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死とやさしさ ―(最も)影響を受けた作品

 こんにちは。こんばんは。毎週日曜は、電子書房うみのふね。わたし、小萩が好きなように自分の好きな本を紹介する、ネットの海を渡るイメージ個人書店です。

 今日はこの海辺へやってまいりました。覗いてくださりありがとうございます。

 先週から小説30日チャレンジという、30個用意されているお題に沿って本を紹介しています。

 Day2、実質week2ですが、今回は「最も影響を受けた作品」。難しい話題です。なにしろ、簡単に影響を受けてしまうたちなのです。いい本に出逢うと、すぐに真似したくなるし、文体に大なり小なり色が移るし、小説の推敲の際にがっつり読み込んでその作者の文体を落とし込む・コピーするくらいの勢いの時もあります。

 その中で、一番を選ぶとすればなんなのか。

 本当は、悩むことなく、一冊選べるものがあります。でもそれは、まだ秘密にしておきたい本です。それを読んで、強い衝撃を受けて生まれた物語は、十年以上書き続けて未だ終わっていない長編小説と化し、影響という意味では突出しています。題名を明らかにするのは、長編小説を完結させた時と決めているのです。

 そういうわけで、実は本当の一番を言うことはできません。だからこそ、難しい。

 だいぶ思い出を掘り返しました。そのうえで、選んだのが、こちら。

 え、と思う方もおられるかもしれない。私も正直、そう思います。いいのかライトノベルで、と。ライトノベルを軽視するわけではないのだけれど、正直見劣りはするでしょう。いいのか、と。けれど、あらゆることを思い出した結果、「しにがみのバラッド。」に落ち着いてしまったのです。

 一番影響を受けた、と言っても、この本、もう何年も読んでません。軽く十年は読んでません。卒業しました。当時買った本は実家です。今は本棚に存在すらしてません。このテーマを頭の片隅に置きながら読書していて急に頭に降ってきたレベルです。

 つまり手元に実物がありません。久しぶりに手に取りたくてわざわざブックオフに足を運びましたが、売られてませんでした。梯子したけどついぞ見つかりませんでした。アニメ化もドラマ化もされたし、キノの旅やハルヒをはじめ当時のラノベ最盛期を担った本であることにはたぶん間違いないのだけれど、時代の流れというのは無慈悲なもので。


 なにはともあれ「しにがみのバラッド。」です。

 ざっくりと説明すると、真っ白な髪、真っ白なワンピースに赫い靴を履いた死神である少女「モモ」と、その従者である黒猫「ダニエル」が、なにかしらの死に近い人間たちと織り成していくオムニバス形式の小説。それぞれの小説はモモとダニエルの存在以外は基本的に独立しており、後々同じキャラクターの続編が書かれることはあるが、お互いの世界には基本干渉しません。

 死神は無感情に死した人間の魂を回収する。しかしモモには感情があるうえ、不必要に生きた人間に干渉していく。彼女には記憶が無く、なぜ死神としてここにいるかも分からないというベースがあります。その記憶を探すように、生きし人間たちに興味をもつように、現世へ姿を現す。死神の姿は普通の人間には見えないので、モモの姿が見えるということは、本人、あるいは本人の周囲に死の空気が流れているか、霊感が強い証かの大体どちらか。

 文体としては、かなり簡素です。軽いと言ってもいい。チャラさもある。語弊を生むかもしれないですが、漫画BLEACHのおしゃれポエムっぽさもあります。物語によっては改行しすぎて個人的に目に余る部分もあるくらいで、台詞も現代的なのであまり深く考えずに、すっと読める。

 でも、この物語に流れるやさしさが、好きなのです。

 この本に出逢ったのは、小学五年生か六年生のときだったと思う。あさのあつこの「バッテリー」や、森絵都の「カラフル」や「DIVE!!」に傾倒し、「モモ」や「ハリーポッター」に熱中していた頃でもあります。ラノベを手にとったのは単に表紙の絵に惹かれたからでした。

