どんどん自由になって、出会えて
4月にはいって3回目の月曜日、きょうはnoteをきっかけに変化が加速しつつある自分の内側と、一つの大切な出会いを記録しておきたい、そんな個人的なお話しを少し。
それぞれのSNS
わたしは現在、欲張りにもnote、Twitter、stand.fmの3つを使って発信していまして、それがちょうどいい塩梅に動き出しているのです。そのいい塩梅には、ちょっとしたわけがありまして…
一番は一度noteを離れたこと。お休みしたらnoteから心が離れたのです。完全に。薄情なやつ。そうしたら気分が変わったのです。なにしろ、ブログ初心者の身で、約半年書いていたのです。思えば、周りがよく見えていませんでした。
ところが、再びここへもどってきてわかったのです。自分とnoteのキャラが分離できるようになったことが。そう、呑気で食いしん坊のわたしと、伝えたいことを抱えたしっかり者のumi。
その分離を加速させたのがTwitter。それはTwitterでルールを決めてから、だったはず。
最初はゆるく。で、慣れてきたころから、毎日投稿にチャレンジしてみました。それを始められたのは、竹村俊助※さんが、
スベっても誰も見てない
とおっしゃるから。
スベったものは流れていくだけ
反響のあったものはみんなに知られていく
ほとんどの人は成功例だけを見てくれる
そうおっしゃるのです。
それを見た瞬間から楽になれました。この人、また呟いているけど大丈夫?なんて思われても、流れちゃえばいい。誰も見ていない。それでOK。気に入りました、この発想。
※ 竹村俊助 『書くのがしんどい』 2020 PHP p68~70
それなら、自分のテーマ、「女性の労働」と「女性の生き方」、そこからズレない内容を呟いてみたい、そんなことを心掛けるようになりました。
すると今度は、はじめたばかりの音声配信スタエフ(stand.fm)が楽になります。こちらもまた、スベっても誰も聴いていない(笑) なにしろ、こちらも流れるタイプ。
ほんとは沢山の人に届くといいな、と思ってはいるのですが、まあ、反響のあったものはみんなに知られていく、をそっくりこちらにも当てはめて。すると、おしゃべりが楽になりました。あ、でもまだ噛みますが(汗)
どんどん変化して
で、なにが変化したのかといいますと。
順番は、Twitter ☞ note ☞ スタエフ ☞ note 。
noteはやや長文、Twitterは140文字、スタエフだって長時間は聞いてもらえそうにない。そんな、ちょっと異なるプラットホームを行ったり来たりしていたら、最初にnoteに変化がおこりました。
以前は5千~9千字でしか書けなかった記事が、3千字で収まるように。これ、完全にTwitterの影響です。
それからスタエフ。最初は緊張していたのですが、ライブ配信されている方がたくさんいらして、それが実に自然体でいいなぁと思ったのです。で、わたしも見習ってみました。
すると、これがまたnoteへ戻る。おかしなもので、話すように書くなんてできなかったのですが、それが、おやっ、なんだか普段着だぞ、って感じになってきたのです。
こうした変化は、もちろん、意図していたものではありません。
そう、わたしは初めてここにやってきた昨年の6月から、新しい自分の表現を手に入れつつある、そう思えているのです。
向かう方向
実は昨日、大きな出会いがありました。
吉田裕枝さんがTwitterでこちら↓↓の記事を教えてくださり、読ませていただいたのです。
そこには、
新しい言葉に向かうとかかれていました。
最初は、なんだろう、そう思ったのです。
ところが、だんだんと、それはわたしのことでもある、そう思えてきたのです。
新しい言葉に向かう、もちろん、それはひょっこり生まれた言葉ではありませんでした。
繰り返し繰り返し、なにかをなぞり、掘り起こし、考え、またなぞり、掘り起こし、そうして、そこから一度離れて。
時間と距離、思考すること、そこから創り出されていた言葉でした。
吉田さんは、
自分の「経験」から「本質」を見つけ出し、そこから「企画」を生み出す
と書かれていたのです。
いったい、どうしたことでしょう!
それは、この数年、思い続けてきたことでした。
わたしもまた、
一貫して変わらないものこそが、わたしたちを苦しめる「本質」だと、経験と学問と近歴史を丹念に調べて動きはじめたばかり。
見せかけのもの。サイクルがどんどん早まり、短くなって、そんな変化に目を奪われず、時間の隙間に置いていかれたそれを、手に取り、
ねえ、これがあったでしょ、と新しい言葉で表してみる。
そこが難しい。
本当に、難しい。
なぜって、新しくはないのだから。
だから、人はすぐには振り向かない。
「本質」とは、そんなもの。一貫して変わらないもの、変わろうとしないもの、わたしはそれが「本質」だと思うのです。
吉田さんの「本質」は、「企画」へと動き出すのです。そこには一貫して変わらない良きもの、愛おしむべきもの、人にとって手放してはならないもの。そんな大切なもの。
そして、わたしの思う「本質」は、そこを完全に取り去り、そして「企画」へと進むべきもの。
向きは違っても、さがすものは同じ。
それは、新しい言葉へと向かうということ。
きっとそれは難産になります。
ただ、その難産は、苦しくても必要なもの。吉田さんのお子さんのためにも、わたしの子どものためにも、わたしたちの子どものためにも。
それこそが、吉田さんのおっしゃる、今ある記号から離れる、唯一のこと。
誰もやらないから、吉田さんがそれをやり、わたしがそれをやる。
こんな出会いのあった次の朝、ほっぺさんが駆け寄ってくださいました。
ほっぺさんもまた、「女性の生き方」、「より良い未来」というテーマに行きついたのだと。そして、これから動き出そうとされています。
するとsachiさんもまた。
知っていました。sachiさんが同じ思いを持つ方だということは。
そして、わたしの敬愛するmakitanさんにも、ここにいらしていただいて。
必ず探し出すことば
今ある記号から離れる、は容易なことではありません。
人は、それを永遠の記号と思い、だからだれもが通り過ぎていくのです。
それでも、このnoteには、その記号から離れ、当事者としての「企画」を動かしはじめる熱がある、そんな気がするのです。
その熱は、きっとどこにでもあるわけではないと。
そして、その「企画」にほしいのは、それを伝える言葉。
当たり前の記号から離れて動き出し、呼吸をはじめ、育ち、離れられなくなる新たな記号としての言葉。
大切なものを芯に、時代にも、早さにも、新しさにも、勢いにも、そして数にも流されず、
自分たちに向き合うやさしくて強い言葉。
一度はわたしたちが手放してしまったもの。
noteをはじめて、これほど心が揺さぶられたことはありません。
もう一度、noteに戻ってこれたその幸せを、今かみしめています。
たくさんの出会いに感謝♡
昨日は音声配信stand.fmで、自己紹介をしました。どうしてスタエフをはじめたのか、そんなことを語っています。よかったら聞いてください。
※絵は、みんなのフォトギャラリー世界の美術館、メトロポリタン美術館のグスタフ・クリムト (1903–2000) 、作品タイトルMäda Primavesi、をお借りしています。ありがとうございます。
絵の一部しか掲載できていません。この対処法をご存知の方がいらしたら教えていただければ嬉しいです。