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#福島第一原発近くの被災地
フクシマからの報告 2018年晩秋その3 原発内で働いていたからこそ思う 故郷はもう原発内部と同じ 渡辺さん親子の物語(下)
前回の記事に続いて、渡辺さん親子の話を書く。今回は父親の理明(まさあき)さん(48)である。
山形県に避難して間もなく8年。この間に、渡辺さんの健康は悪化した。壮健な少年野球チームの監督だったのに、円形脱毛症になり、大量の下血で救急搬送され、2年前からは人工透析に週3回通う身になった。取材で会うたびに、病気や故障が増えていった。顔色も悪くなった。避難直後の元気な姿を覚えている私には、痛々しい姿に
フクシマからの報告 2020年秋 廃墟の街に出現した「伝承館」 外に広がる現在進行形の 原発災害に来館者は無関心
2020年9月20日、福島県双葉町に「東日本大震災・原子力災害伝承館」が開館した。私も同年10月上旬に訪問して展示を見てきたので、今回はその報告をしたいと思う。
新聞報道などで、この「伝承館」開館のニュースをご覧になった方も多いと思う。概略は記事のとおりだ。
「原発事故直後の混乱と復興の歩みを後世に受け継ぎ、記憶の風化を防ぐ」
「地上3階建て。総工費は約53億円」(注:国の予算)
「六つのエリ
「東日本大震災・原子力災害伝承館を 取材してnoteに投稿すれば 15万円と交通費を払う」 福島県からオファーが来た 取材で見えた3700万円のPR事業 原発事故と広告代理店の意外な関係
「東日本大震災・原子力災害伝承館を取材してnoteに記事を投稿すれば、15万円と交通費を払う」。
そんなメールが私に届いたのは2020年6月18日のことだ。同年9月20日に、福島県双葉町に「東日本大震災・原子力災害伝承館」(以下『伝承館』)が開館する3ヶ月前である。差出人は「エイスリー」という未知の会社からだった。
私は個人ウエブサイトから自分あてにメールが打てるようにしている。出版社からイ
フクシマからの報告 2020年秋 「もう村は元には戻らない」 故郷の再建に9年7ヶ月奮闘した村長 マスコミが無視した真意を聞く
2020年10月26日、福島県飯舘村村長だった菅野典雄(かんの・のりお)さん(74)が、6期24年の任期を終えて引退した。自分の意思で選挙に出馬せず、任期切れで村長を離任する形を取った。新しい村長には、村職員だった杉岡誠さん(44)が無投票で当選した。
菅野さんの村長としての最後の9年7ヶ月は「福島第一原発事故で放射性物質に汚染されたふるさとを再建する」という極めて困難な仕事が課せられた。そ
<フクシマからの報告>2020年夏 「私はモルモットでいい」 放射能に汚染された村で 9年間土壌や食品を測り続ける 伊藤延由さん(76)の記録
福島第一原発事故でもっともひどい放射性物質の汚染を浴びた村に住み続け、自分や自宅の被曝量を測る。除染前と除染後を比較する。
山菜を採り、作物を育て、その線量を測る。土壌の汚染を測る。それをインターネットやSNSで公開する。
そんな地道な作業を、事故発生時から9年以上続けている人がいる。
伊藤延由(いとう・のぶよし)さんという。現在76歳。伊藤さんが住んでいるのは、福島県飯舘村という標
フクシマからの報告 2020年秋 伝承館の中に本物の原発災害はない その外側で10年近く無人の双葉町 廃墟の街を歩いた写真ルポ
これから数回にわけて、福島第一原発事故直近の被災地の報告を書く。
まずは福島県双葉町から始めようと思う。理由は次の通りだ。
1)双葉町は福島第一原発が立地する地元である。
2)直近であるだけに、2011年3月11日に強制避難が始まり、翌12日午後3時半ごろ全町民7134人が町を離れた。それ以来、帰ってきた住民は2020年11月現在もゼロである。
3)町の面積のわずか4%だけが、2020