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8日目:旧ソ連の名残を求めて

デスクワーク>フィールドワーク

水曜日となったこの日は外ではほとんど目立った活動はなし。今日は午後から日本でのオンラインの授業を1つやらなければならないということだったので、外ではほとんど過ごさず。

早朝、夜明けのカスピ海に面した街ということで写真を撮ろうとして外に出たくらいでした。

早朝まだ暗い中、『殉死者の広場』を目指しました。丘の上にあるところで、内戦等々で殉死した人たちのお墓になっているところでもあります。地図的にはこのあたり。

写真の風景とも合致しているのがお分かりになるかと存じます。

とりあえず、バクー市内遠景の写真はもっておいて損はしないと思うので。なにかにつけて使うことができますからね。

丘を徒歩で登っていったのですが、これほど自分が体力を消耗するとは…と己の加齢を恨みつつ、なんとか登って降りてきました。宿への帰投は朝8時前後。地元のおこさまたちの通学時間と重なったようで、親と手を繋いで通学するお子様たちを、警官が出動して守っているのが印象的でした。

旧ラテン文字、キリル文字を求めて

朝は例によって事務仕事などしましたが、飽きたタイミングで念願の古書店に向かってみます。今回、実はそのお目当ての古書店に近いところに宿を取ったという意味もあったのでした。

古書店でのお目当ては、旧ソ連時代、特に1920-30年代の旧ラテン文字で書かれた本と、それ以降(1940年〜)のキリル文字資料。

単にキリル文字資料だけなら山ほど資料があるわけですが、とりわけ学校の教科書があるといいなと思って古書店を訪れたのでありました。果たして、上々の成果と言えましょう。

またしてもつい買いすぎて、高くついてしまいましたが…

ぱらぱらっとめくると、内容も興味深いです。レーニンの記述があったり、当時の学校文化のことがかいてあったり。帰国後の自主隔離期間も飽きることはありますまい。しらんけど。たぶん。

街中のアゼルバイジャン語は、今やほとんどラテン文字に取って代わってしまいました。象徴的な写真を今回撮ることもできました(エクストラコンテンツの部分で少し触れます)。

が、古書店と図書館がある限り、かつての文字はまだまだ生きている。そう思えます。そこになんとも言えない感慨に私は浸ってしまうのです。

アゼルバイジャン語の文字の話には以前から興味がありましたので、素人なりにいずれまとめて、改めて帰国後にどこかに書きたいなと思っています。

正午にアゼルバイジャン語の先生と面会。一瞬だけ、お謝金の受け渡しをしました。

私が日本に帰国した後でもお稽古は続けられるよ、とのことなのですが…お話は魅力的な反面、銀行への振り込みということになると、日本からアゼルバイジャンの銀行に振り込みとなったときのコミッションは果たしてどれくらい高くつくのかなあという不安があります。

まあこれは、帰国後のこちらの予算とも相談して決めることにしましょう。

トルコ語も忘れてはならない

急いで戻って、日本時間の19:30に合わせてオープンアカデミートルコ語、秋学期1回目の授業もやりました。

バクーにいながらトルコ語の話をするというのは、変な気分っちゃ変な気分でしたが。またしても予定通りに終わらないという失敗をしつつも、なんとか90分こなして、その後「オフィスアワー」に。

オフィスアワーでは、同じくオープンアカデミーのウズベク語の先生でおられる日高晋介先生にゲストとしてきていただいて、ウズベク語・ウズベキスタンの簡単な紹介をしてもらいました。

日高くんありがとうね。
夜遅い時間帯でしたが、快諾してくださりありがたい限りでした。

トルコ語の「親戚」にも興味を持ってもらえる人が一人でも増えるといいな、というのは以前から変わらない私自身の願望なのであります。まさにそれを今実行している結果が、アゼルバイジャン語への執心というわけですね。

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