「死生観と自覚」
「死生観と自覚」
深夜に拾い読みで「論語」を読んでいたが、今日風の解釈の浅薄さに複雑な想いが生じていた。
自明だが物事の考察、解釈は其々が自分自身の視点観点に引きつけて読むしかない。
今日、浅薄な無常観や相対的世界観に呪縛されている魂は「死生観」の自覚から生じる人間の「根本的課題」という見解を断じて認めぬであろう。
かかる状況は悲惨というしかないが、今日の時代はこの最も基本的、本質的問いに対して頗る無関心である。何故かと言えば、好んで困難や労苦、痛みを受け入れたくないという動物的防御本能に基づいた観点より導き出された、個人の快不快という趣味趣向的感情による考察判断なのである。
この弱肉強食の原理は唯物論的世界観に呪縛された魂に猛威を振るっている。さらには、その事すら無自覚であるという自覚もない。昨今の健康ブームも如何に衣食住にのみを基点としているかがわかる。
世界的には地球規模の環境問題が世を賑わせている。だが、今一歩踏み込んで考察すれば明らかなこの人間・個人の自己認識という欠如のほうがより「深刻な問題」であるということを考えようともせぬ事こそ、我々人間存在にとって最も重要で切迫した深刻極まりない問題である。
我々個々人の想念、情念、思考の有り様が、どれだけ人間の魂のみならず自然界にも強い影響を与えているかを感受出来ぬ個々人の無自覚さと怠惰さが今後どのように現実化していくかは時とともに明らかになるであろうが、恐らくそれも無自覚、無関心に見過ごされていくに違いない。
この問題は今後も続く我々人間の根本的課題、問いでもある。
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