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あらためまして、どうぞよろしく

しばらく留守にしておりました。お久しぶりです。皆さま、お元気でしょうか。そして、新しいnoterさま、はじめまして。

思うところあり、1月にnoteを離れ、それから2ヶ月半あまりが過ぎました。その間新しいことに取り掛かり。そんな暮らしもまた落ち着きをとりもどしてきました。一度はやめるつもりでいたnoteでした。けれど離れてみて、この場がどれほど自分にとって大切な場になっていたのか、そんなことに気付き、こうしてまた、のこのこと戻ってまいりました。

そんなわけで、今日は、お休みしていたこの数か月のことや、今後のことについて少々お話しをしてみたいと思っています。よかったら、また仲間に入れてもらえると嬉しいです。

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やってみたこと

noteを離れて、やったこと。それは、いろいろな方とお会いしたこと。たくさんの方にお話しを聞かせていただくことができました。

といってもこのご時世、お会いした方のほとんどがzoom。それでもブログとは違い、顔出し、名だし。加えて、リアルな出会いが久しくなかったからでしょうか、わずか数時間お話ししただけでクタクタ。貴重なお話しが聞けてありがたい、そう思う一方で、体調がすぐれず。それでも、回を重ねるうちに、zoom時間にも緩急つけられるようになり。それにしても、人に会うこと、人のお話を聞くこと、それがこれほど大切なことだったとは。改めてそんなことを感じています。

それから歯の治療。”コロナ禍で在宅の人が矯正やホワイトニングに押し寄せ、歯科医さんたちが大変”、そんな記事を目にしたのが確か昨年の夏ごろ。それ以来、ちょっとした遠慮があって、取れてしまった歯の詰め物をそのままに。で、ようやくその治療を終えました。親切な先生のおかげで、大きく穴の開いてしまった歯の治療も完治しました。

この不自由なコロナ禍でも、やれることが徐々に増えてきた、そんな気がしています。

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今後のため

それから、あるnoterさんの記事を読んだときのこと。あれれ、わたしは介護中?そんなことを思ったのです。なにしろ、その方のお母様と母の様子がそっくり。といっても、母は家の中では、洗い物やお風呂掃除、洗濯物をたたんだりと、まめまめしく動いて手伝ってくれているのですが。ただ一つ、うまく歩けず、一人で外出できません。

そんなわけで、ただの同居だと思っていた母のこの状態、もしや介護なの?と、母の入退院がひと段落したこの年明け、母と話し、介護認定をお願いしてみました。

実は、10日ほどまえ、お休み中にもかかわらず、介護の記事をnoteに投稿したのですが、それは介護についてあまりに無知であったことを自覚したから。考えてみると、わたしはいつだって、一歩先におこることがきちんと予測できていないのです。時代が変わると、変わるものがある。その一方で、変わらないものもあって。ただ、情報を取りにいかなければ、そんな変化にすら気づかないもの。そんな中、介護はみごとに変化したとのこと。そんな驚きを記事にしておきたくなったのでした。

そして、いよいよ介護認定の日。聞いてはいたのです。介護認定では、当事者はいつもより機敏に動くと。で、それはほんとうでした。いつもなら動きが緩慢な母、その日に限り、実にきびきびと動くのです。

けれど、それでいいのだと思うのです。だれにでもプライドがあります。自分よりはるか年若い人の前です。少しでも素早く動きたくなる、元気な姿を見せたくなる、それが人間というもの。きっと自分も同じことをするのだろうなと思いながら、一人見学をしていたのでした。

そして、おりた母の認定は「要介護1」。

もちろん、今でも本人には介護されている自覚はないのですが、それでも、母と暮らしはじめて、子育ての時のような動けなさをひしひしと感じていたわたしにとっては、妙に納得できた認定でした。

そして、この認定が、わたしたちの新しい暮らしの始まりになったのでした。

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チャレンジ

それから、noteを離れていた間Twitterをはじめて。ただこのTwitter、どうもよくわからない。いろいろと試してはみるのですが、やけにだだっ広いのです。まるで大海原を独り漂うよう… そんな時、Twitter上でnoterさんをみかけるとほっとします。漂流中、あゝ島が見えた!そんな気分なのです。有名な方がすぐそばにいて、新しい情報が次々に流れては消えてゆく、そんなぼんやりとした世界で遊んでいます。

そして、もう一つ、音声配信にもチャレンジしました。noteでもTwitterでも、noterの方々の音声配信がどんどん流れてきていて、いろいろな方のラジオを聞いていまして。で、いつまでも考えていないで試してみよう、ようやくそう思えて、重い腰をあげたのでした。

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そして これから

そして、note復活のきょうから、母の介護記録もはじめてみることに。ちょっと不謹慎なようですが、実は母とは、よく介護や死について語ります。それは、母のことであり、自分のことでもあると思っています。どんなふうに暮らし、どんなふうに最後をむかえたいのか、そんなおしゃべりを何度もしています。

そして、コロナの終息を待たず、母はデイケアにお世話になることに。それは母のためというよりは、家族のため。新しく加わったわたしたちの家族に、ゆるやかに母が居場所を確保するための、ちょっとだけ互いにする遠慮。母とも話し合い、家族が会社に行くように、母もおでかけする、そんな計画をたてました。まだ計画の段階ですが、最後は家で看取りをする、これがいまのわたしたちの計画の終着点。だからこそ、気になることはその都度話し合い、無理はしない、きばらない、小さな改善を重ねていく、そんな話し合いをしていければと思っています。

日本の介護事情は変化したといいます。それが、どんな変化なのか、お世話になる側からも発信していけたらと思っています。


最後に、昨夜こっそりデビューしたStandfmをよかったら聞いてください。2分44秒です。

それでは、これから、またゆるりと復活いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

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