「タスキ彼方/額賀澪」を読んで感じたこと
きっかけはボストンマラソンの会場で、新米駅伝監督成竹と学生最強ランナー神原が、古びた日記を受け取ったことから。
戦時中、戦後、そして、現代と時間軸がクロスしながら箱根駅伝の物語が綴られています。
「最後の駅伝」昭和15年1月の箱根駅伝は衝撃でした。
登りを得意とし前年は5区を走ったランナーがその年は1区を走ったのは走り終えたあと出征のためにすぐに地元に帰って入営するためだったということ。
「最後に走れて良かった」と呟き、目頭を抑え「もう走ることもないな」呟いたこと。
その後は、戦時下で国道1号が使えないとの理由で箱根駅伝は中止となりました。
箱根駅伝を取り上げられた悔しさ虚しさから復活に奔走した人たちのなりふり構わないがむしゃらな頑張りがあり、箱根駅伝の代わりに青梅駅伝が開催されました。
そして、昭和18年1月には、更に軍部への必死のアピールとしてスタート地点を靖国神社とした箱根駅伝が復活するのです。
フィクションではあるけれども史実には忠実らしいです。
箱根駅伝は今や日本のお正月の風物詩ともなるほど当たり前の存在になっています。だけど、それは必死に足掻いてきた先人達の魂のタスキリレーのおかげなんですね。
異常な熱狂を含め多くの学生ランナーたちが箱根にかける想い自体がいまいち理解できなかった神原が、この壮大な歴史に触れて感じいったのも気持ちよかったです。
「走ってあげましょうか、箱根駅伝」
この軽い言葉、いいなぁ〜。
読み終わって気づいたのですが、これって、「タスキメシ」から続く駅伝がテーマの番外編だったようです。
額賀澪さん、箱根駅伝好きすぎです♡
箱根駅伝好きによる、箱根駅伝好きのための、箱根駅伝好きの物語です。
箱根駅伝好きの方はもれなく手に取って欲しい!
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