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みちみち手帳への近道2

こんにちは。手帳めくリエーターのharukaです。

昨年、こんなnoteを書きました。

みちみち手帳への近道。なんかラップみたいなタイトルで好きなの。(韻踏みタイトル)

今日はこのお話の続きというか、手帳に文字を沢山書きたいけどなんかいまいちなぁ〜!みたいな方のヒントになるようなnoteです。

「集める」という意識をもつ

集めるって、楽しくない?笑

ゆるキーホルダー集め

例えばポイントを集めるとか、好きなパン屋さんのシールを集めるとか、好きな作家さんの作品を集めるとか

ある条件のものを見つけたらとにかく「集める」って、すごい楽しいしワクワクするようなことが多い気がする。

「集めるぞぉ」と決めることで、その対象が見つかりやすくなるし、見つかったらちょっと気持ちが上がるからすごく良い。

この意識を手帳に当てこむ?入れ込む?当てはめる?ことで、手帳はあっっっという間にみちみちになります。ぱんっぱんよもう。

頭の中のことを集めてる感じ

クロワッサン食べたいな〜って思った日の日めくりカレンダーがクロワッサンだったというプチシンクロに、ちょっと嬉しくなった日のページ。

頭の中って、いろんな考えとか音とか香りとか言葉で言い表せない何かがぷかぷか〜とたくさん浮いてるよね。

心だと、気持ちとか想いとかが浮いてたり。(頭と心の区別は感覚でしかないけど)

そういう浮遊してるなにかのカケラたちを、私は手帳に「集めよう」と決めているので、いちいち「何を書こうかな」と考えなくてもどんどん出てきます。

「書こう!」って力むと、便秘の時みたいに逆にそれが出てこなくなるからやめた方が良いんだと思うの。(例えのチョイス)

うーん。頭の中のことを手帳やノートに集めようと思っても、何を書くか考えちゃう〜って場合もあるのかな?

まずその「考えてしまう」について考えるかもな、私だったら。

考えてしまう→「考える」をあまり良いことだと思ってないのか?→綺麗に書きたいという気持ちが出てくる→誰かに見せるでもないのに?

みたいなね。例えば。

手帳を書くことは自分を知ることでもあると思うので、そういうジャーナリング的な使い方ができると無限に手が動くのかもしれん。自分を知ることに終わりはないから。

とにかく「これ集めよ!」て決めると、ほんっとどんどん書けるから良いです。

もし集めることがすぐ見つからない方は、このnoteを読んで思った素直な感想や音を、手帳に集めてみてね〜。

メモをとる!今すぐ!

メモについても、何回かnoteで触れてきました。

カフェでメモ

常にメモをとれるようにするにはどうしたら?とか、身体にメモ貼り付けてみるとか、なんとかかんとか。

お風呂にメモ帳持ち込んでみたりもしたなぁ。
濡れて書けんくなるに決まってるから1日でやめたけどね!笑

なんでお風呂かと言うと、私の中で面白いアイデアが生まれたり、なんか「はっ!」てなるのがお風呂なことが多いので、それを書き留めておきたい精神が強すぎて、お風呂でメモをとれないものか?と思ったからです。

最近は、お風呂にスマホを持ち込んでメモしてます。

「え〜お風呂にまでスマホ〜?お風呂くらいデジタルデトックスしなよ〜」みたいな声がどこかから聞こえてきそうだけど(それは私の声だよ)

スマホは毒でもなんでもないし情報だって良い情報を入れたり出したりする分には何にも苦しくないので、お風呂だろうがどこだろうが見ちゃうよ!

