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第2楽章。私には手の届かない『キラキラ』
LINEの着信に気付いて開いてみると、送られてきた動画からピアノの音が流れ出す。
とても洗練された第2楽章。
その美しい旋律は有名で、第2楽章のみ演奏されることも多い。
私は知らない方だけど、
有名なピアノ弾きの方がアレンジして演奏されているらしい。
その演奏は、『悲愴』というより『自由』だった。
原曲とはずいぶん感じが違うしベートーヴェンらしくないけど、
おしゃれなカフェバーにでもいるかのような気にさせてくれる。
陰鬱な日常を塗りつぶしてくれるような『キラキラ』。
私の人生には、原曲の『悲愴』が似合う。
それも、美しい第2楽章ではなく、重く陰鬱でゴツゴツとした第1楽章。
器用な私にはなれそうにもない。
たぶんこれから先もとてつもない不器用さと不自由の中で
人生を進めていくことになるだろう。
原曲の『悲愴』を、頭の中で無意識に再生していたらしい。
(うまく思い出せるのは冒頭部分のみだけど)
私の中のなにに触れたのかわからないけど、
ぶわっと涙が込み上げてきた。
その涙は、
手に入りそうにない『キラキラ』への憧れ?
それとも、手に入らないものへの諦め?
ときどき息子が気に入った音楽を送ってくれる。
今夜は原曲を聞きたくなった。
けっきょく自分で検索してキラキラしてない『悲愴』を横で流している。
たくさん積んだ苦しい経験を美しい音楽へと変換することは私にはできないけど、
積んできた経験を、私一人の小さな物語としてそのまま持ち続けていいと思う。
キラキラにも、自由にも、憧れがないわけではない。
でも、手に届きそうにないものを見上げるのではなく、
私は私の紡いできた小さな小さな物語を大事に抱えて生きていこう。