毎日コツコツから見える尊敬
筋トレを始めた。
きっかけは低血圧に悩まされていることと、家で何もせずにダラダラしていたら太るだろうなと思ったことである。
文化部出身の私に筋トレの知識はなく、とりあえずYラジオ体操をするところからはじめてみた。高校生のときに体育の授業で合格するまでラジオ体操をやらされた苦い記憶が蘇ってきたが、そのおかげなのか音楽を聴くだけで勝手に体が動く。とはいえやはり、日頃の不健康は如実に現れラジオ体操第一だけで息が弾み汗をかき疲れ切ってしまった。情けない。
それから、YouTubeで3分エクササイズの動画を見つけ、見よう見まねで3分エクササイズをやってみた。大した動きをしているように見えないから余裕だろうとたかを括っていたが、いざやってみると3分持たない。2分をすぎたあたりで限界が来てしまうのだ。情けない。
それでもここでやめたら悔しいと思い、とりあえず3分エクササイズをやり切ることができるようになるまでやってみようと思い、毎日の習慣にした。
合わせてプランクも挑戦してみることにした。
日頃、生徒の様子を見ていると45秒できついきついと騒ぎつつも笑っているから余裕だろうと思っていた。むしろ45秒できついなんて軟弱だと生徒に対して思っていた。
実際は10秒が限界だった。
とにかく腕から足からお腹から全部痛いのだ。5秒を越えたあたりから全身がブルブル震えだして止まっていられない。情けない。
せめて45秒できるようになるまでは頑張ってみようと、プランクも毎日の習慣にした。
プランクをできるようにするためには、腹筋を鍛えた方がいいと思い、現役運動部高校生の弟に筋トレのメニューを教えてもらい、弟が普段部活でやっている内容の10分の1の量をやってみることにした。
また、弟からのアドバイスでプロテインを飲み始めた。運動後に甘いプロテインを飲むなどありえないと思っていたが、もともと食が細くなり栄養不足も感じていたので、薬だと思ってプロテインを買って飲んでみるようにした。
こうして、なんとなくで始めた、側から見ればトレーニングとも言えないような筋トレをはじめて3週間ほどたった。
体調に波があり、全く布団から起き上がれない日もあるが、そんな時でも寝転がってできるトレーニングを調べて1分だけでもトレーニングをするようにしてみた。とにかく毎日少しでもやってみよう。毎日コツコツ。
今の私はラジオ体操第一が程よい準備運動になっている。3分エクササイズは最後まで笑顔でやり切れるようになり、5分エクササイズにアップデートしてそれをやり切ることに目標が変わっている。プランクは1分15秒までは余裕になった。弟に教えてもらった筋トレは弟の4分の1くらいはこなせるようになった。
コーチがいないから正しくできているのかはわからない。ただ、間違いなく3週間で自分の身体は成長したと実感できた。そして、3週間続けたことでここで辞めることがもったいなく感じてきた。習慣として身についたのだと思う。
以前、集会のときに上司が生徒に向かってこんなことを言っていた。
『例えばマッチョになりたいと思ったとして、いきなり腹筋100回やるときめて100回できる人はなかなかいない。たとえ100回できたとしても、次の日も同じように100回やって、継続できる人はもっといないだろう。でも、1日1回だけなら続けられる人は多いと思う。1日1回が当たり前にできるようになれば、それが10回になって20回になって、そのうち100回できるようになるかもしれない。いきなり高い目標を掲げてがむしゃらに頑張るんじゃなくて、小さなハードルを一つずつ越えていけばいいんだ。』
体育教師らしい、分かりやすい例え話だとその時は思っていた。でも、私は1日1回の腹筋すらやりたくないから、その時は「良いこと言うな〜」くらいにしか思ってなかった。
今、あの時の上司の言葉が身に沁みてわかる。
いきなりプランク45秒を無理してでも続けていたら、その1回で嫌になって諦めていたと思う。弟と全く同じ量の筋トレを最初からやっていたら3週間も続かなかったと思う。
辛かったら無理しない、きついと思ったらそこでやめて良い代わりに、毎日ちょっとでも挑戦する。
毎日コツコツを可能にするのはそんなマインドだと思った。
そして今日、部活が休みで体力を持て余している弟にキャッチボールに誘われた。炎天下のなか30分だけと決めてキャッチボールをした。
元テニス部で肩が強い弟の球はずっしり重い。運動不足の姉に遠慮してはじめは山なりの緩いボールを投げてくれていたが、それでも重いと思った。次第に慣れてくると球速も上がり2人の距離もどんどん離れていった。
私もはじめは恐る恐る投げていたが、慣れてくると球速を上げたり、遠投にチャレンジしたり、夢中でキャッチボールをした。
15分キャッチボールをしたところで休憩を挟んで、今度は守備練習。
