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「葉」太宰治 〜どうにか、なる。〜|読書感想文 #9

ついに、ずーっと温めていた『晩年』を読み始めた。
なぜ温めていたかというと、「『晩年』に就いて」で太宰がこんなことを言っていたから。

「晩年」お読みになりますか?美しさは、人から指定されて感じいるものではなくて、自分で、自分ひとりで、ふっと発見するものです。「晩年」の中からあなたは、美しさを発見できるかどうか、それは、あなたの自由です。読者の黄金権です。

「『晩年』に就いて」-太宰治


美しさ、発見してみたい。
発見できそうな余裕があるときに、ゆったり読もうと思って、温めていたのです。

けど、ふと思いました。
何かで辛いとき、落ち込みがちなときにこそ、太宰から力をもらってきたじゃないかと。

よし、今読もう。
(ちょうど、小栗虫太郎の法水短編集もちょっと休憩したいし…)

そしてやっぱり、太宰作品は私の心にヒットします。弱いのに、優しくて強いことばが心に響きます。

」の締めのことばが、美しいなと思いました。

生活。

よい仕事をしたあとで
一杯のお茶をすする
お茶のあぶくに
きれいな私の顔が
いくつもいくつも
うつっているのさ
 
どうにか、なる。

太宰治「葉」『晩年』角川文庫 p.25


うつっているのさ 
の、「さ」がいい。
うつっているのさ。

情景が頭に浮かぶ。
あぶくに自分の顔がうつっているのを見つめて、「どうにか、なる」と呟いているのかな。

どうにかなる、と言っている時点で、心に不安とか心配とかがあるんだろうけど、きれいな 私の顔が浮んでいるのを見てなんとかなると感じたのかな。

わからないけど、わたしにはそんなふうに見えた。

弱いけど強い。
優しくて強いことば。
弱いからこそ強いのかもしれない。

まずはひとつ、わたしは美しさを感じられたように思います、太宰さん。


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