見出し画像

朝の記録 0910-0913

 0910

 起床。今日は休日。ゆったりと過ごして許される日。
 この「朝の記録」に「朝の記録」と名前をつけてずっとやっているけれど、「朝の記録」以外のなにか名前をつけたいと考えていて、それもそれでわかりやすくていいんだけどあまりにも普通というかひねりがないというか微妙にひねくれた人間であるからなのかひねらせたくなる今日この頃で、ぼんやりとずっと考えていた。朝、雨、ことば、星、手帖、手帳、言葉を重ねていた。帳という字はとばりとも読み、よく言われるのは夜の帳が下りる、で、夜が深まってゆくことを示す美しい日本語であるけれども、この文章は朝なので帳が上がる方で、それをいい感じにできないかなとか。言葉をずらっと書き連ねていく感じは晴れ渡っていく朝の静かな光景よりもむしろ雨が降る感覚に近く、打鍵音もそう考えてみると一種の不規則な雨音のようでもあり、指先に耳を澄ませていると延々とキーボードを打ち続けていたくなるそんな打鍵音の魅力について考えつつ、雨というのもいいなとか。星は、最近毎日少しずつ読んでいる野尻泡影の「星三百六十五夜」に完全にひっぱられており、そして今書いている「墨夏」も星の話であり、まだ明るくなりきらない夜明けに輝く明けの明星の良さを思い出し、明るいうちに見える月や星の情緒がとても好きでそれもいいなとか。ラジオというのもいい。紙面でのラジオ。手帳は大好きだ、なんでもノート、そういうなんでも感がほしい。
 そういったことをじっと考えていたんですけどしっくりくる題、これしかないと思えるような題は思いつかず、結局「朝の記録」のままでやっている、のだけれど、昨日ふっとこれしかないに近い思いつきが到来して、「スケッチ」というのはどうだろう、と思った。そんな気がする、記録というよりも、これはスケッチの行為に近い。脳内というか体内というか内臓ではぐくまれて生まれて発散しなければ落ち着けないそんなことばや情景といった心象を文というかたちに起こしている、ひとの動き、風の動き、音、におい、てざわり、ささやき、声、ことばにならない声、かがやき、影、光、闇、色、青、諸々、浮かぶものをなぞろうとする行為はスケッチに近いような気がする。小説など創作行為の足跡、読書の感想、日々つれづれの記録つまり日記、すべてまとめて。偉そうなことを言っているけれど。
 名付けというのは勇気がいることで、子供の名前じゃないんだから気に入らなければ変えればいいだけの話なんだけれど、仮名ではなく一度こうと決めることを決めようというのは肩に力が入ってしまう。スケッチ、というのはいいな、としみじみ思っていて、これしかないに近似している。あともう少し何かが合致すれば、自分の中できもちよくはまりそう。
 そのスケッチという言葉は不意に自分の中に生まれてきたのではなく、私の机の左側、つまり今打鍵している左手の傍にある読みかけの「瀬戸内海のスケッチ 黒島伝治作品集」が由来で、緑と黄色と青とが手前の方に重なりあって奥の方はうすらぼんやり桃色やオレンジといった暖色系が霧のようでそういった美しい表紙と、題名を眺めていて、急に「スケッチだ」と小さないなづまが走った。言葉は自分で生み出そうと思ってもうまくいかなくて、たくさんの言葉に触れて無意識のうちに吸収していつか発芽するのを待っている。だから普段は見えない。使いやすいことばは出てきやすい。使い慣れていることばだから。でも新しい言葉や普段使うことのないことばはもっとひっそりとしている。なかなか見えてこない。その見えてこない言葉をもう少し見えるようにするには、ことばを集めていくのが良くて、そうして集めているうちにふと、ほんとうにふと最適解として指先から生まれる、喉を通りぬけて口から生まれる。本を読もう。本は読みたいから読む娯楽、だけれども、ゆたかにしてくれる行為で、読書によってことばは蓄積しいつかなんらかの小さなきせきが生じる。その瞬間は書かなければ生まれなくて、つくらなければ生まれない。思い通りには大体いかない。だけれどもつくることを手放したら、停止の他ない、それは時に苦しいけれど、全体的には楽しい、自由。
「自由に遊ぶ、DIYの本づくり」を昨夜読んだ。知らない行為が詰め込まれていて、わくわくしながら、これは自分の手で実際にやってみなければほんとうの意味ではわからないことだった。読んで楽しむというよりは手を動かして楽しむというための本で、もちろんそのつもりで買ったのだけれど、それでも読んで楽しむのにも素敵な本だった。写真が大半を占めているので、ビジュアル的に楽しむことができる本だった。急にがっつりすごい本なんてできるはずがないので、まずは8ページや16ページくらいで中とじの一番シンプルなものや、一枚のフリーペーパーみたいなものを作ってみたり、ということを想像している。一番大切な中身に入れる文章は、試しだったらこの文章だっていいし、今まで書いてきた小説だっていい。二十四の三題噺を詰め込んでもいいし、未出の文だっていい。とにかくなにかしら作ってみたいし、みよう。ところで二色刷りはめっちゃかわいい。知ってたけど、めさめさにたいへんかわいい。黄土の地に濃紺の字、とても良い。とーっても良い。レトロが良い。内容考えよ。


