見出し画像

Re:たとえ働かなくてもいい時代になったとしても、それでも「働くことは生きること」だと思う

こんにちは。きょうはとてもプライベートなことを

昨日、noteで鶴木まきさんの書かれた記事と出会い、コメントをさせてもらいました。そして、今朝目が覚めると鶴木さんから記事でお便りが届いていました。びっくり。そして、ありがとうございました!こんなに嬉しい朝はありません!


感想をいただいて

おっしゃるように、わたしはふだん投稿欄を閉じてます。理由は、ブログ初心者ゆえの心配性と、タイミングよく返信する自信がないなぁ…と思っているから。そんな小心者のわたしに、鶴木さんはnoteでこんな感想を述べて下さいました


わたしたちの違い

そして、今、こんなかたちで返信をさせてもらえたらと書きはじめています

〇ずっと働き続けてこられた鶴木さん

〇働きたいともがき続けてきたけれど、それが叶わなかったわたし

共に半世紀を生き、そして子育てを経てきたわたしたち。立場は違えど、互いに同じ社会で同じような時代を生き同じような経験をたくさん重ねてきたはずです

けれど、ただ一つ違うものがあるとするなら、それは、「仕事」と「働く」こと…

わたしは大人になって大学に入り、たまたま学んだ社会学で、大きな川の流れにフワフワと漂いながら流れ流されてゆく小さな葉っぱを目にします。意思を持たない小さな小さな葉っぱ。それが私でした。ところが、わたしは自分が小さな葉っぱだということになかなか気付きません。それに気づくのに何年もかかってしまいました

それでも、それに気づいた時からようやく動きはじめるのですが、残念ながら、何を知りたいのか、何が問題なのか、そんなことすらわからなかったのです。noteをはじめるまでに、わたしはそんな時間を数年過ごしてきました

今なら言えます。わたしがずっと考えていたのは、目先の「仕事」で、鶴木さんが考えてこられたのは、きっと「働くこと」だったのではないでしょうか



わたしたちの共通点


鶴木さんは、

誰かのせいでも何かのせいでもなく、今そうしているその状況は結局自分の積み上げてきたものの結果でしかない

とおっしゃる。もしも、わたしたちに共通点があるとすれば、きっとそんなところなんじゃないかと思うのです

わたしはフェミニズムという言葉の響きが自分にあわないと思うのです。時代や社会という大きな川の流れに、ただただ流されてきました。それでも、わたしはようやくそんなちっぽけな自分に気付くことができたのです。だから、いまさら社会が悪かったんだなんて言えないのです。そして、親が悪いとは言えないのです。それから、男が悪いなんて、やっぱり言えないのです

鶴木さんは、

良いも悪いもない。ただ結果は自分で作ってきた。自分が選択し望んだ通りにしか人生は行かない。だからなににつけても文句をいっている暇なんてない

とおっしゃる。そこに、わたしは深くうなずいてしまうのです

わたしも過ぎ去った時が、たとえ間違いであったとしても、それは全て自身が選択した道だった、そう思うタイプ。昨日、鶴木さんのnoteを読ませて頂いて心にグッときたのは、その語りの中に、冷静で客観的に物事をとらえている大人な視点を見たから



共に考えてゆける

ただ、わたしには、一つだけ悔いがあります。それは、何も知らないまま、何一つ知ろうともしないまま生きてきた自分自身の生き方です

思えば、なにか変だな?と思うことはたくさんありました。それでも、わたしはいつだってそんなものをスルーしてきました。けれど、それは違ったなと今頃思っているのです。立ち止まって考える、そんな小さな積み重ねが必要だったんだなと

ですから、わたしと同じように「変だな?」をスルーしてしまうかもしれない人たちに、伝えたいことが沢山あるのです。noteならそれができるかもしれない。きょう、鶴木さんにお便りをいただいて、そんなことを思いました

今日は大切な仲間に出会えた記念すべき日になりました

いいなと思ったら応援しよう!