uferseite

2006年、東北に舞い降りた神童(かみわらべ)

uferseite

2006年、東北に舞い降りた神童(かみわらべ)

最近の記事

鬱の牛「憂し」

ボクの性格は、人間嫌いと孤独嫌い両方の性質を併せ持つ♧ 日頃、人間強度が下がるからなんて嘯きつつ馴れ合いを冷笑しては、その実他人から孤独だと思われることを嫌い、そして一人をみじめだと感じてしまう意志薄弱の、厭世家にして怯弱家にして冷笑家のどうしようもない人間、それが俺。 今俺を悩ませているものはほかの人から見たらどうでもいい。本当にどうでもいい。だから俺は決して原因を言わない。「こいつ成人してるクセに女子中学生みたいなことで悩んでるよww」と思われたくないからだ。まったく自分

    • The Melancholy of Uferseite

      さて今日は起きた瞬間からメランコリーとでもいうべき気分に包まれ、俺の帰宅部精神も行くところまで行ってしまったのか、学校に行く前に帰宅するとかいうテクニック(通称登校キャンセル)を駆使して帰宅RTA界隈に新記録を樹立してしまった。まあ普段から「俺は帰宅するために学校に行っている。平日最も楽しいのは帰宅する時だ。俺は八九寺真宵なんだ。人生も一緒だ。人生のゴールは死だ。帰宅するための登校、死ぬための人生。これは何も違わない。」なんて嘯いてるからこうなるのも必然だった。俺の親は俺がキ

      • 下書きと構想ばかりが積み重なって肝心の文章が書き終わんないよ〜

        • でも確かに生きてる意味 私はもう見つけたから

          趣旨 今回は俺が何のために生きているのか、何を目標に生きてゆくのかを言葉としてまとめようと思う。俺は時として精神が落ち込み、なぜ生きているのかわからなくなることがある。そんな時に備え、モチベがあふれている今の時期に、生きていく理由を言葉にしてとどめておき、後々見返してモチベを取り戻させるという役割をこの記事に持たせている。”生きていく意味”を”世界中の生物”としたときに、AAAヴンダーに当たるのがこの記事だ。あるいは、”生きていく意味”を”種子”としたときにスヴァールバル世界

        鬱の牛「憂し」

          自己紹介/はじめてのnote②

          はじめに さて、俺は先日ただ文章を書きたいという欲求に駆られてnoteを書き始めた。しかしそれは俺の文章を書きたい欲を満たすためだけのものであり、Twitterでコンテキストを共有している方でなければ俺が誰で、何を言っているかあまりよくわらなかっただろう。(↓の記事)  そこで今回は今後のnote活動のためにも自己紹介的記事を書こうと思う。 本来ならこの文章は最初に書くべきだったが、まあ自分の書きたい欲が先行してしまったのでしょうがない。前回の文章が化物語なら、この文章は

          自己紹介/はじめてのnote②

          はじめてのnote/我が文と冗長さ

          noteはじめました 2024/9/08、俺はXの名前をTakから共テ申し込みに変更しつつも、怠惰故共通テスト申し込みを書く気が起きず、このままじゃ最速で一浪を確定させてしまうかもな…浪人したら名前は死屍累生死浪かTak浪だな(宅浪だけにね)なんて緊張感をかかえながらだらだらと物語シリーズを読んでいた。 いや、ここは俺にも受験生としてのプライドがある。やはり、東大2次試験の小説対策をしていた、とでも書かせてもらおう。  テレビで大谷翔平の活躍をみたガキが野球選手になりたいと思

          はじめてのnote/我が文と冗長さ