 墨夏の続き。


 夏祭りで掬った金魚が翌朝小さな水の中で腹を空に向けて死んでいたり、おばあちゃんの慣れた手つきで蠅が叩かれて潰れたり、そうしたことには覚えがあるけれど、流れては過ぎてゆく川の流れのように、忘却を辿っていったのだった。
 昴はこの町に住む少年だった。彼もまた今は夏休みなのだと話す。他に行く場所もなく暇を持て余して川岸にやってきたのだと言う。そしてひなこと会った。ひなこが初めて昴を見かけたのは一昨年の夏で、同じ御盆の時期だった。そのときはお母さんと手を繋ぎながら散歩しており、橋を渡っていた。雨風ですっかり傷だらけになった橋を二人並んで歩いていて、真ん中で立ち止まって、お母さんは少し疲れた様子で川の流れに耳を傾けていた。
 ひなこは小石をつまらなさげに蹴りながら広々とした川を眺めていると、河原に茂る草花に埋もれるように少年が座っていた。彼もまた少し疲れた顔をしているように見えて、風に揺れる草の動きに合わせて、雨の跡のような黒い影が彼の身体をたゆたう。その黒と対比的な、真っ白に太陽を反射するカッターシャツや肌の色が印象的だった。じっと水面を眺めているようだった。特に何か特別なことをしているわけでもなく、ただそこに存在しているのだった。
 ひなこは川の流れではなく、彼の動きを観察した。けれど彼はひなこの視線に気付かなかった。僅かに伏せた視線が追うのは水面のようで、石のようで、草木のようで、日光の照り変える輝きそのもののようで、どこも見ていないようでもあった。
 何故少年に注目しているのか、ひなこは自分で自分が解らなかった。ただ、朝におばあちゃんが重たい足を擦りながら襖を開けていく音に耳をすませたり、足下で蟻が音もなく歩き続ける様子を眺めたり、そうした行為と同様に少年を見つめていた。やがてお母さんに呼ばれてその場を離れるまで、微動だにしない少年の動く瞬間を捉えようと飽きもせずに目を光らせていた。きらきらと熱中するように。
 翌日、少し曇っていても、変わらずにおばあちゃんは家に風を通していく。ひなこはおばあちゃんの起床に負けじと起き上がって、その日初めて、ひとりで家を抜け出した。その日の昼頃には発つ予定だった。



0911

 起床。今日はちょっと遅くなっても構わないや、と思っていたのだけれど普通に5時に目は覚めた。
 昨日、寝るのが遅くて、ものすごく寝たくない気分で、そういう気分屋なところが自分のあかんところのひとつだ。あかん、というのは関西弁に入ってくると思うけど標準語に直すのなら駄目、になるだろうところをあかん、というと、駄目、よりも断定感がゆるむように感じるのは気のせいだろうか。方言のなしえる技だろううか。いや、ニュアンスによるだろうけれど。
 とにもかくにも気分屋が発動して昨晩は22時頃には布団には入っていたけれどもハイキューを読んだりしていた。昨日は全体的にあんまり良くない日で、村上春樹の「風の歌を聴け」を読み切って、漫画の「SPY FAMILY」を読んで爆笑したりした一方で、「風の歌を聴け」以降視線が滑るようになってきて、本を読んでも内容がきちんと頭に入ってこなかった。漫画のようにビジュアルがあると視界に既に姿かたちや動きが存在しているので内容もわかるのだけれど、文章だけになるとどうにもうまくいかず、「瀬戸内海のスケッチ」「雪国」「美しいものを見に行くツアーひとり参加」とばらばらに開いてみたけど十ページくらい進んで閉じた。なんかそういう日もある。
 もしかしてアウトプットの時期なのかな、と思い、絵を描いたりしていた。もうすぐ「余白」の更新日の土曜なので、そのためのものも用意したかったし、手を動かしていた。手を動かしていると目の前のことに集中できるから落ち着く。とりあえずそういった絵を描いた。そして、「自由に遊ぶ、DIYの本づくり」を見たり検索したりしながらワードで八ページの中綴じコピー本を作ってみたりしていた。本を作るのは初めてのことではなくて、以前ポケモン二次で個人的な思い出の一環として一冊だけ文庫本を作ったことがあり、それもワードで作っていた。当時に思い馳せながら、ワードの使いづらさに四苦八苦しながら印刷するとそれなりにテンションがあがったりもした。文章が紙になるだけで喜びが生まれる不思議。内容は変わらないのに、どこかきちんとしたものに変換されるように見える不思議。
 それでもなんとなく全体的にはあかんかった。終わらせる、ということを意識していないからでもあるけど、どう考えても一番の原因はホルモンバランスが崩れているからで、これは毎月繰り返される谷間なのである。ブルー。青く不透明なブルー。ブルーグレー。手当たり次第にやってみてそれだけという虚無感が言い様もなく漂ってきてわりとどうしようもない感じで、そういう今もめちゃくちゃ字数を確認していて、なかなか増えないなあとか考えている時点でそれはあかんというより駄目だなあと思う。いやいや早起きして打鍵しているだけでいいやんと自分を励ましたくなりもしながら、こんなだらだらと続けるくらいならまだ小説をなんとか絞り出している方がましなので小説を書こう、一度朝ご飯を挟んでから。


