家の中がフェア。それが平等のはじまり
こんにちは。お久しぶりの配信になりました。
先月の夜間救急搬送以来、ようやく調子よく暮らしはじめたというのに、今度は567です。しかも、何があっても外に出られないのが、この567の辛さ。
それでも、せっかく神様から頂いた貴重な休息日と気を取り直し、本を読んだり、映画を観たりと、只今、緩くまったりと日々を過ごしております。
そこで、きょうは、ちょっと印象に残った本の感想などを少し。
人権運動の母
なるほど…。
どんな物語にも、表に出るエピソードと、そうではないエピソードがある…。
そんな、日頃語られることのないエピソードを目にした時、わたしは決まって、その物語の大きさと深さに気づかされるのです。
米国の人権運動家といば、それはもう、間違いなくキング牧師でしょう。
1963年、ワシントンDCで25万人近い人々の前で「I Have A Dream!」と演説したあのキング牧師の声は、もはや世界の人々の心の奥底にしっかりと刻まれているのですから。
ところが、その彼の陰に、「人権運動の母」がいたというのです。
それが、あのバス・ボイコット運動のきっかけとなった、黒人女性、ローザ・パークスさんなのだそうで。
そう、彼女こそが、「人権運動の母」でした。
それにしても…知らないことってあるものです。
いえいえ、そうじゃないんです。
端折られる物語ってあるものだ、そんなことを思うことがあるんです。
☆ ☆ ☆
というわけで、わたしが読んだ本は、『ローザ・パークス自伝』2021潮文庫です。
そして、この本を読みながら思わずにいられなかったのです。
わたしには、手にしたものと、手にできなかったもの、そして、永遠に手に入らないものがあるということを。
良かったら、少しおしゃべりにお付き合い下さいね。
自分で選ぶ
さて、バスで席を白人に譲ることを拒否して逮捕された女性が居たことなら知ってました。
確か、写真で見た記憶もあります。
でも、なぜか、はっきりとその姿を覚えていないのです。
というより…ちっとも覚えていない笑。
その人は、まるで通りすがりの人ほどの扱いだった、そんな気がするのです。
でも、その彼女、たまたまそこに居合わせた、鼻っ柱の強い黒人女性なんかじゃなかったのです。
「席を譲れ!立て!」
そう言われても席を立たない選択をした人、それがローザさんでした。
しかも、それは、ビビリでは絶対に無理な行為です笑。
なぜって、バスが混んできて、白人専用の座席が埋まったら、たとえ黒人専用の席であっても、黒人は席を譲らなければならない、当時、そんなルールがあって、それを強要する運転手は銃を持っていたのです。
そう、彼女のNO!は、そうした背景を十分に知った上でのNO!でした。
しかも、白人の目に”生意気な奴”と映る黒人は、恐ろしい目にあうことも知っています。
彼女のおじいさんがまだ生きていた第一次世界大戦の後も、それから、第二次世界大戦の後も、国のために戦った黒人の帰還兵が、自分の主張をすると…それはそれは怖いことが起こっていました。
たとえば、K〇〇。
白い三角形の布から、目と鼻と口だけをのぞかせ、体をすっぽりとその白い布に包み、深夜、馬にまたがり集団で黒人の家を焼き払ったり、暴行を加えて命を奪ったりするあの集団。彼らは、生意気な黒人の口を封じていたというのです。
それから、軍服姿の黒人が乗り物の中で襲われる、そんな日常も。
そんなことを身近に感じなごら成長した人です。そんな時代に、彼女は、席を立たない選択をしたのです。
それが、ローザさんでした。
誰でも「自分ごと」に思えるきっかけ
そうして彼女は逮捕されます。
それが、あのバスボイコット運動へと発展していくのですが、この時点で、まだ、あのキング牧師は運動には加わっていません。
米国では19世紀に南北戦争があって「奴隷制が廃止」されますが、その後も、多くの人はどうしていいか分からず、そのまま南部を離れなかった…。
ですから、人の入れ替えが少なかった南部では、白人と黒人間にあった慣習は残り続けます。バスのルールのように、人種分けが街のいたるところにあっただけだなく、裁判でも「分離すれど平等」という考え方が認められていたのです。
☆ ☆ ☆
そんな南部には、危険を承知の上で、黒人の人権を向上させるために密かに活動をしていた団体があって、ローザさんは、そうした活動に関わっていました。
で、そうした人たちが待っていたのは、きっかけでした。
人々の気持ちが一つになって、それが大きなうねりとなって公民権運動が全米に広がる、そんなきっかけを密かに探していたのです。
で、ローザさんの逮捕が、まさに、そのきっかけとなりました。
そこから、バス・ボイコット運動がはじまります。
☆ ☆ ☆
バスの利用の中心は黒人。つまり、バスは、黒人一人一人に関係のある問題、だからこそ、ローザさんの逮捕を機に、彼らは黒人にバスに乗らないように呼びかけたのです。
と同時に、ローザさんの逮捕は違法であり、人種差別は憲法違反であることを法的に立証しようと人々が動きはじめます。
しかも、このバス・ボイコット運動、約1年も続きます。
