切腹という死に様 - 猪瀬直樹「ペルソナ-三島由紀夫伝」
私の父は三島由紀夫が好きで、
実家でも昔、高い全集があったように覚えている(引っ越しした時に売ってしまったが……)。
その影響かどうか、私も人生の折々にちょこちょこと読んできた。
そんなに多くは無いが、以下、読んだ順に一言レビューを書きたい。
①潮騒
たしか10代か20代で読んだ、初三島由紀夫。
薄くて結構さらっと読める。さわやか(?)青春恋愛小説。
②金閣寺
20代か30代に読んだ。
確かこれ、ずっと前に映画を見た気がする。
実際にあった金閣寺放火事件(1950)に着想を得たという作品。
内容はもうほとんど覚えてないが、
主人公の吃音(どもり)と、ラストで煙草を吸うシーンが印象に残っている。
③豊饒の海
40代で読んだ。
三島どころか日本文学史上に残る傑作及び大作だと思う。
これに匹敵する日本文学って少ないんじゃないか。
単なる「大作」だけだと吉川英治や山岡荘八などの長編小説もあるがあれは歴史小説だし文学と呼ぶにはエンタメ寄り(実際吉川英治は貸本の世界だったし)である。
少なくとも「大作」と「傑作」が結実しているという作品では、埴谷雄高の死霊か島崎藤村の夜明け前ぐらいか。
豊饒の海の、特に第三巻「暁の寺」に出てくるタイ(バンコク)の絢爛豪華な描写は白眉である。
個人的には第四巻「天人五衰」が好きかな。
それまでの長いストーリーがこの巻で結実する。
表題のエピソードも面白いが、
特にラストは、父は「バッハの『フーガの技法』を彷彿とさせる」と言っていたが、あの、途中でいきなり消えるイメージというよりは、私はむしろ雪がふわっと消える、儚い感じという印象を受けた。
④不道徳教育講座
これいつ読んだかなあ。
角川文庫のカドフェスでフェアをやってて、解説が面白そうだったから気になって手を取ったかもしれない。
サラっと読める、ちょっとクセのあるエッセイ。
⑤仮面の告白
だいぶ後になってから読んだ。
あまり記憶に残ってない。
なんかちょっと読みにくかったし、ストーリーがあまり掴みきれなかった。
⑥命売ります
本屋でプッシュしていてポップに引かれて読んだ。
エンタメ作品。
自殺しようとしていた主人公が開き直って「自分に何をやってもいい、何をやらせてもいい」と、命に値段をつける。
つかみはOKで、前半がめっちゃ面白い。
でも後半が面白くなくなったので残念。
豊饒の海の第二巻と第三巻の間に書かれていたと知って衝撃を受けた。
あの芸術的大作の間に、こんな軽いエンタメ作品を書いていたとは!
これくらいだろうか。
あとは戯曲の「サド侯爵夫人/わが友ヒットラー」なんかも読んだ気がするが、あまり覚えていない。
この中ではやはり「豊饒の海」が一番記憶に残っている。
上で挙げたように、第三巻も良かったが、第一巻「春の雪」の緻密な描写も味があって良い。
ただ正直に言うと読みづらく、最初は一巻を読んだ時点で諦めかけたが、二巻三巻を経てようやく勢いに乗って読み切ることができた
ちなみに二巻「奔馬」は、みんな簡単に切腹しようとしすぎである。
「金閣寺」「豊饒の海」を読んで思ったのだが、
三島文学の一つの魅力は、文体だと思う。
とにかく煌(きら)びやかで、文体が舞っているというか、
文体に色や形があるような感じだ。
文学を絵画や音楽と同じ「芸術」というくくりで語るのなら、
やはり三島の作品は一つの「芸術」となっているのではないか。
特に我々日本人にとっては、日本語で書かれているというのが大きい。
世界に目を向けて見ると、ドストエフスキー、ゲーテ、ガルシア=マルケス、カフカやカミュ、シェイクスピアなど、様々な優れた文学作品があるが、あれらを読むのは結局は翻訳なので、「文体の美しさ」は100%は伝わってきてないだろうと思う(それでもシェイクスピアなどは文体のすごさ(軽妙さ、軽やかさ、粋さ)は伝わってくるが)。
ネットサーフィンをしていると三島は今でも人気である。
Twitterの読書垢などでも読了ツイートを見る事が多い。
アメトーーク!の読書芸人でも取り上げられたし(第一回目は誰かが「豊饒の海」を持ってきてたし、その後もカズレーザーかな?「禁色」を絶賛していた。それでさらに売り上げが伸びたという)、本屋でも平積みでプッシュされている。もちろん作者別のコーナーもある。
現代の人たち(特に若者)にウケる理由は何だろう?
