他人の敷いたレールが合わない私
転勤した4月からず~っとモヤモヤしていた原因が、今日はっきりと分かった。
思い返せば、昔から私はそうだった。
他人の敷いたレールがどうにも合わない。
小学校の時、親の都合で2回転校した。
1回目の転校は、2年生の1学期。この時は、まだ、人間関係も固まっていなかったため、比較的すんなりと友達もでき、割と活発な子供だった・・・が、4年生の時に再び転校。
しかも、以前いた学校にまさかの出戻り。
もう、人間関係がガチガチに固まっていて、しかも、中途半端に以前知っている人もいたりして、とても居心地が悪く、私は半分心を閉ざしたまま卒業した。
校区の関係から、ほぼ、そのままの人間関係で持ち上がった中学校では、数少ない仲の良かった友達と同じ部活に入った。
最初はそれなりに楽しかったが、その友達が他のメンバーとそりが合わず、退部。そして、その後、その友達は親の事情で転校。
私もそのとき辞めれば良かったものの、言い出す勇気がなく、また、全員何らかの部活に入らなければならなかったため、結局、居心地が悪い中、3年間を過ごした。
幸い、まだ中学生だったので、3年間我慢すれば、卒業してこの環境から解放されるということが見えていたから、耐えられたのだと思う。
そして、高校入学時に転機が訪れる。
中学校で同じ部活だった人たちから、中学時代と同じ部活に入らないかと誘いを受けたが、私は悩んだ挙句、知り合いが誰もいない別の部活に入ることにした。
中学時代の部活もそれなりに競技自体は楽しかったが、別の部活に強く興味を惹かれたからだ。
この選択は、大正解だった。
その部活の競技自体がものすごく楽しかったのもあるが、そこで共通の趣味志向を持つ、生涯の友と呼べる仲間と出会った。そして、高校の3年間はそれまでの人生で一番楽しい3年間になった。
勇気を持って一歩踏み出すことで、こんなにも世界が変わるということを、初めて実感した出来事だった。
それからの私は、行き詰まるたびに、あえてレールから外れるような選択をしてきた。
もちろん、その選択をする際には、周りからの反対や説得もあったし、不安と恐怖もあった。
しかし、その後に起きた素晴らしい出来事の数々を考えると、その選択は間違っていなかったと断言できる。
逆に、その時、もし説得に応じてレールに乗ったままだったらと考えると、むしろその方がゾッとする。
自分の人生なのだから、自分で選択した方がいいに決まっている。
自分で選択したら言い訳はできないし、どんなに大変でもとにかくがむしゃらにやるしかない。でも、他人の敷いたレールの上でただ無駄に時間を費やすよりはよっぽど良い。
よく、人生は忍耐が大事だと言う人がいるが、私は良い忍耐と悪い忍耐があると思っている。自らが選択したことがうまくいかないときに、なんとかしようと必死に耐えるのは良い忍耐だが、誰かに決められたことにひたすら耐えるのは悪い忍耐だと思う。精神的に良い忍耐と悪い忍耐と言ってもいいかもしれない。
当然、人によっては、他人の敷いたレールの上を行く人生の方が良いという人もいると思うし、それはそれでいいと思う。
だがしかし、私の場合は残念ながら他人の敷いたレールが合わないのだ。
それは、これまでの人生で実証済みだ。
だから、また、レールをあえて外れることにした。
きっと一年後は、また全然違う仕事をしていることだろう。
そして、もし、一年後にいまと同じ仕事をしていたら、自分自身を大いに笑ってやろうと思う。
最後まで駄文にお付き合いくださった皆様、ありがとうございました。