その間、人々は歩いて通勤する、バス停に乗り合いタクシーで迎えに行く、使用人側である白人が黒人メイドを自分の車で迎えに行くなど、方法はそれぞれですが、バスはいつしかガラガラに。もちろん、そのせいで、職を失った黒人もたくさんいました。
そして、この運動を全国規模の運動へとけん引するために活動家たちに選ばれたのが、若き牧師のキング牧師だったのです。
ちょっと変わった家の中
ところで、わたしが気になったのは、ローザさんの行動の源です。
彼女は、白人の命令や、嫌がらせに対して、何の疑問も持たず従う黒人がいることを、幾度となく心の中で不思議に思うのです。
どうして、皆、黙って白人の言うことを聞くのだろう…
と。
☆ ☆ ☆
これって、興味深い話しだと思いませんか?
同じ時代を生きて、同じ経験をしている黒人仲間であっても、見えていることと、見えていないことがあった、ということでしょうか。
で、わたしは思うのです。
その違いは、家の中にあったのだろうと。
彼女を育てたお母さんは、黒人が教育を受ける機会もなかった時代、必死に学び続け、教師になっています。
それから、ローザさんの祖父は、幼い頃、白人の農園主に酷い虐待を受けています。ですから、祖父の白人嫌いは相当なもので、横暴な白人になど屈しない、そんな生き方をしています。そもそも、彼の父親は19世紀の飢饉のときにアイルランドから奴隷として売られた白人です。だからこそ、祖父も白人にしか見えなかった。
ローザさんは、そんな家族に育まれ、貧しくても実に誇り高い女性に育ちます。幼い頃などは、母親を心配させるほど、けしかけてくる白人の子どもに向かって怯みません。
そう、ローザさんは、不平等を敏感に感じる家庭で育ったのです。
家の中で育まれ、外で花開く
家の中で育まれた心は実に頑丈です。フェアな家で育ったのであれば、どんなに差別がまん延している社会であっても、その不平等に瞬時に気づけます。そう、ローザさんのように。
では、その逆は?
その逆って、あるのでしょうか?
もちろん、あります。
アンフェアな家で育ったのであれば、不平等に歯向かうことも、それに気づくことすらできない、わたしはそう思うのです。
それが、ローザさんが常に疑問に思っていた、仲間であるはずの、黒人たちの行動でした。
彼らは、何の疑問も抱くことなく、白人の命令に従うのです。
それは、ローザさんからみると、
そもそも平等という考え方が体の中に無い、
そんな人たちです。
そんな人がいるなんて信じられない!
もしも、あなたがそう思われるのなら、あなたは幸せな家庭で育った人に違いありません。
☆ ☆ ☆
で、わたしはと言いますと…。
残念ながら、わたしはアンフェアな母に育てられています。もちろん、母に悪気などありません。母には母の正義があって、その正義がアンフェアだったのです。
その母の口癖は、文句を言いたいことがあれば一晩寝てから、というものです。逆らわない、口答えしない、余計なことは言わない、それが安全に生きていくための唯一の方法だと母は信じていたのです。
そんな母の生き方が繰り返し語られると、どうなるでしょう…。
もちろん、従順な子どもが育ちます。
さらに、もう一つ、面倒な考えが刷り込まれます。
それは、どうにも儒教的なのです。
親を敬え、年上を敬え、男を敬え、不満を抱くな、いい子であれ、と。もちろん、目上の人や男性の考え方が間違ったものであったとしても、母にはそのことは大きな問題ではありません。波風を立てない、それが母のベストなのです。
ただ、日々の暮らしで、そんな呪文が自分自身に刷り込まれていたことに、わたし自身、気がついていた、というわけではないのです。
それでも、母の刷り込んだ呪文の重さに戸惑ったことなら、いくらでもあります。それは、家の外で何かが起こった時です。
たとえば、嫌なことをされた時、
「やめてよ!」
と口にできるみみちゃんはとてもかっこいいわけです。
でも、わたしは、それを口にするのに、みみちゃんの1000倍ものエネルギーを使います。たった一言、
「やめてよ!」
が口にできない。
なぜって、もう100万回も、良い子でいなさい、我慢しなさい、耐えなさい、譲りなさい、と刷り込まれているのですから。
それでも、グググッツと力を出して、なんとかわたしもみみちゃんと同じように、
「やめてよ!」
と口にします。
それができたのは、父がフェアな人だったからだと思うのです。そう、父は曲がったことが大嫌いな人で、フェアで優しい人でした。
わたしは母の言葉の刷り込みと、語らない父の背中を見て育ちました。
そして、呪文を振りはらい、「やめてよ!」と口にできたとき、わたしは、母の呪文をようやくわずか一枚、脱ぎ捨てることができるのです。
親が素晴らしいなんて、それはただの幻想です
親孝行をしなければならない、誰だってそう思うはずです。
でも、もっと自由でいいんです。ほどほどでいい、わたしはそう思うのです。
だって、子どは、どうあがいてみたって、親が好きなのですから。逃げても逃げても、どんなに逃げても、やっぱり子どもは親がスキなのです。
☆ ☆ ☆
じゃあ、親自身は?
