平手友梨奈のいた高校時代の話
今一番好きな(よく聞く)音楽はSixTONESだが、高校時代欠かさずに聞いていたのは欅坂46だった。
というよりも、私は平手友梨奈という存在に心惹かれ続けていた。
欅坂46が好きなのではなく、平手友梨奈が好きだったのだと思う。
昨日映画『ひらいて』の感想を書いた。その中で私は
と、私なりの高校生の解釈を述べた。
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ほかの人と違う自分でいたいという欲求を、私自身が高校生の時に強く抱えていた。
”演劇部”という場所は外から見れば変人の集まりであるが、内に入ってしまえばみんなどこかがおかしくて、だから自分は特別でも何でもなかった。
それでも教室に戻れば自分はやっぱりどこか変で、変だと言われ、思われ、それを嫌だと思うよりもむしろ喜ぶべきことだと思っていた。
私はずっと、自分は平手友梨奈と同じ時間軸を同じような感情を共鳴して生きていると思っていた。
平手友梨奈は私より1学年下であるが、ほぼ同世代と言っていいだろう。
平手友梨奈に初めて出会ったのは、サイレントマジョリティーのMVである。
『君は君らしく生きていく自由があるんだ 大人たちに支配されるな』
歌詞を書いた秋元康もすごいと思うが、アイドルなのに一切笑顔を見せずに堂々と手をあげて歩く平手友梨奈という存在に一気に惹かれていった。
アイドルが歌うには重すぎる内容を、説得力のある眼差しで訴えてくること、そして平手友梨奈以外のメンバーがあくまでも引き立て役として存在している潔さも好きになった。
2ndシングル、3rdシングルもセンターは平手友梨奈であったが、この二つはどちらも笑顔で、歌詞にインパクトはあるものの、アイドルの歌という印象であった。ただ、この2つのシングルはカップリングが強烈であった。特に3rdシングルのカップリング曲である、『大人は信じてくれない』は当時、高校生だった私の胸に強く訴えかけてきた。
事あるごとに、周りから「あんたなら大丈夫」と言われた。
その言葉が重荷になっていた、常に大丈夫じゃないといけない責任感に潰されそうになっていた。そんな気持ちを私の代わりに歌ってくれているような気がした。
別に私は何も持っていないし、周りが思っているほど大丈夫でもないし、本当は心配されたいのにそれもうまく伝えられない苦しさを、この曲はさらに助長させてもっと苦しくなって、気付くと私は平手友梨奈に自分自身を重ねていた。
そして、高校2年生の7月、先輩が部活を引退した直後に発表されたこの曲で、私は本当に平手友梨奈の信者になった。
当時の私は大会に出す作品の脚本と演出を担当していた。先輩の代では県大会で最優秀賞をとっていた。だったら私たちはさらにその上に行きたい、そう思う気持ちのあまり、私の脳内は部活のことだけになっていった。
自分の書いた脚本を自分で演出することにはリスクがある。私の脳内では完璧にイメージされていることがどうも部員には伝わらない。私の世界が周りの思う世界と全然違ったのだ。
そのギャップを埋めるために、私はさらに部活にのめり込んだ。
教室にいる間は誰とも話さず、授業は聞かず、部活の3時間のために7時間の授業を聞いているふりをした。時に、授業中も台本を開いては自分の世界に閉じこもった。
そんな自分を、クラスメイトがどう思っていたのか、正直今ではもうわからない。ただ、部活にのめり込んでいた時期のクラスの思い出はほとんどなくて、周りから変人だとかやばいやつだとか言われていたような記憶がうっすらとある。
”他とは違う特別な何か”ではなかった。ただ、自分のやりたいことしか見えず、それゆえにクラスでも部活でも、世界に自分が存在していないような感覚がずっとしていた。
そんな感覚を肯定してくれたのが、『エキセントリック』である。
この歌で、みんながいる世界にいられない自分を肯定して、おかしいのは私じゃなくてみんなの方なんだと決めつけて、そうやって自我を保った。
みんなと同じようにできない自分、それはいたるところにあった。
修学旅行の班決めとか、授業内のグループワークとか、昼休みとか、休日の遊びとか、部活への熱意とか。
みんなが多数派で自分が少数派なのはわかっていた。
でも、平手友梨奈はそんな自分を認めてくれた。
