還暦女子、栄養学科に入学して「食と健康」を学ぶ。花の命は短くて長い
栄養学科受験と人生100年時代
仕事をしているときから「栄養学を学びたい」と考えていた。
食物の栄養に関する専門知識と理解があれば、美味しくて健康的な食事を段取りよく作ることができるようになると思ったからだ。
夜間や週末の開講や通信教育のカリキュラムを実施している学校を探したが、見つからなかった。栄養学科は実験や実習が多いため、授業は必然とフルタイムになるということなので仕事との両立はできない。
それでは、定年退職したら学校に行こう。平日の日中は自由になるし、学校中心の生活ができるだろう。
会社人生の先が見え始めたころ、それは「定年後に短大の栄養学科に行く」という将来の計画になった。
「人生100年時代」という言葉を耳にしたとき、入学計画の見通しを思い返した。
大病を患ったこともなく健康状態は良好だし、うちは長寿の家系だし、性格はマイペースだし、百歳まで生きる確率は高いかもしれない。
100年人生は中間地点を過ぎたけれど、この先の人生は結構長い。
やりたいことを先に延ばす理由はない
同時に頭をよぎったのは、体力の衰えだ。フルタイムの授業についていくだけのスタミナはいつまでもつだろうか。これまで実験や実習の経験はない。
老眼も進んだ。
入学を定年まで待っている理由は見当たらない。であれば、やりたいことは早くやってしまおう。焦ったわけではないと思うが、長いとはいえ、半分が過ぎている人生の時間には限りがある。
それから、いつ終わるとも知れない気苦労から解放されたかった。
働き方改革の現実は、親の介護に勤め先から理解や支援を期待したのは甘かった。介護は影が薄いのだと思って諦めたから、異存も未練もない。
新しい学びは、「人生100年時代」でシニアの私を下支えするセーフティーネットになるかもしれない。だが、期待はしないでおこう。
思いを巡らせた後に、定年前の、59歳で短大の栄養学科を受験し、入学することにした。
そう決めると、人生が短く感じてきた。
1年次に私は60歳の誕生日を迎える。
多すぎる情報から真実を選ぶ目を持つ
食品・栄養・調理、食と健康の関係について情報が多すぎる。そして、情報はどんどん更新されていく。
私の知識は聞きかじっただけのものが多く、勝手な解釈や思い込みがほとんどかもしれないし、そもそも食と健康について基礎的な知識はない。
何より食は命に関わることだから、専門的な教育を行う場で科学的な根拠を得て、食と健康について正しい知識と技術を身につける。
そうなれば、氾濫する情報の中から情報の信用度を見極める目を持てるようになるはずだ。
自信をもって真実を実践できるようになり、将来の健康にも配慮した、栄養バランスのよく取れた美味しい食事を楽しみたい。
短大で栄養学を学ぶ目標である。
そして、卒業後は「栄養」の仕事をする「第二社会人」になるつもりでいる。
一日中「よく食べること」を考えている、充実した人生を送るのだ。
入学する4月から、栄養学科での2年間の学びと気づきを note に書き記していく。