言い残したことっていうのを聞いてるんですけど。

小川 直樹:
はいはい。

ゆいぴ:
今まで振り返ってきた中で思ったこと感じたことでもいいし、遺言みたいなものでもいいし、読者へのメッセージでもいいし、インタビューの感想でもいいし、何かありますか?

小川 直樹:
そうだな、自分の核にある言葉なんですけど。すごいシンプルですけど「今が一番若い」っていうのと「人を成長させるのは人と旅と本」。その二つがパッと出てきてて。すごく大事にしてるんですよね。「今が一番若い」っていうのはシンプルで、未来って実は変えられないんすよ。過去も変えられないじゃないすか。今は変えられるんすよね。例えば僕が今こうやってお茶を飲むっていうことは、たぶん飲みたいから飲むんであってすごく生理的な現象だと思うんですよ。でもその積み重ねによって未来って作り上げられていくし、それって他のことにも転用できて。なんかあるじゃないすか、面倒くさいなって思うときとかやりたくないなとか、この人来たなダルいなとかね。いろいろ葛藤あると思うんすよ。でも結局そこで動かなかったら、未来って作れないなと思ってて。だから、自分を第三者から見たときに本当にそれでいいのかみたいなのは問いかけるようにしてて。

ハワイ旅行に行きたいって1万人が思ってて、でもその中の100人ぐらいしか行動する人いないんすよね。残りの人って行きたいって思ってるだけで、実際に行動に移さないんですよ。みんな行きたいって思ってるのに。そのために例えば月5000円ずつ貯金するとか、新しいアルバイトを始めるとか、そういうふうに目標に対して落とし込んでいくって全然しないんですよね。そこでできないと結局やらない癖がついちゃって。僕もね、そうなんすよね。自分のやりたいと思ったことを忠実に全部できてるかっていうとそうじゃないんですけれども。それで後悔するんすよ、死ぬときに。ハワイ旅行行っとけばよかったなって大体の人が後悔するんですよね。だからそうだけはならないで欲しい。今が一番若いんで、とにかくチャレンジしましょうよというところを一番伝えたいですね。失敗も経験になるんでね。だから自分の中の自分と戦ってる人を見ると僕は正直ちょっとイラっとしちゃいます。しかもそういうのが自分にないすごい斬新なアイディアとかだと、僕がやったらいいのになってめっちゃ思うんすよね。特に会津の人柄的にそういう人って多い気がするんすよね。なんとなくわかります?

ゆいぴ:
うんうん。

小川 直樹:
三泣きって言葉があるように、あんまり外から受け入れないじゃないですか。発信もしないですよね。福島って全体的にそういうの下手だなと思って。だからまずはチャレンジしてほしいってことですね。

二つ目の「人を成長させるのは人と旅と本」っていうのはライフネット生命の出口さんの言葉なんですけれども、これは僕は本当に体験して、そうだなって思ったんですね。結局人間って新しい情報をインプットしてアウトプットするしか自分のキャパを増やすことってできないですよね。赤ちゃんで例えると、赤ちゃんってなんでもかんでも口に入れるじゃないですか。木のおもちゃを口に入れて、これは食べれないなってわかって吐き出して、リンゴ見て、この見た目のこの色のやつだったら食べれるなって1回口に入れて、これだったら美味しいなって。結局自分たちでそういうのを積み重ねてできてるわけじゃないすか。右に曲がったら正解だな、過去に正解だったから今回も右に行こうみたいなね。

やっぱり新しい価値観に触れると、その分自分の視野が広がるというか。だから人を成長させるのは人と旅と本。自分と違う人、浪岡さんだったら浪岡さんの今までの経験からいろいろ喋れることもあるだろうし、逆に僕は良いアウトプットができることもあるだろうし。そういうことを情報交換することによって、人を成長させると。本っていうのは自分の知らないことを書いてる人たちがいて、そこからインプットすると。で、旅っていうのは僕が思うに唯一自分からその環境を変えないといけない場所だなと思ってて。それってすごいエネルギーがいるんですよね。でも日本のどっか行っても言葉は通じるし、どうにかなるじゃないですか。でも世界に行くと、全てが違うわけですよね。それこそ時間もそうだし、さっき言ったお金の価値とかも全然違うし、それってすごい情報のインプットになるんですよ。視覚から入ってくる情報が7割って言いますけれども。海外ってどこか行きました?

ゆいぴ:
うん、1回だけ。

小川 直樹:
どこ行きました?

ゆいぴ:
インドネシア、バリ島に1ヶ月滞在してました。

小川 直樹:
おー。やっぱり目に映るもの全然違うじゃないすか?それってすごい成長に繋がるんですよね。だから僕は旅してほしいなって思うんすよね。本なんてね、目が見える限りいつでも読めるし。でも旅は体が動くうちにしかできないし、時間がある若いうちにしかできないんで。学生とか、いくら借金してでも親からお金借りてでも、絶対旅したほうがいいっていうのは伝えたいことですね。その二つは伝えたいかな。

ゆいぴ:
はい、ありがとうございます。

あとがき

日々旅にして旅を栖とす。⸺毎日の生活が旅そのもので、旅が住まいのようなものだ。松尾芭蕉『おくのほそ道』序文にあるこの文章が好きで、私は旅に生きることを決めた。だがしかしなんだ、今は磐梯町という小さな田舎町に留まっているではないか。しかも「定住したい」などとぬかしている。旅に生きる、は早々に終わりか。
では人生における旅とは何か?馴染みのない土地に足を運ぶこと?…それは確かに旅だな。未知の文化を学ぶこと?…それも旅と言えるな。じゃあ他人の心に触れることは?…それも、もしかしたら旅なのかもしれないな。

インタビューという果てなき旅路は続く。『磐梯町の人たち』シーズン2の開幕です。

【インタビュー・編集・あとがき:ゆいぴ】

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