わからなくてもきっといいこと 《祈りを忘れた時代へ(7)》
「祈りを忘れた時代へ」今回で一旦最後にいたしますが、これらの「祈りを忘れた時代へ」だったり「厄とはなにか」をはじめ、そして特に以前掲載した「伝言」という内容を、以前とある場所に掲載したことがあるのですが、その時にコメントやお便りで「もっと詳細な内容を知りたい」とか「動物の話も知りたい」というお声を多く頂戴したことがあります。そして、そんな反応をいただいて(だからこそ)私は、続きを書くことをやめました。
私の中にもちろんあるのですよね。なにがって、こういう話もしたい自分や、その中には人間にとってとても大切なことが多く含まれていると感じるので、伝えたかったり、聞いて欲しかったり、感じて欲しかったり、考えてみて欲しかったり、それこそ、わかって欲しかったりと、そんな気持ちがあります。(「欲しい」だらけですね 笑)
だけど、そこで私を止めるのは、経験上、現代では真意や本意を理解されない方も多く感じています。そこには現代の教育や社会構造や科学や宗教的な観念や様々な理由があるのも感じる上で、各々の解釈で丸も四角に捉えられてしまうことも多く、それも各々の自由意志で、それぞれが見ている世界が違うのですよね。100万色で描いた絵画も、見る人によっては300色にしか見えないので、そのお方にとってその絵画は300色なんです。
そこでいつも思うのが、やはり「わかる必要があるものなのだろうか」という気持ちであり、そんな考えです。知らなくていいことだからこそ、殆どの人間は知らないのですし、私もわからないことだらけですから、この世界に生きる上で、きっと必要がないとまでは言いませんが、きっと「知らないほうがいい」とか「わからないからこそこの世界で生きる意義がある」そしてまた「現在はわかるまでに至っていない」だったり、そんな気がするのです。
率直な表現で言うのなら、あえて「わからない」世界なのであって、それはきっと本当は知っているけれど、あえて「忘れている」ということのような気がするのです。「知っているのに知らない」つまりは「思い出せないようになっている世界」で生きているとも言えますし、その世界では忘れている必要があるということです。だからこそ、あえてこの世界で生きる必要があるのだと思います。
あの世でも神様と呼ばれる方々の世界でも宇宙でも高次元などでも、なんと呼んでもいいのですが、謂わばこの世界を含む、もっと大枠の世界では、この地球での三次元世界の法、善悪などの認識や思想やルールや人々が善意や平和的思考だと思い込んでいる人情や感情や愛情でも、殆どが、この世界つまりは人間が思っている世界のルールやステイタスと、その外側の世界の法とはかなり真逆なことが多いのです。
今日は別にそんな方向の話を掘り下げていこうとは全く思っていないのですが、前述した「でも伝えたい、話したい」のような私の気持ちに対して、いつも立ち止まり、また自分で考えるのです。なんなんだろうなぁ、どうしようかなぁ、と。そんな自問の末、すこしだけ形にしてみようかなと、やっと最近は思い始めるようになりました。と、いうところで、この話はここまでにします(笑)
そう、冒頭の話に戻りますが「動物」の話。人間にとっては大概、ペットちゃんの話になりますよね。人とペットの出会いにはとても強いご縁があるのも確かですが、生きていてもそうですが、動物は死を通してまでもとても重要なメッセージを遺す場合があるという話までは少ししましたが、大体の人間は、その「伝言」を誤解することのほうが多い気がします。
特にペットの話では、飼い主の人間都合での偏狭的な世界観での感傷的なドラマに仕上がってしまって、感動材料のように扱われてしまう場合も多いように感じます。もちろんそういう気持ちも確かに愛着や情愛的な愛でもありますし、別れの辛さや寂しさもありますが、限りある時間を共有した生命に感謝を送るような心でもあるので、それは私もわかります。しかしそこにひとつ大きな原因を考えると、ひとつのことに行き着きます。
それは、人間はペットである動物を下に見ているからなのだと感じます。これがそもそもの誤解なのです。その誤解は他の動物や植物やその他にも、そして人間同士でも同じ意味を持つと思いますし、そもそものそんな誤った認識がこの世界を顕著に顕している気もします。詳しくはいつか機会があったなら話してみたい、人間の根本に触れる内容でもあるので、またいつか話すかもしれません。
ですが、こういったペットの伝言に関して感じるのは、いかに人間がまだ自己愛や利己愛の次元に在るのかということです。死後も飼い主(家族)の元でサポートをしていた動物が、最後には失望して還っていくこともあります。いや、そんな話はここではやめましょう(笑)
とにかく、そんな人間と比べるのなら「愛」しかない様な犬や猫ちゃんなので、どうか自己愛の投影としての愛玩だけではなく、また表面上は愛護精神や平和思想を装いながらも自分の内の隠された利己愛を遂げる為の都合のいいツールに利用などしないで、話をして側にいて、共にこの世界で生きるかけがえのない時間を大切にしてほしいと願います。