親は、手放しで子のために生きる、というわけでもないようです。
子が中心でなくても、生きていける親なら、沢山います。
もちろん、
きょうだいをフェアに扱わない親や、
自分の子どもだけを大切にする親や、
自分の子どもさえ粗末に扱う親だって、
掃いて捨てるほどいます。
ですから、親を神格化しないことです。
その上で、親の考え方を知ることは、とても大切です。
そうすることで、子どもは、自ら考える力を手に入れられます。
一見、優しそうな母の脳を通さずに、自分で考えることができるのです。
ローザさんは、偶然、とてもフェアで優しい家族のもとに生まれ、誇り高く育ちました。
けれど、どうでしょう。
同じ世代に、差別されても疑問さえ持たず、白人の言いなりになる黒人が実に多かったといいます。
そうした人たちは、きっと、フェアなんて考えたこともない家庭で育ったに違いないのです。
☆ ☆ ☆
親の呪文とは強烈なものです。
わたしは子育ての時期に、親と自分との関係に悩み始め、そのドロドロとした気分の渦から抜け出すのに随分時間がかかりました。
大切なのは、イエと夫と長男。
もちろん、悪気などないのですが、それでも、それは時に残酷なものなのです。なぜって、次女であるわたしに、長男と同じ権利があるとは、母にはとうてい思えないのですから。
ただ、面白いもので、そのことを理解できた時、わたしは元気になれました。
世の中には、どうしようもないことが幾つもあります。
わたしの場合、その一つが、母の心でした。
けれど、母の発する言葉の奥が透けて見えると、案外、平気でいられるものです。なぜって、母は自分のルールから決して逸れないからです。そう、注意深く観察してみると、実に分かりやすくもあるのです。
もちろん、娘は、母を嫌いにはなれません。たとえ一時、そんな振る舞いをしてみても、駄目です。笑っちゃうほど抗えないのです。それが、子が親を思う強さだと思い知らされます。
だから、親が立派だなんて思い込まないことです。
普通の人が子どもを産む、ただそれだけのことなのです。
そう、立派でなくても、人は親になれるのです。
それは案外普通のこと
家の中でフェアであることを獲得して、人権運動の母になったローザさん。
けれど、その時代、フェアな家庭なんて実に少なかったわけです。
そして、それは1960年代の話では終わらず、今でも、米国では人種差別のトラブルが絶えません。それは、つまり、今でも、白人も黒人もフェアでない家庭で育つ人が多いということ。
驚きますよね。
これほど時代が変わったというのに、です。
じゃあ、わたしたちは?
わたしたちは、誰もがローザさんの家庭のような、フェアな家庭で育っているでしょうか?
残念ながら、そんなはずはない、と思うのです。
わたしが兄の下に置かれたように、わたしが繰り返し、良い子で従順であれと刷り込まれたように、現実の社会では、男女格差が甚だしいのです。
それでも、その、おかしなことに、気づかない人は、今でも笑っちゃうほど多いのです。
それが、現実です。
そう、わたしたちはまだ、米国の1960年代を生きているのかもしれません。
だって、知らないことは見えないのですから。
ですから、もしも、あなたが平等を求めるのなら、まずは家の中からはじめてみて欲しいのです。
それは、きっと、ほんとうです。
まずは、家の中を整える。それは遠回りのようでも、かなり近道です。
そんなことを思った作品でした。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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