どうにかして自分の頭の中の苦しさをガリガリと掴み出して『文章』に置き換えないと、ホントに頭が爆発する… そんなシャレにならない切迫した状態に襲われることが、ずいぶん少なくなった。 なので、noteを開いて必死に文章を打ち込む、という作業から遠のいていた。 日記帳にその日の小さな自分の物語を記録したり、ときどき誰かに長い手紙を書いたり… ということは今でも変わらず続けているけれど。 不特定の人が読む可能性のある場所にわざわざ文章を送り出さなくても、どうにか凌いでいける…と
ふと強烈に死にたくなってしまう。 そんな衝動に苦しんでいた頃のことを、もうあまり思い出せなくなっている。 本当にそんなに苦しんだ過去が私にあったっけ?確かにあったはずなのに。 不思議なほどに記憶が薄まっている。 思い出してももうそれほど胸がぎゅうううっと痛くなることもない。 そんなこともあったっけ?あったはずだよね?というぼんやりとした記憶になっている。 過去記事にも書いたけど、私は本気で幼いわが子を道連れにしようとした。 わが子に大きな心の傷を負わせてしまった。 わが
息子が用事で出掛ける際に、昨夜書いていた手紙の投函をお願いした。 ついでに切手も買ってきてねと頼む。 昨夜のように、なんだかすごく手紙を書きたくなるときがある。 まとめて何通も書くこともあるし、場合によってはすごく長い手紙になってしまうので、 いろいろな種類の切手をストックしている。 以前の82円切手をまだ使いきっていないので、追加分の2円切手もけっこう使う。 便箋の枚数が増えると10切手を足さなくてはならないといけないときもある。 120円、140円の切手もストックして
台風9号の吹き返しの風がすごいよ。部屋が揺れてるよ。 そんな言葉を今夜は何度も書いた。 ギリギリ暴風域に入るか入らないかだったのだけど、思った以上に風が強くて少し怖い夜だった。 古い家なので、家の中でも風が走る。部屋のカーテンはかなり大きく揺れたりする。 ときどき、無性に手紙を書きたくなるときがある。 今どきのLINEやメールでもまったくかまわないし、日頃はLINEを多用しているのだけど。 でも、なんとなく自分でペンや万年筆を持って字を書きたくなるときがある。 返事は
誰かと競ったり、点数がついたり、勝ち負けがついたりするものではないのだけど。 私の人生、なんだかゲームみたいだったなと思う。(現在進行形) ゲームとは言っても、私はゲーム機やスマホでのゲームはまったくやらないので、流行りのゲームなど全く知らない。 なにかがひどくもつれて、絡まりあって、すごく苦しい状態で生きてきた。 がんじがらめの檻の中に閉じ込められたような閉塞感だった。 なにがそんなに絡まりあっているのか。 手探りしながら少しずつ少しずつ解きほぐして……。 謎解きゲ
基本的に絵心というものを持ち合わせていない。 今日は気持ちもどんよりしてウツウツとして、さらには体調も冴えずほとんど動けなかった。 ちょっと気分転換になったりしないかなと、お絵描きアプリみたいなもので自分の気持ちを色に表してみたりした。 今の自分の気持ちを色で表せたらいいのにな、とよく思う。 でも、自分の気持ちを色に表すって、思った以上に難しい。 (もともと超絶アナログ人間で、アプリも全然使いこなせないということもあるのだけど) 前回のnoteで母のことについて書いた。
幼い頃、私がメソメソ泣いていると露骨にイヤな顔をする人だった。私の母。 悲しい気持ちになってるからメソメソしているのだけど、 母から突き付けられる眉間にシワを寄せた顔のほうが、自分の悲しい気持ちよりもさらに痛い。 なので、『自分の悲しい気持ち』を優先するよりも『なんでもないふり』をすることを無意識に選ぶようになった。 たぶん、もともと仮面をかぶることが上手な子ではなかったはず。私はそんな器用な子ではなかった。 とにかくビビリ。人が怖い。 幼稚園の教室でやんちゃな男の子た
何かイヤなことがあったときに、ちょっと帰りたくなる実家のような場所だなと思う。私にとってのnote。 あらためまして。 自分の中で何かが一段落したように感じるので、名前を変えました。 ずいぶん穏やかな日々の中にいるのだけど、それでもやはり胸の中にジカッと強い痛みが走ったり、 ザワザワとした黒い風が頭の中を吹き荒れて眠れなくなったりすることが起きる。 だいたいそういう痛い出来事は、家の中で起きる。 強い痛みが走るのは、ほぼ家族の揉めごと。 私には、何かあったときに逃げ込