人間の都合で捨てられた動物が必死で飼い主(家族)を心配して捜して求めてくる個体もいますし、人間にひどいことをされたり、人間の意識や能力の低さに対し人間に呆れ、人間に失望している個体も多いです。多くの話を実は私も知っています。だけれど、いまはそれらを話す気はないというか、話してもきっと9割以上の人間に理解されないのは良いとしても、誤解されてもっとひどいことになりかねないと思わせる事実や事象がある日々です。
それでも確かに人間と共に生きることを選んだ動物や植物や鉱物などというのは、そのように「側で見守ること」や「与えることのみ」という献身だけを選んで、ただただ一緒にいたいという愛で生まれて来ている気もします。そのような個体は、何度も転生して会いに来ている場合が多いですので、新たに飼ったペットが実は以前亡くなって別れたペットがまた姿を変えて会いにきていることが多いものです。
動物でも、植物や鉱物なんかもいろいろありますが、思い遣りや真心や祈りのような人間の中にもあるなにかはいつでも伝心しているのだと思いますが、そんな想念や心や意思や伝言ではなく、真相だったり事実などで、知ってしまったことでも言葉にするのはよそうと思ったり、伝える事を見送ることも多いです。または、時期を待っていることもあります。
いくら真実だからといっても、受け取る側は空蟬の人間ですから、知ることによって、事実を受け止められずに、かえって良くない方向へ動いてしまうことも多いので、それがわかる時は控えることにしています。そのお方の生きている世界観や理解力や住んでいる次元によって見定め必要な範囲のみで留めることも多いです。
それを言うと、本当に恐ろしいこともこの人間の社会には多いものです。今回は動物の話ですが、よく動物虐待などの話もあったり個人でも動物愛護や支援なども盛んな現代ですが、その愛情を少しだけ自分たちの世界にも冷静に向けてみたならどうでしょう。いやはや…人間同士のほうがもっともっと残酷で愚かなことがまかり通っていることにも気がつくのではないかとも思います。
この世界ではそれは悪だったり悲劇だったりすることが多いですが、人間がこの自由意志の世界で、転ぶのも汚れるのもまた各々、その者には必要で大切なかけがえのない経験ですから、闇もあってこその現世の自由なのですよね。
そういった人間のアレコレもまたきっと、どこかで、なにかの、誰かの必要な事柄なのだと思ったりもして、そんなことを思うと、もうこの世界に善悪という概念は無いに等しく思えて、なにも出来なくなってしまいそうな自分もたまにいるので、そんな時は、ただただ草花と風を浴びて戯れたり、いかにも世俗的なすこしエッチなことでも考えたりするようにしています(笑)
私もまたせっかくこの世界で生きているのですから、浮世を味わい尽くして、様々なことを経験したいですからね。それもこれもあれもこれもで最後にまとめるのなら、事柄もそこにある意味でさえもそれは千差万別で、森羅万象すべて、この世界は愛でできている。なんて言いたいものですね(笑)
現代は特に、生きる事に人間は「意味」を欲しがっている時代にも感じるのですけれど、だからきっと知りたがるのもあるのでしょうし、そんな純粋な知りたがりもまたとても生きづらい時代にも感じます。
どんな職業がいいかとか、どうやったらたくさんお金を稼げるかとか、恋人がほしい、結婚がしたい、子供がいるあの人がうらやましいとか、なにかと自分以外に「意味」を欲する人間の多い世の中ですが、そもそもそんなこと知らなくていい程に「生きること自体がきっと意味であり目的」のように思っているくらいがちょうどいい気がします。何者でもなく、笑い喜び、悲しみ迷い、そんな生きることの「答え」なんて「わからなくてもきっといいこと」なんです。
命はテストや試験じゃないのですから正解も他者の評価などなくて、知りたがらずに、すべては自分で感じて覚えていく感じで、辛さも嬉しさもただ、限られた生きる時間を大切に歩んで、いつか自分だけの経験を土産にどこかへ還っていくものなのでしょうね。だったら現在を共にするすべての他人や存在達と生きること自体を敬い合いながら、分かち合うというのが、私たちの生き方なのかもしれません。
今日は、なんでこんなこと書いているのか自分でもわかりませんが、こういうある意味で「目に見えない話」が他にも沢山あるのです。いまはまだ本当に触りしか表していませんが、今後は、そういった「わからなくてもきっといいこと」を、もっと別の形で、なにか文章や作品などで表せるように模索していきたいと思っています。
20180519 15:15(20180926再編)
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