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介護施設の枠にあえておさめない介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」【人生観】

先日、オンラインコミュニティメンバー4家族で拡大家族をテーマに神戸へ家族旅行をしてきました。その旅行で感じたことを振り返っています。

今回は、新長田にある、介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」についてです。

この記事は「『はっぴーの家ろっけん』って聞いたことはあるけどどんなところ?」「介護施設って地域と関わることができるの?」「『自分らしく』最期まで過ごすことって?」などに興味がある方にぜひ読んでいただきたいです。


⚫︎「はっぴーの家ろっけん」とはなんなのか?介護施設の看板を掲げない「なんでもありの居場所」

「はっぴーの家ろっけん」はサ高住(サービス付き高齢者住宅)であり、介護付きシェアハウスであり、シェアオフィスであり、小中高生のたまり場であり、牧場でもある「場」です。

こちらの施設を見学させていただくことも、今回の旅行のメインイベントの一つでした。初日にゲストハウスのオーナーさんに案内していただき、以降はたまに遊びに行かせていただきました(子ども達は「ブタさん見に行く〜」と大喜び)。

私自身、医療職であることから、特別養護老人ホームや、サ高住、有料老人ホームなど色々な種類の高齢者施設を訪問することが多く、個性を出している施設も見学したこともあったので、行く前は正直、「介護付きシェアハウスとして色々な取り組みをしてらっしゃるとはいえ、サ高住の範囲内だろう」と思っていました。

その予想は、一歩中に入るとまっっったく覆されました。
あの素敵なカオスを、なんと表現していいかわかりません。

おじいちゃんおばあちゃんはたくさんいます。でもどなたが入居者なのか、近所からお茶を飲みに来ているのか分かりません。
30〜40代くらいの方もたくさんいます。パソコン作業をされている方も多く、スタッフさんなのか、シェアオフィスとして活用している方なのか分かりません。
小中高校生くらいの子もたくさんいます。もちろん誰の子どもか分かりません。
ミニ豚が走り回っています。
そして、どこから来たのか分からないであろう、私たち複数家族もいます。

「シェアハウスであり、シェアオフィスであり、小中高校生のたまり場であり、ミニ豚が走り回る牧場でもあるカオス空間」

私たちのような外から来た人も不思議と馴染むことができる、「なんでもありの居場所」だな、と感じました。そして、介護施設に甘んじず、なんでもありの居場所であり続けることは大変です。常に「べき」をとっぱらうべく、あえて看板をつけず、枠にはまらない努力をしていると、感じました。

ミニ豚を飼った経緯も「カオスが足りないから」だそうです。このカオスがあることで、「境界があいまいになる」。家族と他人、大人と子ども、女と男、障害者と健常者、どっちでもよくなる、という感覚がありました。

⚫︎「はっぴーの家ろっけん」で起きるカオスな日常。中高生の炊き出しや知らない子とゲストハウスに帰る

今回滞在中何回かお邪魔しただけでも「カオス」と「境界がなくなる」ことを数多く経験させてもらいました。エピソードをいくつか紹介します。

エピソード①とにかく生き生きしている90歳

はっぴーの家のひとつのテーブルで、お茶を飲みながらだべっているおばあちゃん3人組。近所にある、行きつけの水餃子が美味しい中華を紹介してくれました。
「⚪︎⚪︎さん来週93歳だっけ?見えないね、若いねー」
「違うわよ。90歳!どうせ3歳間違えるなら若く間違えてよね。87歳に!」
と若々しい!頭の回転も早い!
そして初日以降、はっぴーの家ではお会いできず、入居しているのではなく、近所から遊びに来ているようでした。
入居者さんと近所の方との境界のなさ。日常の中に溶け込んでいると感じました。

エピソード②中高生の炊き出し?!

幸運にも滞在中に、はっぴーの家で中高生主催の炊き出しがあり、私たちも美味しいハヤシライスをいただくことができました。
最初ゲストハウスのオーナーさんが、「今日中高生がはっぴーの家でハヤシライスの炊き出しするからよかったら食べていってくださいー」と言ってくださったのですが、私たちの頭の中は「??」「はっぴーの家は介護施設なんだよね?なぜ中高生?しかも炊き出し?」となりました。

経緯としては、学校に行っていない中高生が空き地で自分たちの家庭菜園をもち、水道代や器具なども自分たちで運営しているとのことで、そのための資金集めの炊き出しでした。農業だけでなく、金銭管理も勉強し、自治体の補助金の申請なども自分たちで行っており、学校では学べない生きる力を持っていました。

