「オトコだから泣くな!」
母親からこっぴどく叱られたわたしはよくそう言われたものでした。
だけど、悔しい気持ちは本当だし、詫びたいこともウソではないし、自然に涙があふれてくる感情はどうにも止めることができません。
むしろ、子供ゴコロに抑えようとすればするほど、嗚咽があふれてしまいます。
「オトコって損だよな」
そんなネガティブな思いを少年期まで引きずっていました。
時代はまだ昭和のころ。
わたしはアメリカのテレビドラマ「大草原の小さな家」を観ていました。
物語は西部開拓期、アメリカの片田舎を舞台とした家族やそこに暮らす人々の群像劇です。
その回のタイトルは「アイザックじいさん」。
独り暮らしのアイザック老人はその町に住む木工職人。
腕は良いものの、ユダヤ人であることからあからさまに差別や偏見を受ける日々です。いつも黒い帽子をかぶっていることから、頭に角が生えていると噂される始末。
ある少年がアイザックのもとに通うようになり、木工技術とともに、人間としてのありかたを授ける日々を送ります。
一方、アイザックは胸に病を得て、医者は安静にするよう薦めますが、彼は仕事を止めません。
ある日、涙をこぼしながら大きな木箱を組み立てるアイザックに少年は尋ねます。
「泣いているの?」
その木箱は死を悟った自らのための棺でした。彼は優しく答えます。
誰だって泣くさ。
親父も爺さんも泣いていた。
棺を作るとき、涙はつきものだ。
泣くのは弱虫だと言って、泣かないやつもいるが、
わしは素直に泣けてこそ、一人前の男だと教わった。
このセリフを聞いた時、頭の中の世界観がひっくりかえるような想いでした。
感情を押し殺すだけが大人ではない。
それまでの足かせから解き放されたような気がしたのです。
とはいえ、年がら年中、気ままに感情を爆発させろというわけではありません。
責任を取れるようになったのなら、自らの想いに胸を張れ。
ここぞと言う時、己を信じること、あの時の選択は正しかったと思うこと。
それでこそ大人と言えるのだ。
アイザック老人はそう言いたかったのかもしれません。
わたしはそう解釈して、今に至ります。
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