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ジャン=ピエール・ジュネ「アメリ」(2001)122分

 幸せな気持ちになりたくて、久々に「アメリ」を見た。オープニングタイトルのアメリの幼少時からして、クセのある映像が続く。実は見終わった時、長く感じられて90分くらいにしてくれと正直思った。でも一日経ってみると、なかなか良い映画だったと感じられるのだから、映画も咀嚼に時間がかかるということか。

 まず映像は全体的に黄色みがかかっていて、ちょっとセピア風。どこか懐かしいようなのどかで不思議な雰囲気を醸しだす。もちろんモンマルトルの街も美しい(今は中東系やインド系の裁縫関係の店が多いエリアという印象だけど)。効果的なのはアメリをはじめ、登場人物のアップの映像が多用されることだ。あるいはアップからのズームアウト。ただものではない一人ひとりの心象風景が、少し困惑気味に表現されている。

 他人と交わることが苦手で、空想の世界に生きてきたアメリが、あることをきっかけに外の世界に働きかけるようになる。ひとり旅を「自分と2人で旅をする」と表現する料理家がいるが、空想好きのアメリは時にカメラ目線で観客に話しかける。それはもう一人の自分に話しかけているのだが、いつしか観客はアメリのドヤ顔(アップ)を受け止める共犯者、もとい「もう一人のアメリ」になっている
 そしてアメリの周りにいる一癖も二癖もある登場人物たち。誰しも心の中に、他人には語らない個人的な思い出やこだわりを持っているものだが、映画ではアメリとそういった人々との出会いから、アメリがひとり一人の想いを解きほぐしていく様を見せていく。一人ひとりの伏線のエピソードを、一つ一つ丁寧に拾っていく映画作りのセオリー通り(全部必要なのか、という疑問は残るが)。

 音楽もアコーディオンののんびりした曲調で展開するが、肝心のところではその旋律がピアノに変わる。また大事な場面で、ここぞとばかりに使われる加工映像も効果的だ。

 上の予告編1:08のアメリの映像は印象的だった。 

 大昔にパリのラデュレのカフェで、入ってきたパリジェンヌがいきなりモデルのようにカッコつけてターンを決め、びっくりしたことがある。良くも悪くもこのような自意識過剰さが私のパリジャンのイメージである。自分大好きでなにがいけないのか(笑)。

 最近、ストーリー物に慣れてしまって、この種の小さなエピソードの積み重ね風の映画がつらい傾向にあるが、この作品を見てエリック・ロメールの「パリのランデブー」という名作を思い出した。

 冒頭0:05に出てくるアコーディオン弾きの「A Paris des rendez-vous」という曲が頭から離れない。これは見返さなければならないな。

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