私のスマホからは良い電波が出てるから大丈夫、いつもありがとねスマホ、って思いながらお風呂でもよしよししているよ。(なんかこわい)

話がそれたね、元に戻そう。

そう、そういう「今メモしたいんだけど〜」って気持ちの時にすぐメモできる人は、手帳やノートがみちみちになる。

逆に「書きたいことがあったんだけど忘れちゃって書けませんオホホ」みたいな人は、悩みぶってる人もいるけど、それ悩みなんかじゃないよね、といつも思う。(やや辛辣)

人って悩んでますぶるの好きだから、大して悩んでなくても悩んでます風に言ったりするよなー!と、月イチくらい、思う。笑

書かなくても生きていけるし、忘れても良いことだから忘れるだけで、正直私が手帳に書いてることも忘れていいことというか。

忘れるために書いてるみたいなところもあるし、それでいて忘れないために書いてるみたいなところもある。(哲学ぅ〜)

でもそんな忘れちゃうかもしれない小さなことを、未来の自分に教えてあげられるのはこの世で私しかいないから、書くんだよね〜!(哲学ぅ〜!)(哲学なの?笑)(言いたいだけ)

夕日に照らされる紙面

ごにょごにょしてる暇があったら、手を動かす!というただそれだけのことで、手帳は文字だらけになります。

気持ちをベースに書く

これは特に今年テーマにしている「感じる」から来ていて、気持ちの動きを書くってことを意識するようになってから、さらに手帳が生き生きしててとても良い。(わしゃわしゃ〜)

日めくりかわいっ

手帳書く文化がない人にみちみちの手帳を見せた時に聞かれる質問ランキング1位は「そんなに毎日書くことあるんですか?」です。これ手帳書く人は結構言われてきてるんじゃないかね。

この「そんなに毎日書くことあるんですか?」を深掘りすると面白くて、おそらく

・手帳=スケジュール帳→たくさん書くことがある=予定がぎっしり→予定ない日とかないんですか?の意
・書くこと=行動ベース、という思い込み

から来ている質問だと思うんだけど、確かに行動ベースでの記録がメインだと、家にいる日は書くことがないとか休みの日は書く量が減るとかいうことが起きるんだろうけど

私の場合は行動+気持ちや頭の中のこと、夢のこと、妄想まで書くので

家にいようが寝てようが何もしてなかろうが、生きていて意識があれば書くことがある。必ずある。

私にとってはもしかしたら、書くことがない=死ぬ時、なのかもしれない。なんなら死後の世界でも書いてたいけどね。

「書きたい」という欲求が私を生かしてくれてるのかもしれない、というnoteからの気づき。おもしろ!!!(面白いの私だけ?笑)

「気持ち」のお話に戻すと、生きてると気持ちってか気分みたいなのって上がり下がりするよね。

あっ今テンション上がってる!あ、下がった!っていうのをなんとな〜く覚えておいて(これもスマホにメモしたりして)

それを手帳に書くと、自分がどういう時に上がって、どういう時に下がるのかがわかるので、本当に自己分析になります。

気分を色で表してみたり

私の場合は毎日おんなじことするとつまんなくなって続かないので、出かけた日は色で気分を表現してみたりとか

ダイビング記録

じっくり書きたいときは文章にしたりとか、いろいろ変えてます。

ここもさっきの「集める」と同じく、「私の気持ちをしっかりみてあげるために気持ちを書こう」と決めると、その変化に気づくように意識がむくので、その変化を味わえる文化がだんだんついてくるみたいです。(先月やってみてわかったこと)

これ書くとほんと面白いし、上がったり下がったりはするけど、そこに一喜一憂しなくなるというか、なんていうか世間でいうところの「俯瞰で見る」みたいなことができるようになるのかもしれん。

私語で言うと、心の幽体離脱みたいな感じね。身体はそこにあるんだけど、心はふぁ〜って上から見てる感じ。

とにかく気持ち書くの楽しいし、言い表せない気持ちとかもあるのがちょっと人間ぽくて良いなぁとか思ったり、気づきも生まれるので良いよ。

海と太陽

海と太陽を眺めながら、彼らのおかげで今私は生きているのだな・・・としみじみありがたい気持ちになれた瞬間の写真。

この気持ちも、しっかり手帳に書き留めておきたいね。

そんなことを思った日でした。
読んでくれた人、ありがとう!!!

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