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カンブリア紀はすべての動物が鬱だったかもしれない

少なくとも、最初のうつはカンブリア紀に始まったのかもとされています。やがて忘れる能力を獲得した生物が優勢になっていったのかもということが「動物意識の誕生」に載っていて面白いので紹介します。

おそらくカンブリア紀の動物は、最初の神経衰弱に直面しただろう。つまり、主観的に感じるカンブリア紀の動物は神経が参ってしまって、偏執病や心的外傷後ストレス障害に相当する症状を患い、不安に満ちた一生を送っただろう。記憶の持続時間や範囲に制限を課し、能動的な忘却を促し、覚醒を制御したり制約したりする、細胞や神経ホルモン、免疫の段階でのメカニズムは、動物の精神的健康と身体的健康の両方にとって選択的にきわめて有効となったはずだ。

「動物意識の誕生」(下)p.233

カンブリア紀以前には、生き物はお互いを捕食するということがなくて、じっとしていたけれど、カンブリア爆発によって突然、動物は動き始め互いを狙う果てしのない軍拡競争が始まった。
この時に、動物は捕食から逃れるための学習と行動のシステムを獲得した。
けれど、この学習能力が悪い影響ももたらした。学習は過学習(過剰な学習)になることがある。過学習が続くとどんな動きも敵の影に見えてしまいストレスも続くので、不安もやばい。全ての音や光・匂い全ての刺激が敵対する何かのシグナルに見えてくる。
この過学習への対抗手段として「忘れる」仕組みが生み出されたのではないかとされている。

忘却は柔軟な学習の基本的な設計特性である。脳空間は(とくにカンブリア紀の動物では)限られており、新しい学習が起こると使いまわされるからだ。だが記憶増進症や実験的介入が物語るように、こうした設計上の拘束を超えた意味が忘却にはある。・・・実のところ動物が学習する際には、能動的な記憶と能動的な忘却の両方のメカニズムが同時に動員される。そして、これは、効率的な学習を起こすには強烈な選択・排除プロセスが必要であることを反映しているのである。

「動物意識の誕生」(下)p.232

まず、脳空間が狭いので不要な記憶を捨てたい、というのが1つ目の理由。2つ目は、意味のある記憶を残すために学習した内容をその直後に忘れるということが同時に起きていると言っています。無意味な内容・役に立たない内容を忘れて、意味のある記憶だけ残したい。
これをもう少し細かくいうと、動物が何かを覚えているというのは実際にあった出来事をそのままに写真や動画のようにコピーしているのではなくて、別の形に脳がjpegとかpngみたいな「圧縮形式」で保存し直しているということを言っています。(詳細は、「動物意識の誕生」(上)のp.296以降に書いてある、記憶の形成のプロセス「符号化・保持・読み出し」の箇所。)
つまり、元の出来事を忘れつつも何かの記号やパターンのようなものに変換をして保管して、扱いやすくしてくれている。そうすれば、全ての刺激に反応しなくても良くて、特定のザワザワした感覚だけを残すだけで良くなり、普段は直感が湧き上がらない限りぼーっとしていてOKになる。
そして、こうした「良い忘却」を起こすために「睡眠」が重要だったかもしれないことが書かれています。

睡眠は連合学習が見られる動物でとりわけ重要だったのかもしれない。睡眠は多機能であるが、記憶の固定化や無関係な情報の忘却に重要な役割があること、そして睡眠障害が学習障害を引き起こすことを示す証拠が、脊椎動物と無脊椎動物の両方の研究から増えつつある。

「動物意識の誕生」(下)p.242

つまり、あまりにもストレスの高かったカンブリア紀の動物たちは、情報をそのまま扱うのをやめて、何かの「パターン」で認知しようとし始めた。
そして、その「パターン」を生み出すための機能はどうも「睡眠」に備わっているらしい、ということですね。
私たちが、誰かを敵と思ってしまうのも元を辿るとカンブリア紀の果てしのない恐怖と不安が起源なのかもしれません。

今日は以上です。

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