 しにがみのバラッド。は、私の覚えている限り、はじめて、生命の、生死という概念を物語というかたちで強く意識した本でもありました。生死をストレートに書いた作品、ともいう。もちろん、それまでにも生死を考えさせられる物語には触れてきました。「カラフル」はまさにそうだし、死んだ少年が幽霊として現世を漂い姉と奇跡の筆記で対話する「青空のむこう」には大号泣しました。これらの本に出逢う前から、すぐ背中、肩の傍につねに死があるということを意識しているような子供だった。幼い頃に大切な人を喪った経験は大きい。車の事故もあった。ピアノをひとりで練習していると、その音にまぎれてこっそり家に誰かが入ってきて後ろから包丁で刺されるような予感がして不意に後ろを何度も振り返る子だった。

 生死というのは、物語の世界においてなにも特別なことではなく、むしろありふれた題材です。だって、常に私達に存在しているのですから。

 死という、ゆらぎのない運命、いつでもすぐ隣に、背にある、怖れ。

 死神という概念が存在するからには、「しにがみのバラッド。」ではそれぞれ何かしらのかたちで死別があります。そこには悲しみが存在します。けれど、やわらかな絵と共に語られる展開には、切ないやさしさが編まれています。いつでも隣にある、日常のようなドラマ。

 とりわけ、一巻はよく読みました。世の中をくだらないと卑下し死に美しさを錯覚し、自殺願望を抱いている画家志望の青年。幼なじみ同士の、快活な少年と病弱な少女、そして拾った捨て猫。明るいけれど過去に壮絶な傷を持つ男子高校生と、傷を隠す女子高校生。おとうさんを待ち続ける少女。魅力的なキャラクターたちです。三作目の「傷跡の花」というサブタイトルは、私の中で美しく特別な輝きを放ち続けています。

 物足りない、という人も確実にいると思います。私も、久しぶりに読み返すと(結局電子書籍で買った)もちろんちりばめられた言葉は好きなものもありますしこの作者のセンスは好きなんですが、文章は浅い。とにかくページが白い。

 けれど、読むと改めて確信してしまった。私の奥底にはこの物語があります。他にもさまざまな物語があり、そのたび影響を受けてきました。死というのは、これからもずっと、文字に起こしていくテーマであり続けると思います。小学生だった頃より、一応多少なりとも深みにいると思っているけれども、私の地層は、最下層に幼少期の死別があり、事故があり、漠然とした怖れがあり、しにがみのバラッド。があり、そのうえにどんどん、物語や現実での出来事が年齢と共に重なっている。ちょうどこれを読んだ頃に小説を書くようになっているので、当時は文体としても影響を受けています。

 卒業して久しいですが、読み返すとあらゆる懐かしさで胸が痺れます。

 ラノベに対していろんな声はあるけれども、有川ひろは電撃文庫出身だし、現在ホットな凪良ゆうはBLラノベ畑に長くいました。ハルヒシリーズは一般文芸の文庫として再版されています。ソードアートオンラインなど、現代のラノベ原作のアニメのクオリティは凄まじい。本離れと嘆かれている世論が一定数存在しているけれども、読書というのは娯楽の一種です。娯楽としての価値をラノベに見出すことは、悪いことではないと思う。そこからもっと多くの本の世界に踏み込んでいくこともある。私の知る限り、乙一なんてまさにそう。……恐れ多いかな。

 傷跡の花という概念は、間違いなく今も私の中にはっきりと在ります。どれだけの本を読んでも。

 Twitterで、名刺代わりの本10冊というタグがあり、私はそれを眺めるのが好きです。人それぞれの、本との出会いや本の好みを想像できて。

 影響、つまり、心にある強い光は、純文学であろうと大衆文学であろうと漫画であろうと写真集であろうとノンフィクションであろうとラノベであろうと、ジャンルはなんでもいいのです。侵害される理由などどこにもない、それぞれの中にある、とても個人的な、大切なものだから。


 そういうわけで、なんだか今回は小説の紹介というよりも、感想文というか、自分のストーリーに寄ってしまったような感じがしてなりません。影響、というテーマなので、致し方ない部分はある。

 たまには、いいかな。そういうのも。

 今日のうみのふねはこれで終わりです。なにもなければ来週は「万人ウケはしないけど好きな作品」を紹介します。

 気になる方おられましたら、そしてご縁がありましたら、来週もまたお会いしましょう。

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