映画感想 ミセス・ハリス、パリへ行く
映画はお好きですか?
昨日、わたしはきっと忘れられない大切な一本になるだろうと思える作品を観ました。いつか行ったあのミニシアターで。
大型台風が去ったばかり。
遠出をやめて高田馬場にある早稲田松竹で「ミセス・ハリス、パリへ行く」を観たのでした。
映画の前評判は知りません。けれど映画がはじまると直ぐに分かりました。
これは楽しくなるにきまっていると。
それは誰もが直ぐに気づきます。
いつも交わされるであろう通勤バスのミスター運転手と彼女とのほんの短いやり取りで。
「おはよう、きょうはどんな日だい?」
正確にはもう忘れちゃいましたけれど笑。ミスター運転手が彼女に声をかけます。すると彼女は、
「今日は最高の日よ!」
と微笑んで返します。その一瞬で、観ているわたしたちはミセス・ハリスがいっぺんに好きになります。この言葉こそが、彼女の全てを表す言葉だとピンとくるのです。
そのミセス・ハリスは、ある日、美しいものに魂を奪われ、たまらなくそれが欲しくなります。ただ、ああ、そう、それが欲しいのね、なんてレベルではありません。心の底から欲しい、いえ、手に入れなければならないものなのです。それは美しいドレス。
けれど彼女は慎ましい暮らしをする労働者解階級の人です。その彼女が本気でパリのオートクチュールのブランドのドレスを欲しがるのです。
それは叶うとか、叶わないとか、手に入れるとか、手に入れられないといういうレベルではないのです。手に入れるべきものなのです。彼女はドレスに恋をしてしまったのです。
そうして彼女は動き出します。あのバスのミスター運転手に答えたように、最高の日を重ねていくのです。
ところで、あなたは欲しいものをストレートに欲しいと表現したことがありますか?
これが出来る人と出来ない人がいると思うのです。
彼女はそれができるのです。
純粋にそのことだけを考えられるのです。
自分の欲しいものに真っすぐです。
そして、自分がそれを欲しているということに疑問など抱きません。そのドレスが上流階級の人のためのものであるとか、自分には分不相応だとか、それを身に着けるには少し年を取り過ぎたとか、それを身につけて出かける場所があるかとか、そんなことは考えないのです。ただ純粋にそれが欲しいのです。
あなたはそれほどまでに欲しいものに出会ったことがありますか?
彼女は出会ったのです。
人生とは面白いものだと思うのです。
自分の置かれた境遇に自分の形を合わせる人がいます。そんな人はたくさんいます。そんな人は自分の置かれた境遇内で手に入るものを追いかけます。それが大人で、そして賢い人だといわれるコツです。けれど彼女はそれをしません。だからちょっとだけ滑稽なのです。
ところが、人の本質なんてそれほど違いはしないのです。それが分からない人は自分の境遇に大人しくい続けます。不満はあっても、刷り込まれた言葉に阻まれてしまうのです。滑稽なふるまいなどしてはならないと。
けれど、それこそが滑稽なのです。人は自由であっていいのです。欲しいものを欲しいと思ってもいいのです。
あなたにかけられた暗示はあなたが捨てればいいのです。だって、それは誰かがあなたをあなたの境遇に閉じ込めておきたくてかけた暗示なのですから。
そうしてミセス・ハリスは自分の枠を軽々と飛び越えて動くのです。
だって本当に欲しいものがあるのですから。
そして思った通り、彼女は滑稽なふるまいをします。けれどそれは人の心に刷り込まれた大人の目で見るからこそ滑稽なのです。彼女は世界でたった一人、自分に正直でした。
それこそが、最高の日を毎日送る彼女の強さです。
そんな映画でした。
そして、ミセス・ハリスがわたしにもそっと教えてくれました。
動いてもいいわよ、と。
夢を叶えるのはあなたよ、と。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。