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<フクシマからの報告>2020年夏  「私はモルモットでいい」        放射能に汚染された村で       9年間土壌や食品を測り続ける     伊藤延由さん(76)の記録

 福島第一原発事故でもっともひどい放射性物質の汚染を浴びた村に住み続け、自分や自宅の被曝量を測る。除染前と除染後を比較する。

 山菜を採り、作物を育て、その線量を測る。土壌の汚染を測る。それをインターネットやSNSで公開する。

 そんな地道な作業を、事故発生時から9年以上続けている人がいる。

 伊藤延由(いとう・のぶよし)さんという。現在76歳。伊藤さんが住んでいるのは、福島県飯舘村という標高500メートルの高原の農村である。福島第一原発から北西に30〜50キロの位置にある。阿武隈山地の山並みのなか、村の南部に伊藤さんが生活する家がある。山をひとつ超えると、かつて強制避難区域になった原発から20キロ圏内に入る。

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 今回は、伊藤さんご本人と、その記録してきたデータを紹介しようと思う。

 なぜなら、新聞テレビなどマスコミは伊藤さんの活動をほとんど(東京新聞だけが例外)報道しないからだ。伊藤さんが住む村の役場はもちろん、福島県も国も、関心を寄せる様子がない。つまりマスコミも行政も、伊藤さんが足で集めたデータを「無視」している。
 
 私が伊藤さんの活動を貴重と考えるのは、事故前の村人の生活形態をそのまま守りながら、データを集めているからだ。山を歩き、キノコや山菜を採り、畑で農作業をして、被曝線量を測る。村人が食べていたものを計測している。つまり「村で生活をそのまま続けると、どれほどの放射線量を体に受けるか」をありのまま計測している。

 6年間の強制避難の間に、村は「除染」が完了したことになっている。

 しかしその「除染」は家や学校、道路など「生活圏」の境界から20メートルの範囲しかされなかった。斜面や農地の畦、水路は除染されていない。村の総面積でいえば15%程度にとどまる。だから、未除染地に足を踏み入れると、私の線量計でも数値が跳ね上がる。

 つまり村の面積の大半(約85%)は除染されないままである。これは飯舘村に限らず「除染が完了したので、強制避難解除」と国が宣言した南相馬市小高区、浪江町、大熊町、富岡町など他の市町村でも似た状況だ。

 一方、国や村が建てた空間線量計測器(モニタリングポスト)は、設置のときに周辺を徹底的に除染したため、線量が低めに出る。国や県、村が公式に発表する数値は、村で生活する人や、私が線量計を持って感じる感覚とはズレている。

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 伊藤さんの測る数値はそのような人為的な操作がない。すべて「抜き打ち検査」である。

 飯舘村は、原発から半径20キロの「強制避難区域」からは「飛び地」である。しかし、同年3月15日に同原発2号機から流れ出した放射性物質の雲(プルーム)が雨で落ち、原発直近と変わらないほど高濃度の汚染が残った。そのため、同4月22日には全村民6500人が強制的に避難させられた。避難は6年も続いた。

 しかし飯舘村は、20キロ圏内と違って、人や車の出入りが禁止されなかった。当時は、半径20キロ以遠にある同村を立ち入り禁止にする根拠になる法律がなかったからだ。結果として、私のようなフリーの記者でも自由に入って取材ができた。伊藤さんも、避難先(福島市)から毎日のように村に戻ることができた。私と伊藤さんの接点ができたのは、そんな事情による。

 原発事故が起きた2011年の夏、私が村を取材に歩き回っていたとき「村に住み続けて、自力で線量を測っている人がいる」と、村人に伊藤さんを紹介してもらった。当時、行政の発表するデータに頼らず、自分で放射線量を計測する人は貴重だった。線量計そのものがまだ希少だったころだ。

 村の中心部をクルマで出発して細い山道をウネウネと30分走ると、伊藤さんの住む集落についた。当時、私の線量計は、毎時2〜3マイクロシーベルトから7〜8まで跳ね上がった。線量の急上昇を知らせる警告音がピーピー鳴った。

 これほど高濃度に汚染された場所に残って、お体が心配ではないのですか。2011年当時、心配する私に、伊藤さんはこう言った。

「私のトシでは、がんになっても寿命のようなものです。私は、自分をモルモットにする覚悟なのです」

 それは、原発事故によって夢を絶たれた伊藤さんの憤りの表明のように、私には思えた。
 
 そうしたいきさつは拙著「福島飯舘村の四季」(双葉社)に書いた。

 そうして伊藤さんと私が知り合って9年になる。村を訪ねたときはできるだけ顔を出す。

 事故後はじめてモリアオガエルが戻ってきた。田んぼ跡の水たまりで産卵している。そんな時、伊藤さんは東京にいる私に連絡をくれた。私がずっと村の自然を写真で記録していることを知っているからだ。そして産卵場所まで案内してくれる。

  今もTwitterには、伊藤さんが測った被曝量や作物の放射線量が日々流れてくる。

 例えば、今年7月20日のツイートはこんなぐあいだ。

飯舘村農民見習い伊藤延由
「·昨日(19日)の被ばく量:4.8μSv。
昨日は終日村内、未除染のブルーベリー畑で約0.5時間、その他は屋内、車内ですごしました」(下はそのスクリーンショット)

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 今回のレポートでは、次のような内容を報告する。

(A)伊藤さん自身の被曝量
(B)除染前後の自宅の放射線量
(C)村の土壌と空間の線量
(D)村で採った山菜の線量
(E)村で採ったキノコの線量
(F)植物が土壌から放射性物質を吸い上げる様子

(記事中の写真は、特記のない限り2020年7月5日、福島県飯舘村で筆者が撮影した)

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