 墨夏。


 雨を予感させる薄暗い雲が上空を覆い始めており、真夏の日光は遮られ薄らいでいる。気温の低い薄暗い朝の道をひなこはたどたどしい足取りでなぞり、まっすぐ川へと向かった。
 澱みのない朝は沈黙の中にある。早起きの虫の声がかすかに混じりながら、絶えず流れ続ける川の水音が広々とした山間に冴え渡っていった。
 少年は、変わらず川岸に座っていた。河原を覆う草原に埋もれながら、その最前列で座って水流を見つめている。朝の空気に佇んでいると、彼もまとめて青白い光の中にくるめられているかのようだった。
「危ないよ」
 ひなこは声をかけていた。その言葉を、昨日からずっと届けたかったように。
 けれど、少年は気付かなかった。ひなこは橋の上におり、彼との間には随分と距離があった。彼等の間を水流が分かつ。ちょうど彦星と織姫を分断する巨大な天の川のようでもあり、しかし彼等は歩み寄ればふれあえるだけの距離にあった。
「危ないよ!」
 今度の声は、警告の意をきちんと込めて、張り上げられた。



0912

 墨夏。


 昴にはその声が自分に向けられたものだとはじめは分からなかったという。しかし、音のする方へ視線が動くごく自然な反射で少年の顔が上がった。清流を泳ぐ魚へ向けて一糸乱れぬ動きで急降下する鳥のように、的確に昴の耳に届き、彼はひなこへと意識を向けた。顔を上げた先で視線が交わり、ひなこの落ち着かない顔つきを見て、はじめてひなこの警告が昴へ向けたものだったと彼は自覚した。
 川に近付いてはいけない、という両親の言いつけを、ひなこは忠実に守っている。ひなこのように小さい子供は、簡単に川に流されてどこかに連れ去られてしまうのだという。ひなこは咄嗟にももたろうの物語を彷彿させたものだった。はじめはよくわからなかったが、何度も言い聞かせられるうちに、本当に行ってはいけないのだと刷り込まれていった。
 昴少年は、手を伸ばせば簡単に流水へ触れられるほどの距離にあった。ひなこの危険信号は赤を示している。その赤い信号を昴に伝えようとしたのだった。
 けれど彼は、はらはらする怯えた少女に、ふわりと笑った。青い朝に溶けきらずに静かに笑んで、首を振った。
「大丈夫」
 静かな声音だった。しかし、橋の上にいるひなこにかすかに届いた。流水音に紛れ込みながらも、音のほとんどないこの土地では他に遮るものがなかった。
「おいで、ここなら何も恐くないよ」
 川面にほど近い場所から昴は躊躇なくひなこを誘った。ひなこにとって赤信号のその場所から。しかし昴が優しく手を差し伸べたものだから、その手を取ってみたくなったのも事実であった。
 特別のような朝の空気が彼女の心を緩め、行ってはいけないと禁止されたものへの純粋な興味が代わりにひなこの中で膨らみだし、そしてその場所に立つ少年の存在が無性に彼女を惹き付けた。少年のところに行きたい、という純粋な思いである。
 警告をした本人が跳びこんでいくというのも滑稽な話だが、このときのひなこはその滑稽に無自覚で足を踏み入れた。橋のふもとから河川敷へ繋がる石階段があることは把握していたのである。古びて僅かな亀裂を点々と帯びたような階段を恐る恐るくだり、自分の身長をも越えて遙かな太陽へ向け伸びる草花は、彼女にとって森のようだった。森を踏み分け、川の音のする方まで向かう。彼女を誘う音を目指して抜けた先からちょっと距離を置いた場所で、遠かった少年が同じ体勢で座り込んだままひなこを見た。
 以来、ひなこは川へ向かうようになった。ひなこはこの村の住人ではない。ゆえに、限られた時間を使って昴へ会いに行った。しかし昴に会えるのは夏休みの時だけだった。他の季節、たとえば正月だとか、ひなこはこっそりと橋へ向かい河川敷を見下ろしたが、どうしても昴の姿を見つけることができなかった。そのことについて昴は詳しく話さなかったし、ひなこも詮索しようとはしなかった。彼と会える夏のほんの短いひとときを楽しむことだけが、彼女にとって重要だった。
 今年もそうして昴に会えた。ひなこは昴に会ってから星に興味を抱き、少しだけ文字の多い本を読めるようになってきて、少しずつ昴の言葉も理解できるようになっていった。