炊き出しには、近所で子どもを育てるママさん達も食べに来ており、9ヶ月の子を抱っこ紐で揺らしながら「寝ないー泣」なんて言いながらだべる、憩いの場になっていました。

はっぴーの家のガレージでみんなでお米が炊けるのを待ち食べた、中3の子が頑張って大量に作ってくれたハヤシライスは絶品でした。みんなで食べたこともあり、普段あまり食べない子どもも、完食。「みんなで食べるとおいしいね」と連呼していました。

エピソード③「きみ、どこの子?」とゲストハウスに帰る

はっぴーの家のガレージで自分たちの子どもを遊ばせているとき、中学生くらいの子が一緒に遊び始めてくれました。私たちはゲストハウスに帰ることにした際、その子もすごーく自然に一緒に来て、そのまま家の中でも遊び始めました。少し変わった雰囲気の子でもあり、家に着いてから
「そういえば名前なんていうの?どこに住んでるの?」
「⚪︎⚪︎だよー。はっぴーの家に住んでる」
という会話をして、「はっぴーの家界隈の子ならなんでもいいか」と思う自分がいました。
ここでも、家族とか他人とかが「なんでもよくなる」感覚を体感しました。

滞在中何度も、「境界があいまい」になり、家族と他人とか、大人と子どもとか、女と男とか、障害者と健常者とか。所属や属性が「なんでもよくなる」感覚を体感できました。

⚫︎代表の方の想い。「自分たちのエゴを詰め込んだ居場所」を作りたかった

今回直接、代表の方とお話する機会はありませんでした。メディア等でもよく発信されている方ですので、実際感じた感覚の背景となることを抜粋させていただきます。

『“違和感”は3つ以上重なると、どうでもよくなる』ということ。集団の中に一つだけ違和感があると排除しようとするけれど、3つ重なると『多様性』として認めることができる。無理して理解し合わなくていいし、同じ空間で別々のことをやっていることがダイバーシティなんじゃないかと。ここは、『違和感』な人がたくさんいるけど、それぞれの“居場所”でもあるんです」

2019.1.16. HELPMAN JAPAN記事より編集抜粋

「子育ても介護も諦めたくなかったから、自分たちのエゴを詰め込んだ「シェアハウス・子育ての場、介護施設」を作りたかった。子どもたちにとっても日常の登場人物を増やす、理不尽に怒られる経験をしてもらう。」
「エゴの社会化」

2023年須磨寺小池陽人の随想録YouTubeやオンラインイベントより編集抜粋

「大家族の方が子育ても介護もしやすいと思います。でも、ここ数十年で日本が進めてきたことは核家族化なんです。そんな中で、今さら大家族へと戻すのも無理なんですよね。じゃあどうしようかと考えたときに、『遠くのシンセキより近くのタニン』というコンセプトが生まれたんです。
…信頼できる家族にとらわれ過ぎずに、『暮らしのコミュニティ』をちゃんと豊かにしていくことが大事なのでは。」

2021.10.1. 他力本願.net 記事より編集抜粋

他にもたくさん紹介したいエピソードや金言がありましたが、このあたりで。素晴らしいビジョンを持ち、それを自然体で体現されていると思いました。

⚫︎「わたし」が感じたこと。「自分らしく」生きるカタチの一つの解を見た

最後に私自身に強く響いたことを書きます。私の夢は「自分らしくいられる空間である『おうち』」を作ることです。それは、コミュニティかもしれないし、物理的な場所かもしれないし、価値観や人生観を掘り下げることかもしれず、まだあまり明確にできていません。

今回、「はっぴーの家ろっけん」さんに行き、その解のひとつだなと思いました。

今まで私は、「『自分らしく生きる』とはどんな状態なのか?」に対して、「status(年をとったり、病気で思うように身体を動かせなかったり、子育てや介護で思うように時間が使えなかったり、発達特性が環境と合わなかったり)にとらわれず、心地よくいられる、自分の能力を発揮できること」だと思っていました。

そのため、statusにとらわれず「自分らしく生きる」ことを支援するために、箱を作って工夫を凝らす必要がある、とも考えていましたし、「『自分らしく』を突き詰めなければいけない」とまで思っていた気がします。

でも、はっぴーの家の“違和感”、カオスを体感して、「statusに合わせた工夫もいらないし、『自分らしく』も無理に突き詰めなくてもいい。ただ存在できる場所がいい」と思いました。「ただの自分でありたい」人が、それを実現できる、そういった人が集まることができる仕組みをこれからも考えたいと思います。

最後まとまりがなくなりましたが、
今回「カオス」と「境界があいまいになる」、幸せを見つけました。

この不思議なカオスは、見てみないと分からないと思います。気になる方は、一度訪れてみてくださいね。

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