私が思うに、やはり文体が軽妙で小気味が良く、クセになる味なんじゃないかなと思う。
ところで私は三島本人の人生についてはあまり知らなかった。
大昔に「Mishima」という映画(1985年、ポール・シュレイダー監督、緒形拳主演の日米合作映画)を見た事があるが、当時小学生だっただろうか、小さかったせいもあって内容はほとんど覚えていない。
だが最後のシーン、演説した後に切腹した、というのだけは強く印象に残っている。
切腹。
戦国時代じゃあるまいし、そんなので現代の人間が自殺できるのか?
首をくくるとかガス自殺ならともかく、普通の自殺に選択する手段じゃない。
実際、有名な話だが、太宰治は入水自殺、芥川龍之介は服毒自殺、川端康成はガス自殺をしており、文豪はよく自殺するというイメージはあるが、しかしどうも、三島は、例えば芥川龍之介が言う「将来に対する唯(ただ)ぼんやりした不安」というような、文学に対する姿勢がこじれて自殺に向かった訳ではないようだ。
とはいえあまりよくは知らず、
「自衛隊に激を飛ばしてクーデターを起こそうとしたが、誰も動かなかったから失望して切腹した」ぐらいの知識だった。
その正体をずっと知りたいと思っていた。
本書、猪瀬直樹著「ペルソナ」は、
私がノンフィクション本にハマり始めた初期の頃(5~6年前くらいだろうか)、ノンフィクション本を紹介するあるサイトで紹介されていたのがきっかけで購入したものの、ずっと積んでいたものである。
猪瀬直樹は東京都知事も経験しており、色々と良くない評判もあるが、とりあえず先入観無しで読んでみようと思った。
(ちなみに同じ作者の「欲望のメディア」も積んでいる。テレビが日本人に与えた影響がテーマで、こちらも面白そうだ)
「事件ものと人物評伝はノンフィクションの華」と言われる。
本屋に行くと作家別の棚に三島由紀夫のコーナーがあるが、
これがまたすごい量である。
下手すると太宰治や夏目漱石より多いんじゃないか。
少なくとも川端康成や森鷗外よりは多い。
そんな中でずっと積んでいたこの「ペルソナ」に今回手を出した。
インタビューや一次資料の情報も多く、正当な通史の一つだと思う。
本書はまず大正10年の原敬首相の暗殺から始まる。
日本史の闇である。
「三島由紀夫となんの関係があるんだ?」と、
驚きながらも一気に引き込まれた。
どうやら三島由紀夫の祖父、平岡(三島由紀夫の本名は平岡公威(きみたけ))定太郎(さだたろう)が、原敬暗殺の情報を掴んでいたらしい。
舞台は、定太郎が原敬の命を受けて樺太庁長官に任命される所から書かれる。
第一章では大正から昭和初期の近代史が書かれ、なかなか三島由紀夫が出てこないが、読みごたえは十分にある。
祖父の定太郎は樺太庁長官からあと少しで満鉄総裁になるところまでいったが、疑獄事件が起こり、家は没落し、借金をこさえることになる。
その過程で原敬暗殺を含めた様々な闇の世界とつながりを持っていく。
定太郎の妻、夏子はお嬢様育ちだったため、家を没落させた定太郎に見切りをつけ、孫の公威(三島由紀夫)を偏愛していく。
という訳で三島由紀夫は幼少期の頃、祖母(定太郎の妻)夏子の部屋で暮らすことになるのだが、まずこの祖母夏子がすごい。
淋病を患い、病床にありながら、公威(三島)を手放さない。
三島が一歳の時点で(三島の)母倭文重(しずえ)の元から奪い、傍に置く。
倭文重が授乳する時(そのタイミングも夏子が一方的に決めていた。その時間でなければ倭文重がいくらお乳をあげたくてもあげられなかった)だけベルで女中を呼び、倭文重のところへ連れて行くが、お乳をやってる間もそばでじっと見ていて、時間がくると容赦なく三島をひっぺがした。
三島の友達は夏子の用意した2~3人の女の子だったが、
「外は明るいのに、暗く湿った家の中でママゴトや折り紙をして遊んだ」という。
真っ黒になって野原で駆け回ったという経験はない。
後日、三島が19歳になった時に徴兵検査を受けるが、
その時同席していた人物によると、
「色白でアバラが浮き出てひょろりとしていた」。
