読書感想文|十の輪をくぐる
✏︎ 『十の輪をくぐる』
✏︎ 辻堂ゆめ|著
※以下は、個人的な感想です。作品を過剰に評価する、または、作品の価値を毀損するものではありません。
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こういう話か!
タイトルから想像した目的地点から
まんまと離れた着地点。
つまり、これは、療育の話。
遡ること約15年程前、ここ日本でも、
特別支援教育がようやく本格的に開始された。
「発達障害(発達障碍、または、発達凸凹)」
という言葉が、市民権を得た。
発達特性のある子どもの家庭だけが背負っていた負担を、地域社会も負うことが明記された。それは、
当事者でないという理由だけで、現代日本の抱える社会的問題に目を背けることはできないことを意味した。
だが、同時に、この社会を構成するすべての者が、足並みを揃えることは難しいことも露呈した。
避けられない温度差が、存在し続けているからだ。
このような社会福祉問題の領域では、
あたらしい言葉が生まれるたびに、
政治的問題という衣を着せられ、
駆け引きの道具となることが、常となる。
そして、それは、ときに、
外交問題へと転生されることもある。
確かに、わたしたちには、
地球というひとつの方舟に乗る
多種多様な生命体から構成される運命共同体
という視点からみて、
SDGsのようなスローガンは有効だ。
だが、しかし、得てして、
そのような標語は「今、この時」を生きることに懸命なひとりの親と、ひとりの子にとって、無用の長物であることが多い。
今、この瞬間にも、
親は汗を流し、苦渋を飲み、
子は無関心に晒されながらも成長している。
必要なのは、
瀟洒に彩られた標語や美辞麗句ではなく、
今日を支えてくれる確かに体温のある手と、
明日も守られている安全・安心な場所なのだ。
はたして、
十五の輪をくぐり抜けた先の社会は、
そのような親子が、
必要な支援を十分に受けられる社会
となっているだろうか。
これは、そういう社会の中で、
障碍を持つ我が子を育てる母の物語だ。
月並みな表現になるが、これは、
空より広く、海より深く、そして、
記憶が消えて、命が尽きても、
尽きることのない愛の物語だ。
ごちゃごちゃうるさい、
わたしの、だれかの、そして世間の御託など、
かるく飛び越えてゆく愛の物語。
さて、
十の輪をくぐり抜けた先で目にするのは、
はたして、何色の輝きか。
たとえ、それが、何色でも、
あなたを一番輝かせてくれる色に違いない。
子どもの特性を理解し、認め、伸ばすこと
それは療育に限らず、すべての子どもにとって、何よりも大切なことではないだろうか。
そんなことを、再認識させてくれる本。
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