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「素朴な疑問」

「素朴な疑問」2006年6月23日


生命が生命を維持するのに不可欠な『食』

今回の茄子の一件で幼少の頃に感じていた想いが蘇った。(ベランダで茄子を育てたが、食べることが出来なかった、、)

私は宗教家という存在が頗る不快であった。
命が命を喰らう事で生き延びるという事の根拠を深く問わずに
さも『生命』というものの云々を語る、ということ。

理屈を覚えてからはよくこのような問いを出した。

『もし、植物から真っ赤な鮮血が飛び散ったら簡単に食べられますか?』と。
生命という見地から観ればこの世は『弱肉強食』の原理で作動している。
此処には自然の摂理という逃れられぬ掟がある。
この掟・法則性に関しては是非などない。
生存する為には不可欠のものである。

では、その生存の根拠は?
他の生命を喰らってまで生存する意味・意義というものが我々人間にあるのか?
この問いは殆んどの宗教家の口を黙らせるに有効であった。

よく『食は文化』とも言われる。

人間存在を中心に置いた得手勝手な文化論である。
この根拠をどれだけの人物が私のような素朴な問いに
答えられるのであろうか??

命が命を喰らわねば生存は不可能である。
この最も基本的な問いを前提としてどれだけ奇麗事を言っても
所詮は欺瞞の匂いがする。
血塗られた人類史を観て、文化論を語る前に生命に優劣の尺度を語るがいい。

この観点から生じるのは争い以外に無い。
喰うか喰われるか、である。
喰う事に如何なる衣装を纏えども、中身は同じである。

と、このように書く事自体埒も無いが、、。。。

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