弟がランダムにゴロやフライを投げるのを必死で走り回って取り続けた。最初の3回は全然ダメだった。転がっていくボールを走って取りにいって弟に投げ返す。ボールを取るために走るのが嫌になって意地でも取ってやろうと思って集中してボールを見ていたら、自然と取れるようになっていった。弟にも何度も「ナイス!」と言われて嬉しくなった。
それから守備交代。高校生男子に遠慮はしない。無茶なフライやゴロを投げてやるが、悔しいことに一球残さず余裕で取ってくる。投げ返してくるボールをキャッチする私の方が大変なくらいだった。
ちなみに弟は野球経験がない。野球経験がない弟とどうして守備練習してるのか、全くもって意味がわからないが、そんなことはどうでも良いくらい楽しかった。
30分が経った。汗が止まらない。息も上がって疲れ切っていたが、ここで終わりにするのはもったいないと思った。
無尽蔵の体力を持つ弟はまだまだ余裕の表情。
「もう一回やろうよ」
そう言って、今度は遠投キャッチボールをした。
素人の弟の目算だからどこまで正確かわからないが、マウンドからバッターボックスまでは直線のボールを投げられるようになった。
2塁からホームベースまでも山なりではあるがワンバンで届くようになった。
できるようになるたびに、弟に「ナイスっ!」と言われるから嬉しくなって調子に乗って、何球も何球も投げ続け、最終的に脇腹を攣って終了となった。結局1時間近くキャッチボールをしていた。
全身から汗が吹き出して、息も絶え絶えであったが、苦しいというよりはすっきりとした気分だった。
家に帰って熱いシャワーを浴びて、エアコンの効いた部屋で弟とプロテインを飲んだ。
今まで飲んだプロテインの中で一番美味しかった。
今日のキャッチボールが楽しかったのは、普段やらないスペシャルな出来事だったからだと思う。失敗しても怒られないし、小さなことでもうまくいくと「ナイス」と言われる。弟からしてみれば接待キャッチボールだったと思う。でも、だから楽しかった。
でも、これを毎日何時間もできるだろうか。
そう考えたときに、私は生徒のことを尊敬した。
野球部の夏の大会はネット配信で見ていた。
甲子園もダイジェストではあるが、それなりに見ていた。
高校球児は当たり前のようにボールを追いかけて、ノーバンでホームまで送球している。どこに来たボールも正確にキャッチして、瞬時に判断して投げるべき場所に投げる。
見ている分には簡単そうだが、実際にやってみると簡単じゃないと思った。
何十時間もの積み重ねた練習が、簡単そうに見せているのだと気付いた。
筋トレはキツい。正直言ってやりたくない日もある。それでも私は自分で決めた意志だから続けられている。
でも、高校生たちはその部活に所属したというだけの理由で、毎日筋トレをしている。しかも自分の意志で途中でやめたり量を減らすことはできない。きつくても辛くてもやり切ることが毎日の当たり前で、それを褒められる機会などほとんどない。
職員室から野球部の練習を見ていて、監督の厳しい叱責はしょっちゅう聞こえてくるが、褒めている声は滅多に聞こえてこない。
それでも彼らは日が暮れるまで練習を続けて、毎日毎日野球をやっている。
野球部だけじゃない。
運動部が当たり前にやっている筋トレが、私は当たり前にできるようになるまでに3週間では足りなかった。このペースで頑張っても半年くらいはかかるかもしれないと思う。ましてや休んだりサボる選択肢がなかったり、叱責されながらであったら1年かかってもできるようにはならないと思う。
たとえどんなにそのスポーツが好きでも、3年間頑張り続けることは、簡単なことではないと思った。
そしてはじめて、運動部の生徒に対して尊敬の気持ちが生まれた。
私は自分に甘く甘く甘すぎるトレーニングでなんとか習慣をつけることに成功した。それでも誰かに叱責されたら嫌になって辞めると思う。
弟にキャッチボールで下手くそだと罵られたら2度とやらないと思う。接待キャッチボールだから楽しくできたし、またやっても良いかなと思えたにすぎない。
高校生の彼らにとっては当たり前のことなのかもしれない。当たり前だと言われ続けてるのかもしれない。でも、私にはその当たり前ができないから、当たり前にできる生徒のことを尊敬している。
運動でなくても、どんなことでも毎日コツコツやり続けることは簡単じゃない。私だって文章を書くのは好きだが、毎日書けと言われたらちょっと嫌になる。
だから、毎日学校に来ることも、毎日授業を受けることも、毎日掃除をすることも、当たり前のように見えて実はとてもすごいことなのだと思う。
だから毎日コツコツが当たり前にできなくて疲れちゃうこともあると思う。それでも彼らは休まないで学校に来る。大人は休まないで学校に行けと言う。それが当たり前だと思われているから。
仕事面でももしかしたら同じかもしれないし、社会の至る所に毎日コツコツの当たり前が転がっている。
それが当たり前にできることは実はとてもすごいことで、それを当たり前にできるようになるまでにかかった労力は等しく尊敬に値するものだと思う。
はじめはなんとなくで始めた筋トレが、思わぬ気づきを私に与えてくれた。
次の目標はプランク1分30秒。頑張ってみよう。