生活の一部のようになっていたInstagramから少し離れてみた。 イヤになったとか、疲れたというわけではなかったけど。 なにかが自分の中で大きく一段落した気がした。 子どもの頃、超ビビリ・人見知り・人が怖い、と、三拍子揃っていた私。(今では嘘のよう!) もともと誰かに向けて「言葉」を発することが、とても苦手な子だった。 物心ついた頃から私は母の愚痴の聞き役になってしまっていて、自分の言葉を発する機会をますます失っていたらしい。 母が見せるのはいつも眉間にシワを寄せた顔な
「もう…!スズメバチの巣を家の中に持ってきとるよ!」と母が嘆いた。 いつものように眉間にシワを寄せて。 家の裏手にスズメバチが作っていた巣。 植木の剪定に来てもらった植木屋さんと一緒に息子が駆除したそう。 空になった巣を息子が家の中に持ち込んだらしい。 「えー!潜んでいたスズメバチが夜になってブンブン飛び回ったりせんの!?」と その実物を見ていなかった私は息子に聞いた。 私の頭の中に浮かんだのは、生のスズメバチの巣がそのままポンと置かれている図。 自分がスズメバチに刺
今日も息子から送られてきた動画でピアノ曲を聞いている。 昨日と同じ私の知らないピアノ弾きさんの、おしゃれなアレンジ曲。 今日はショパン。 聞く人を心地よくさせる仕上がり。自由そのもの。 私が「上手だ」なんて言葉を使うのが失礼なような。 ただ、私には 型どおり、教科書とおりの音楽が耳になじむ。 つくづく、「枠からはみ出せない自分」に苦笑する。 いろいろと抱え込んでいた重い問題や息苦しさ、生きづらさから いつの間にか解放されていた。 その分、目標を失ってなんだかぽっかりと
何重にも厳重なロックをしたはずなのに、ふとした折に噴き出てくる忌まわしい記憶。 その『記憶』にモレナクくっついてきていたのは、体を貫く耐え難い『痛み』。 そうか…。 『記憶』と『痛み』が連動しているのがつらかったんだ。 そうだったんだ…。 耐え難い痛みは、よけいなオマケみたいなものだったらしい。 ようやく『痛み』と『記憶』が切り離されてくれたらしい。 『記憶』がつらいのだと思い込んでいた。 だから、思い出すのがツラいのだと勘違いしていた。 ツラいのは、記憶そのもので
LINEの着信に気付いて開いてみると、送られてきた動画からピアノの音が流れ出す。 とても洗練された第2楽章。 その美しい旋律は有名で、第2楽章のみ演奏されることも多い。 私は知らない方だけど、 有名なピアノ弾きの方がアレンジして演奏されているらしい。 その演奏は、『悲愴』というより『自由』だった。 原曲とはずいぶん感じが違うしベートーヴェンらしくないけど、 おしゃれなカフェバーにでもいるかのような気にさせてくれる。 陰鬱な日常を塗りつぶしてくれるような『キラキラ』。
とくに誰かの役に立てるような素材もない。 病気のために仕事も辞めざるを得なかったし、今も稼いでないし、 まったくもって生産性がない。 『残せる』ような作品も、当然ない。 肩書きもなんにもない。 誇れるような過去も経歴もない。 ナニモノでもない。 どこにもナニにも所属していない。 なーんにもない。つくづく。私って。 でも、 だからなんだろう? それがどうしたというんだろう? なにか持ってるから誇れる私? なにか生み出すから尊い私? 稼いでいるから価値のある私?
書こうかな。今日はやめておこうかな。 書くとしたら、たぶんまた、自分の記憶の中から苦しかった部分を引っ張り出すことになる。 いつもきちんとした構成など全く考えずに衝動的に書き出してしまうから、 着地点がどんな場所になるのか自分でも見当がつかない。 (読んでくださる方の読みやすさなんて考える余裕もないから申し訳ないなぁと思う) 苦しい記憶を頭の中から引っ搔き出すのが、難しくなっている今日この頃。 それは私が穏やかな日常の中にいるアカシ。とてもメデタイ。 『記憶が薄れていく
前回のnoteを書いてみて、『死』に向き合うことはラクではないのだなぁとつくづく感じた。 本当に疲れた。寿命を磨り減らした気がする。 メンタルに問題を抱えている人には、『死』について深く考えることをオススメしたくない。 そういう私も双極性障害(躁うつ病)を抱えているから、メンタル面は気をつけなくちゃいけない人間なのだけど。 そんな私が、前回に引き続き『死にたがっていた自分』のことを書こうとしている。 いやはや、とんだ自殺行為。 過去、「死にたい」という強烈な発作に私はた