正確には秋元康かもしれないが、平手友梨奈は決してマジョリティーにはならないし、アイドルという枠からはみ出ていくことに躊躇がなかったし、いつまでも欅坂46の象徴で、私の永遠の味方だった。
『月曜日の朝、スカートを切られた』は『サイレントマジョリティー』の前夜の曲だと言われている。
そのころ、私は若干不登校になりかけていた。
部活のために学校に行かなくてはならない。でもみんなと同じ教室で、同じ方向を向いて授業をうけるのは辛い。
何度も何度も保健室に通った。親のふりをして学校に遅刻の連絡を入れた。
どうせ学校に行ったって授業は聞かない。寝るか台本をいじるかしかしない。それなのにどうして学校に行かなきゃいけないんだろう。白鳥の群れの中にカラスが紛れ込んで何とか生活するなんてできるわけないのに。
そう思って、重い足を引きずりながら何度もこの曲を聞いた。学校についたら私もサイレントマジョリティーの一部になってしまうかもしれない。
『I am eccentric 変わり者でいい』と心では思っているけど、それを声高に宣言して堂々としていられるほど強くはなかった。
私の味方は平手友梨奈だけだと思った。平手友梨奈が訴えてくる言葉に同調して、それで何とか学校に行けていたのだと思う。
いよいよ本当に自分の輪郭がつかめなくなった時に聞いていた。
まわりも自分のことを変な奴だと確信していたから、ひとりぼっちでいることが楽なふりをして、自ら望んでひとりぼっちになっていた。
どうせ話しても理解してもらえない、どうせ一緒にいたって心から笑えない、どうせ…
多分、このころからだと思う。明確に自分のことを傷つけることに抵抗がなくなっていったのは。自らの人生を自らの手で終わらせることができることに気付いたのも。
それでも生きていられたのはこの曲があって、そして平手友梨奈が主人公でい続けたからだと思う。
集団の中の外れ値であると同時に、誰も真似できない圧倒的なカリスマ性をもっていて、世間から何と言われようと彼女が舞台に立った瞬間に言葉を忘れて誰もが引き込まれていく。
私も平手友梨奈になりたい。
踊れないし、歌えないけど、彼女のように生きていきたい。
この曲と出会ったときから何となく、今の自分の価値観、人生観が確固たるものに変わってきたのだと思う。そんな年齢でもあったし。
周りからの目線を気にしないでいられるわけがない。でも、自分の世界だけで邪魔されずに生きていたい。高校生特有の悩みであったと思う。でも、この曲は私にとっても避雷針であった。
この曲については以前も触れたと思う。
部活に一つの区切りがついて、やっと自分の世界と周りの世界の境界線をぼやかすことが出来るようになった時に聞いていた。
これまでずっと、平手友梨奈は自分の世界を確信していて、平手友梨奈の世界が常識から大きく外れていたとしても、孤高の存在でい続けていた。
『アンビバレント』はそんな平手友梨奈が孤高の存在から一歩だけこちら側に歩みを寄せてきたと思って聞いていた。
少しずつ心を開いていくと、やはり人間同士、好き嫌いはあるもので、分かり合える瞬間と同じ数だけ分かり合えない瞬間があった。
私のことを全て理解したような顔で近づいてくるようになったクラスメイトに対して、近づいてきてもらえる嬉しさを嚙み殺して、何もわかってないくせにとそっぽを向きそうになって、でもいい加減心を開かねばという義務感もあって、そんな複雑な感情であった。
平手友梨奈が孤高から歩み寄ってきているなら、私も孤高から降りてやろう、そんなことを結構本気で思っていた。
平手友梨奈の存在はいつも自分自身になぜかぴったりとくっついて、正確には私が勝手にくっつけて、彼女のようになりたい、振る舞いたい、なんて思ったりした。
タイミング的にはちょうど部活を引退して受験勉強に突入したときの曲だからなおさらだろう。もう、部活の時に作っていた自分だけの世界を周りにわかってもらう必要がなくなって、何かを背負うことなく自分が自分のままで生きていられるような環境になったのも大きかった。
受験勉強は孤独との戦いではなく、自分より偏差値の高いクラスメイトを尊敬したり嫉妬したり、そうやって周りを意識することで頑張れていた。
誰かの感情を気にしていても自分の偏差値は上がらないからこそ、適度な距離感とアンビバレントなメンタルで、自分の世界を守りながら他人の世界に存在できるようになった。
そして、高校卒業を目前にリリースされたのが『黒い羊』
