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「ニーチェが聞いた音楽」

「ニーチェが聞いた音楽」


ニーチェはドストエフスキーの「地下室の手記」を読んだときに文章の背後に音楽が流れていると言った。

ニーチェが聴いた音楽とは誰からも理解されぬ「孤独者」の魂の叫びであった。

この主調低音ともいえる孤独者の「音楽」は程度の差こそあれどもニーチェ以降の文学、哲学者等の文章にも鳴り響いている。

実存主義哲学達の主要概念「不条理」は実体無き概念であるが、これも生きるとは「無意味が意味である」が人間の宿命であると結論づけた。全ての個々人は己の「孤独」を自明のものとして背負いながら生きる事が人生であるとしたのである。

この「虚無観」は閉じた球体であり、あらゆる言葉、想念が乱反射し、生きる方向が消失した。
このような意識状態に通常の個人は耐えうるはずもない。
生きる意味や目的すら見出せぬ人生とは単に「死」が目的と化す。

一切が相対化可能なこの世界観は世界観とは言わぬ。むしろ獣の弱肉強食が強力に作動するのみである。

或る意味での「無私」だが意志を喪失した個人は動物的な衝動のみで生きることになる。
ニーチェの「権力の意志」とは弱肉強食の異名でもある。超人思想も然り。
この意識状態での「自由」とは何でもありの主観的自由でしかない。ここから生じるのは得手勝手な主観的言動しか生じない。

このような意識状態が伝染病のように蔓延して人間社会は暗澹たる様相となった。

虚無観に呪縛された個人が赴くのは刹那主義的言動でしかない。

人類進化の途上に於いて必然的現象とはいえど、この虚無観を打破するのは容易ではないのである。

「虚無観」を打破せぬ限り、人間は今後も血塗られた歴史を性懲りも無く繰り返すであろう。

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