心を休める
今、誰もが忙しい。在宅も徐々に減り、朝の電車も込み始めている。わたしは自宅を中心に動いているので満員電車にはめったに乗らない。それでも、会社勤めをしていなくても心がざわつく時はある。
そんな時、わたしはまず体を休める。
心がざわつく時には、決まって体が疲れている。
それから、静かにそのざわつきの理由を深堀する。
決してほったらかしにしない。
なぜって、ほったらかしにした時、決まって、わけもなくそのざわつきの原因は、自分の側にあると思ってしまうから。
小さなことのようだけど、それは良くない。それでは自分の心が気の毒だ。
ざっくりと物事を丸めて、次に進むと、元気になったようでも、そのざわつきは心の底に沈んでいく。消えてはいない。
だから、わたしは外から帰った時、靴の手入れをするように、心がざわざわとした時には、心のメンテナンスをする。
自然の中に身を置き、カフェに行き、本を読み、人と話し、文章を書いてみたりもする。そして、食べたいものを食べる。そう、たとえジャンクフードでも。
というわけで、今日は夕食にハンバーガーを食べに行った。え?夕食にハンバーガーというほど、わたしはかなりきっちりと食事の管理をしてきた方かもしれない。特に我が家には高齢者がいる。それでも、やっぱりそんな時は、今、一番食べたいものを口にする。
少し時間はかかるけれど、こんなふうに過ごすと、ゆっくりと、そのざわざわの理由が姿をあらわす。
そこまできたらもうこっちのものだ。
そのざわざわは、あっけないほどするりと自分の体の中から出ていく。そして、勿論、楽になる。
地味な作業のようでも、こんな一工夫で、下がりかけた自己肯定感はしっかり定位置に戻る。
ここで、特別な人だと思っていた人がそうでもなかったと気づいたりして、そんな勘違いな自分がおかしくなったりする。
ここまでくると、もう大丈夫。
わたしの思う心のざわざわは大きく分けて2種類。
まず、人は誰かを傷つけてしまったと自覚した時凹むのだと思っている。いや、凹むというより、傷つくといった方がいいのかもしれない。誰かを傷つけてしまったのかもしれないと感じた時、人はその倍傷つくんじゃなかろうか。
けれど、それを自覚したのなら、自分でやってしまったことなのだから自分で引き受けるしかない。そう、長い間、その痛みと向き合っていくしかないのだと思う。
それから、はっきりとはわからない形で、人に傷つけられることだってある。そんな時は、心が回復してくると、そうか、あれはあちらの問題だったのね、と気づくことになる。そして、そのことに気づけたのなら答えは一つ、離れたらよろしい。
たったそれだけだ。
決して見えないけれど、人にはそれぞれ抱えているものがある。そこがみえたら、もうそれだけでいい。その人だっておそらく苦しいのだ。
そして、その小さなエピソードは自分のファイルにそっとしまっておくといい。
自分の人生と、人の人生は違う。だから、時にざわつきが発生する。それも人生の大切な学びであり、やがてそのざわざわが自分の心の栄養にもなっていくことだってある。
だから、人との出会いは尊いのだと思う。
そのざわざわは、人を知るまたとないいい機会であり、初めて感じたわざわざは、きっと初めて会ったタイプの人なのだ。それがわかれば、それでいい。
それでも、自分の心を大切にできるのは自分自身。心が疲れたときは、しっかりケアしたい。
※最後までお読みいただきありがとうございました
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