それでも胸毛だけはあったというところがなんとなく淫靡な感じがするが、
やはりコンプレックスがあったのだろうか。後年、三島は、肉体美へのあこがれからボディビルにのめり込んでいくことになる。
幼少期の思い出が絡んでいるかどうかは分からないが、
私は三島作品のキーワードの一つに「美」があると思う。
仏陀は晩年に「真・善・美」を説いた。
「美」は人間の持つ三大価値の一つである。
ずっと後に三島が「金閣寺」を書いたとき、
その執筆のきっかけとなったのは、実際の金閣寺放火事件が新聞に載った記事の中の「犯人は"美しさ"に反感」という一文であった。
徴兵検査の時は三島の父親、梓(あずさ)も同行するが、
こちらはまた定太郎と全くタイプが違い、
小物というか、詐欺師タイプというか、毒親に近い存在であった。
本書の解説によると、今までの三島関連本は祖母夏子との関連を書くことが多かったが、この本では祖父定太郎と父梓にもかなりのページを割いているのが特徴である。
「仮面の告白」では祖母夏子はかなりのページ数を割かれているのに対して、祖父定太郎の描写は数行で終わってしまっている。それくらい三島が見たくなかったものに猪瀬直樹は着目している。
とはいえ三島が幼少期の頃を描いた作品として「仮面の告白」はやはり重要な位置を占めていたようだ。
「仮面の告白」は、その半年前に玉川上水に入水自殺した太宰治の、あの「人間失格」、そして森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」に影響を受けている。
「人間失格」は懺悔録として、「ヰタ・セクスアリス」は性的自伝として、三島の中に結実した。
16歳の時「花盛りの森」でデビューした後、学習院高等科を首席で卒業し、東京帝大を経て大蔵省に入る。スーパーエリートである。
しかし「仮面の告白」や「禁色」を読んで思うのだが、
三島は同性愛者だったのかどうか。
実際に三島は結婚して妻を持っている。
だが妻との生活は辛いものだったらしいから、
やはり同性愛の性質が強かったのだろう。
後年、ボディビルに傾倒し(「ボディ・ビル哲学」なる作品まで出している)、「薔薇刑」なる写真集まで出している(私は「薔薇族」と混合して三島のゲイのイメージを持ってしまっていたが)。
「仮面の告白」(昭和23年)の直前に出た望月衛「性と生活」より、「『自己投資』が高じると、鏡に映った自己愛はもちろん同性であり、自分以上の存在が目の前に出てきた場合、自然と同性になる」という話は非常に興味深い。
三島がナルシストだったかどうかは分からないが、ボディビルにハマるというのはその断片を担っているのだと思う。
また「金閣寺」は私の好きな小説の一つであるが、あれはかなり取材をして書かれたようだ。
確かに、描写が緻密だったのを覚えている。
書かれたのは実際の金閣寺が消失してから五年後。
取材時に三島が見たのは、
「消失前のくすんだ金色でなく現代も見られるキンキラキンの金閣であった」。
その様子がよく再現されていると思う。
その後、三島は乗りに乗って(とは言っても波乱万丈の人生だが)、
「鏡子の家」(これは三島の自信作だがあまり評価されなかったらしい)、
「裸体と衣装」(「新潮」に連載された「日記」)
「美徳のよろめき」(三島が惚れていた女性が三島と不倫するという、作品内である種の復讐を遂げた作品)
「宴のあと」(モデルになった人物からプライバシーの侵害だと告訴される)
「憂国」(二二六事件、切腹の描写が続く)
「午後の曳航」(西部劇「シェーン」を彷彿とさせる)
「絹と明察」(労働争議がテーマ。この頃三島は結婚していたので家長を描こうとしたらしい)
「沈める滝」(祖父と父をモデルとした人物が出てくる)
「三熊野詣」(あとがきが絶望的で暗い)
などの作品を書いた後、
最後の大作「豊饒の海」へつながっていく。
途中途中、大島渚、寺山修司、野坂昭如などと対談している。知っている人物が三島史の中に出てくると興味深い。
三島は劇団にも傾倒していたが、残念ながら所属していた文学座は空中分解する。
