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一日一頁:藤原辰史『給食の歴史』岩波新書、2018年。
「なんだか申し訳ない気持ちになる。食べなくてはならない。だけど食べられない。早くこの苦しい時間が過ぎてくれれば」という思いを抱くのは著者だけではない。
しかし給食そのものが「境界的なものである」以上、複雑な感情がつきまとうのではあるまいか。とはいえ、給食の歴史につきまとう「苦しみ、痛み、深い」といった感覚を引き受けなくてはならない。
学校と家庭、教育と厚生、資本主義と共産主義または社会主義、文部省と厚生省と農林省、休息と指導。どちらにも転びうる不思議な領域の事象であった。これはおよそ、食という領域が全人間活動のなかで有している意味と似ている。口は食べるためにも発話するためにも用いられるからだ。ランチ・ミーティングという言葉があるように、昼食はとりわけ仕事と休息の間に位置する不思議なものであった。
給食の歴史を眺めると学校と家庭、福祉と教育のはざまにある曖昧さが、縦割り行政を打破し、教育の理念そのものを変えていく潜在的能力を有していたが、他方で、教師や学校栄養職員や調理員を忙しくし、疲弊させてもいる。国や地方自治体の財政難は給食に資金を投じることを渋る。
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