これまでの楽曲からさらに平手友梨奈の主人公感の強さと、他のメンバーのバックダンサー感が強まった。
このMVは何かを象徴しているのだろう、ただ、一体何を象徴しているのだろう。
そんなことを思いながら何度も何度も繰り返し見た。
もう、このころの私は進路が決まり、落ち込んでいたメンタルもどこかへ飛んでいき、楽観的に物事を見れるようになっていた。だからこそ、このMVが示すものが何なのかが気になった。
平手友梨奈はもう欅坂46からいなくなるのかな…。と少し思った。
欅坂46は白い羊の群れで、平手友梨奈は黒い羊だった。だから人々は平手友梨奈に夢中になって、彼女を崇拝した。
でも、永遠は存在しない。いつか彼女だけが黒い羊であることに異を唱えるものが出てきて、彼女を白く染めようとするのだろう。
だから平手友梨奈は白く染められる前に、黒い羊として、誰よりも目立つ象徴として立ち止まり、白い羊を逃がして生き延びさせて、自らを犠牲にするのだろう。
そんな風に勝手に考察したりした。
進路が決まって、白い羊の群れから離れることができる自分はやはり平手友梨奈と同じで、でも、私は自分を犠牲にはしない。黒い羊だったかもしれない自分を目印にも盾にもしないし、白くならなくても生きていける環境を絶対に見つけ出すんだと強く心に誓った。
高校生特有の“特別な何かでありたい、何かを持っていたい”という欲求は、自分が黒い羊だったかもしれないということで、簡単に結論付けても良いだろう。
少なくとも今の私はそう結論づけることに納得がいく。
こうして平手友梨奈と共に歩んだ高校生活は終わった。
ここからは余談だ。
大学1年の夏休み、『角を曲がる』がリリースされた。
大学生になって、もっと広い世界を知った。
社会人になって、さらに世界が広まった。
この曲の歌詞を見ると、自分の高校時代がいかに変な尖り方をしていたかを思い知り、少し恥ずかしくなる。
ただ、やはり平手友梨奈は平手友梨奈であり、私は彼女に自分自身を重ねている。
『角を曲がる』彼女に、今も自分を重ねている。
所詮、他人は他人でしかないのだ。
”フォーカスのあってない被写体が泣いていようと睨めつけようと どうだっていいんだ”
”与えられた場所で求められる私でいれば嫌われない”
”イエスでいいのかサイレントマジョリティー”から始まった平手友梨奈が教えてくれたこと。それは自分の世界を持ち続けること。周りから何を言われても、自分の世界を捻じ曲げないこと。
どうせ他人には、自分の世界なんてほとんど見えていなくて、とりあえずやるべきことさえやっておけばそれでいい。
そんなメッセージを最後に残してくれたのだと思う。
でも同時に、平手友梨奈は大きな宿題を残していった。
”らしさって一体何?”
人は誰かのことを語るときに”らしさ”を使う。
でも、”らしさ”って何なのだろう。
私らしいってどんなことなんだろう。
それって結局、周りから自分がどう見られているかってことだよね。
私らしく生きることは、周りの期待値に限りなく近づくことでもある。
それって、自分の世界を生きることと大きく矛盾しているのではないか。
それだけは今でもわからないままだ。
欅坂46は私が高校生になる少し前に結成して、大学生になってしばらくしてなくなった。
だから、私の高校生活のそばにはずっと平手友梨奈というカリスマがいて、彼女が歌い踊り表現するひとつひとつの作品に支えられて、何とか高校生を終えることが出来たと言っても過言ではない。
人生で一番多感な時期に平手友梨奈という存在を妄信できたことは自分にとってとても大きなことであると思う。
今の職について、今の高校生を見ていても、そこに平手友梨奈はいなくて、でも、彼女と同じように、つまりあの頃の私と同じように悩んでいる高校生はいて、一体何が、誰が、高校生の支えになるのだろうと思うことがある。
欅坂46はあくまでもアイドルだ。
だから多分、聞く人が聞けばそこまで深く考えたり思い悩んだり激しく共感することは無いだろう。
でも間違いなく、どの時代でも平手友梨奈がいた欅坂46を必要として、支えにする高校生は居続けるだろう。
そう確信できるほどに、彼女の存在は大きすぎた。
彼女はもう欅坂46にはいない。欅坂46もなくなった。
でも、私の中にはまだ、欅坂46の平手友梨奈がいて、ことあるごとに彼女と自分を重ねては過去と現在を行き来している。
欅坂46の音楽がある限り、私はずっと平手友梨奈と共に昔と今を歩くことができる。