そして「豊饒の海」に取り掛かる訳だが、これは日本古典文学大系「浜松中納言物語」に着想を得ている。
夢と転生の物語である。
三島は「憂国」「三熊野詣」を経て「豊饒の海」へと、
日常生活が幻想の回に位置づけられていくのと同時に、心のうちに死がしだいにあらわになっていく。
映画「憂國」(1966年、三島自身が監督・主演をした)では、実際に切腹がリアルに描かれていた。
(なおこの辺りから著者、猪瀬直樹の思い出が絡んでくる)
ところで三島は結構海外も旅しており、ニューヨークには何か月も滞在していた。もちろん英語もできる。
純日本的日本人だという印象を持っていた私には意外だった。
パリでも評価され、ノーベル文学賞の噂も高かった(実際に予想記事が新聞に載っていた)
ノーベル賞を受賞した時のための下見でストックホルムに行った後、カンボジアとタイへ寄る。
「豊饒の海」第三巻「暁の寺」の舞台である。
あの緻密な描写は当然取材のたまものであった(私はそこに気づいていなかった)が、その魅力を受信するアンテナを持っていた三島の力だろう。
残念ながら期待されていながらノーベル文学賞は何年ももらえなかった(若すぎたのではないかとも言われている←だがカミュとかもっと若くなかったか)。
川端康成に先を越され、
「もしこの次日本人がもらうとしたら俺ではなく大江(健三郎)だよ」
と予測していた(当たったのがすごい)。
個人的には「豊饒の海」を完結してからも生きてたらもらえていたのじゃないか、とも思う。
そしてこの頃から三島の中で「天皇」の存在が大きくなってくる。
昭和42年、防衛庁に自衛隊体験入学をするのをきっかけに、徐々に自衛隊に近づいていく。
明治に実際に起きた神風連という(今でいう)テロ組織(と書くと誤解を生むが)による反乱の取材をして、三島の心の内にある意識が刷り込まれる。
これは「豊饒の海」第二巻「奔馬」に結実するが、世の悪を誅し、その後自刃するという内容で、特に切腹の話がやたらと出てくる。私はこれを読んで辟易したものだ。
再度「暁の寺」の取材のためにバンコクへ赴いたが、
帰ってくると日本中、新左翼による学生運動の真っ最中だった。
「論争ジャーナル」の萬代潔や中辻和彦、民族派の持丸博らが三島の家にやってきて、次第に三島の夢想する「現代の神風連」の立ち上げに繋がっていく。
学生運動のピーク、昭和43年の国際反戦デーに合わせて発足したその組織は、三島のプライベートマネーで立ち上げられた「楯の会」という。
もともとは学生運動の勢いに乗じて「反革命」の名目で日本を変えていく、というものだった。
ところが学生運動は、1969年に東京大学の安田講堂が陥落し、佐藤首相訪米阻止闘争が機動隊に阻止され約2000人が逮捕された後、急速に沈下していく。
翌1970年にはもはやほとんどその火は消えており、世の中には大阪万博のテーマ曲「世界の国からこんにちは」が明るく鳴り響く。
それでも三島は止まらず、突っ走っていこうとしていた。
そこに何か悲壮なものを感じる。
私はこれを読んで、大政奉還が行われ明治の時代になってもまだ幕府による統治の夢を捨てられず、北海道の果てで孤立しながら戦って散った榎本武揚を想像した。
ここからは私も事実として知っていた。
市谷駐屯地で東部方面総監を人質にし、自衛隊員を終結させて主張を訴え、蜂起する者を募って国会を占拠する、というものだった。
だが三島の演説の前に自衛隊は誰一人動かなかった。
と思っていたがどうもそうではなく、その前から三島には「切腹による自決」というものが自分の中にあったようだ。だいたい意気消沈しての自殺で切腹という方法を取れるはずもない。
三島の中で「豊饒の海」は、最初は全四巻の構想だったが、三巻を書いた時点で完結してしまったという。
それでも四巻は書かれた。
そうなると結果的に出たこの第四巻、「天人五衰」は一体なんだったのだろう?確かに他の三冊の雰囲気とは微妙に違う。厚さもこの一巻だけやたらと薄い。