 そんな二人だけの時間も、今年の分はもうじき終えようとしているのだった。ひなこは自由研究ノートとおばあちゃんから借りた図鑑を持って、夏の昴から離れていく。車で二時間ほどの距離は、長すぎずとも短くはなく、ひなこにとっては切実に遙かな距離だった。
 しんみりとした空気から顔を背けるように、ひなこは星の質問からおばあちゃんちでの話まで様々な言葉を昴に投げかけた。昴はやわらかい相槌を打ちながらひなこがすべて話し終える時を待って、それからいつも話し出した。昴がどちらかといえばのんびりとした人間であることをひなこは肌で理解していた。ひなこに合わせているというよりも天然の産物なのだった。昴のゆっくりとした速度は、ひなこの速度と合致した。うまく聞き取れない大人たち同士での会話は、時に学校での授業や友達との会話だって、速過ぎてひなこにはついていけない。感情の機微もうまく読み取れない。わからないということは不安と同一だった。ゆっくりと合わせてくれれば、ひなこにだってわかることはきちんとわかる。そしてひなこにわかる速度であるとき、大体、そのひとの時間はゆったりと流れている。
 ひなこがおばあちゃんを好きなのも、おばあちゃんの速度が遅い分、ひなこに理解できるからだ。足を引きずるようにして歩く音、朝に襖を開けていく音、すべてがゆっくりとした動作で、ひなこを安心させる。
「今夜は星、見えるかな」
「見えるよ。きっとね。ひなちゃんのいる町よりここはずっと暗いから、星がよく見えるよ」
「帰ったら、金星、見えなくなっちゃうかな」
 大接近は御盆を過ぎて八月末の予定だった。夏休みの終わり際で、音も無く秋へと移り変わろうという頃、学校ももうすぐ再開する。その時ひなこは自分の家にいて、天体観測は両親と近所の公園でするつもりでいた。けれど、町の光に遮られて見えなければ、元も子もない。
 昴は苦笑する。
「大都会というほどではないし、見えるんじゃないかな」
「ほんとう?」
「うん。金星は女神の星だから」
「女神?」
「きれいに輝いてるっていうこと。ひなちゃんにもきっとわかる」
「にくがんでわかる?」
 肉眼の発音は、聞き慣れない分言い慣れないといったようにたどたどしい。
「うん。わかる」
 昴は静かに頷いた。
「今夜は夏の大三角形を探す?」
「うん。まず、はくちょう座を探してみる」
「いいね。きっと今夜は晴れるよ」
 二人は空を仰いだ。山の向こうから大きな煙が上がっているような入道雲が腰を下ろしている。昴は目を細めた。太陽のまばゆさに瞼を下ろしたというよりも、睨み付けるように細くした。
 その間にひなこは氷をたっぷりいれた麦茶を飲んで、ほうと一息ついた。たくさん喋った後の喉を、冷たい麦茶は驚くほどに潤す。



0913

 起床。休日の朝は雨が降っていて、またもしばらくその雨音を聴いていた。秋めいてきたなあという印象が強い。空が高くなってきて、昨日は羊雲が一面に広がっておりまさに秋という様相をしていた。朝晩はだいぶ涼しくなってきたし、あとは昼間の直射日光がもう少しやわらいでほしい。今年の夏は短かった。振りかえればそもそも始まりが遅かった。八月に入ってようやく梅雨が明けてそこからはずっと異様なまでに暑くて、九月になっても残暑はありつつもすっと秋の気配が入り始めている。だから実質的な真夏は一ヶ月だったんだろうか。まだこれから真夏ばりの日々が続くともわからないけど。四月に大雪降ったり五月に猛暑日がきたりする国なので。つくづく気象がおかしい。そして今年の冬はたいへん冷えるらしい。大雪があちらこちらで観測されるのだろうか。ちょっとした憂鬱。

 曜日感覚が失われているけど今日は日曜で「うみのふね」の更新日でまだ原稿を書けていないのでそれを朝書こうと思って書いていたら2900字になった。つまりもう3000字に到達していることになる、ので、今日はここまで。最近少し朝が崩れているので、明日からはまた気を引き締めたい。

いいなと思ったら応援しよう!

小萩うみ / 海
たいへん喜びます!本を読んで文にします。

この記事が参加している募集