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一日一頁:J.L.ボルヘス(木村榮一訳)『語るボルヘス』岩波文庫、2017年。
「新聞は忘れられるため」読まれるのに対して「書物は記憶されるために」読まれるとボルヘスはいう。
時間がなくても1日1頁でも読まないことには進まない。
私はこれまで人生の一部を文学に捧げてきました。その私の考えでは、読書というのは楽しみを得るためのひとつの方法なのです。それよりも劣りますが、もうひとつの方法は詩を書くこと、つまり創作と呼んでいるものがそれです。ただ、これはわれわれがそれまでに読んだものの忘却と記憶とが混ざり合ったものなのです。
心地よいものだけを読むこと。書物は幸せをもたらすものでなければならない。この二つの点でエマソンはモンテーニュと考えを同じくしています。われわれは文学に多くのものを負っています。私はこれまで新しいものを読むよりも、むしろ再読しようとしてきました。新しいものに目を向けるよりも、何度も読み返す方が私には大切なことに思えるのです。ただ、読み返すためには、一度は読んでいなければなりません。書物拝というのは、そのようなものなのです。もっと強い思い入れを込めて語ることもできるのでしょうが、私は自分の感情を表すのが苦手です。私はこれまであなた方の一人ひとりに向かって打ち明け話でもするように話してきました。皆さんにではなく、一人ひとりの方に向かってです。それというのも、皆さんというのは抽象名詞でしかなく、本当に存在しているのは一人ひとりの方なのですから。
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