(低い評価を得ることもあるこの第四巻だが、私は豊饒の海の中ではこの第四巻が一番好きである)
いずれにせよ第四巻を書いた三島は1970年の11月25日、その最終回の原稿を編集者に渡した後、その足で市ヶ谷に向かった。
そして本書のクライマックス。
三島が楯の会の面々と市ヶ谷駐屯地に突入するシーンはなかなかに迫力がある。
総監を人質に取った後、部屋へ入ってこようとした自衛隊員達を次から次へと切り付けていき重傷を負わせ、バルコニーへ出て演説する。
だが、熱弁をふるう三島に対し、集まった自衛隊員たちはどこまでも冷めていた(昼食中に集められ、指示系統も無いので烏合の衆になっていた)。
マスコミのヘリコプターの音が演説を邪魔し、
自衛隊員達の中から、
「聞こえねえぞ!」「バカヤロウ!」と、
汚いヤジ(というよりももはや罵声)が飛ぶ。
どれだけ熱弁をふるっても、自衛隊員達には届かない。
「諸君の中に一人でも俺と一緒に起つやつはいないのか!」
「そんなのいるもんか!」「ばかやろう!」「気狂い!」
誰もついてくるものはいなかった。
三島は愕然とした。
「一人もいないんだな。よし、俺は死ぬんだ。憲法改正の為に立ち上がらないという見極めがついた。自衛隊に対する夢はなくなったんだっ!それではここで天皇陛下万歳を叫ぶ!(皇居に向かい正座し)天皇陛下万歳っ!万歳っ!万歳っ!」
だが「万歳」は「銃で撃て!」「ひきずり降ろせ!」などの騒然とした声にかき消された。
その後三島はバルコニーから総監室へ戻り、切腹した。
三島についてきた同じ楯の会の森田必勝も同じく切腹した。
介錯は古賀浩靖。
最初は森田が三島の介錯をしようとしたが上手くできず、途中から古賀に代わった。
切腹もキツいが、介錯もキツかっただろう。
なにせ日本刀で相手の首を一刀両断するのだ。
しかし古賀は一太刀のもとやってのける。
三島の切腹は、
手順作法に則った見事な切腹だったという。
しかし、やはりあまりに哀しい。
私はこれを読んだとき、犬死にではないかとも思ったが、
ともあれ三島は、計画通りに劇的な演説のあとの自刃をすることができた。
それはそれで彼の本望だったのだろうか。
これも本書で知ったのだが、
この日、市谷駐屯地にいるはずだった自衛隊の精鋭部隊は、実は富士演習場に行っており留守だった。残っていたのは通信や補給部隊、三島の言う「武士」達ではなかった。
ではその精鋭部隊が残っていたら革命は上手くいっていたのだろうか。
いや、もしかすると何人か同調するものはいたとしても、
その前に、(著者の書く通り)レンジャー部隊が総監室へ突入し、三島を取り押さえていた可能性も高い。
演説も切腹することもできず、生き恥を晒していたかもしれない。
結果は分からないが、実際は偶然精鋭部隊がいなかったため、三島は切腹をやり遂げることができ、伝説となった。
ノンフィクション本でよくあるのだが、
本書もラスト一行が良い。
祖父定太郎、父梓、そして三島本人と、官僚から転げ落ちた親子三代。
あれだけ三島が壊そうとした官僚主義(日常)だったが、
三島が自決した日でも防衛庁の誰かのお別れ会は普通に執り行われた。
日常は全く揺るぐことはなかったのである。
本書を読み終えた後、
「なんとなく漠然とした作家」のイメージだったのが、
「時代を駆け抜けた生身の人間」である三島に触れる事ができた。
人物評伝は時として、幻想の中にいるような存在を、
その時代、確かに生きていた人間だと強烈に意識させられる。
手塚治虫「ブッダ」を読んだ時と似た感じを得た。
(追記)
本書の参考文献の数はヤバい。
実に2段組みで9ページに渡る。
(追記2)
「金閣寺」の最後に入る事の出来なかった部屋、「究竟頂(くうきょうちょう)」に三島切腹の鍵が隠されているというエピソードは興味深かった。
(追記3)
三島の中でも異色とされるSF作品「失われた星」だが、近所の書店でもアピールされており、本書でも取り上げられているのを見て俄然読みたくなった。
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