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一日一頁:遠藤周作「死を前にした態度」、『変わるものと変わらぬこの』文春文庫、1993年。

さやさやと再びページをめくっている。

最近、死について考えることが多いが、遠藤周作さんのいう態度は普遍的なあり方ではないだろうか。勇敢でも臆病でもなく。

時間がなくても1日1頁でも読まないことには進まない。

 断っておくが私は毅然とした死に方を「無理している」と批判しているのではない。毅然とした死に方ができるのは、その人の思想によるというより、持ち前の性格によるものだと思っているから、尊敬はするが、万人そうあるべきだとも考えない。
 聖書のなかのイエスは必ずしも毅然としては死ななかった。
 むしろ彼は「主よ、主よ、なんで我を見棄てたまひし」と叫び、死の苦しみ、死の辛さを味わった。
 しかし我々が心うたれるのはイエスが臨終の時、次の言葉を口にしたからである。
 「わがすべてを紙に委ねたてまつる」
 私が死ぬ時もこの気持ちには結局なるのだろう。
 「すべてを神に委ねたてまつる」とは自分の立派な部分だけでなく、弱さ、醜さすべてを神という大きなもの委(まか)せることである。椎名(椎名麟三…引用者補足)さんが、
 「これでジタバタして死ねますよ」
 と言ったのもそういう意味だったに違いない。
 だから私はイエスと彼のこの言葉に無限の信頼感を見いだすのだ。

遠藤周作「死を前にした態度」、『変わるものと変わらぬこの』文春文庫、1993年、156ー157頁。

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氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。