【読書記録】乱読のセレンディピティ/外山滋比古
私はこの本を「乱読」したので実は通読したわけではない。その中でも「いいね」「わかる」と思った箇所の感想メモ。
散歩はいいぞ
モヤが晴れてすっきりする、思考が巡る
ジョギングが好きな先輩が「走りながらネガティブなことを考えるのって無理なんだよね」と話していたのを思い出した
当然のように健康にも良い
偶然にも私は最近また歩き始めた。調子は良い。
朝はいいぞ
忘却の効果によって不要な知識や記憶が削ぎ落とされてクリアな思考になっている
寝る前にストレッチをして血流を上げておくとなお良い(持論)
夜明けとともに目覚めたい
おしゃべりはいいぞ
手工業が機械によって駆逐された結果、読み書きができ事務作業ができる会社員の地位が上がりリテラシー信仰が長く続いたが、今度は読み書きが機械に駆逐されつつある
目で読む言葉から聴く・話す言葉に重きが置かれていくべき。なぜなら機械におしゃべりはできないから
複数人でのおしゃべりは実は高度な知的営みであり、発想の源でもある
おしゃべりで思考が回転する感覚は確かにある。喫茶店で時間を忘れて話し込む時間が大好き。これからもおしゃべりと、そこから生まれるアイデアや発想、言葉との出会いを楽しもう。
乱読はいいぞ
散歩するように、風のように、軽やかに本を読もう
「ゆきずりの読書」にピンときた
精読が必要な場面もあるだろうが、それ以外では乱読(わけがわからなくても読む、色々なジャンルをつまみ食いする、読み終わらなくても手を出してみる)が新たな発想 = セレンディピティを生む
忘却してもいいんだぞ
食べたものが排泄で体外に出ていくのと同じように、忘却によって脳内の代謝が行われている
私は使わない知識をどんどん忘れていく忘却上手w
使わない知識を詰め込むと知識メタボになるぞ
散歩・朝の活動・おしゃべりの3つの効用については経験からも納得できたのでこれからも続けようと思う。
正しい読書とは精読のことで、精読のできない私は能力が低いのだと思っていたので、乱読を肯定してくれるこの本は私の読書生活の支えになりそう。
クリアに覚えていなくても、頭の中に断片的な知識が実が残っていて(私の中では頭の中にふわふわと浮かんでいるイメージ)、それがあるときバチッと引き合ったり突然思い出したりすることがあるんだよね。それが乱読のセレンディピティなのかも?