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足りないものより、足りているもの


塾でのアルバイトも佳境に入っている。
高校生たちの推薦入試がピークだ。
私は小論文を教えて3ヶ月。
すでに合格した人もいるし、結果待ちの人たちもいる。

エアラインスクールという、客室乗務員になりたい人たちを育て、輩出していくスクールを27年、講師としては32年やってきたので、受験前の精神状態は割と理解している方だと思う。

昨日も受験直前の高校生たちを教えていて、あることを思い出した。
それは、「真面目な人ほど、自分が持っていないものにフォーカスする」というものだ。
言い換えれば、「短所を気にしすぎて、長所が見えなくなり、その結果自分に自信がない」という「思考のクセ」だ。

私自身も若い頃に「完璧主義ゆえに、自分の良いところを自覚していなかったから」だ。この頃の私は、完全なる「根暗」で、何かに挑戦しては落ち込み、母に相談してまたやる気を復活させる、を繰り返していた。
30歳を過ぎると、母に相談することは無くなった。自分で自分の面倒が見られるようになったのは、「思考のクセ」を変えることに成功したのだと思う。決して、元々の性格が変化したわけではない。

では、どうしたら「自分が持っているものにフォーカスし、自信を持って生きていけるのか」を昨日高校生に話したので、ここでも残しておきたい。

それは、「自分の強みを最低5つはあげてみる」ということだ。
実際に高校生にも聞いてみた。「あなたのいいところは?周りから褒められることは?」と。
大抵、答えはすぐには出ない。すぐに出るくらいなら、自分の足りない部分にフォーカスはしないのだから。
そこで、私はこの高校生を見てきて感じていた長所を伝える。
4つか5つ伝えると、全て「確かに、それ言われたことがある」と言う。つまり、当たっていたらしい。人は、ほとんどの場合周囲から認められた自分を受け入れて生きている。
自分で自分を解釈したり、定義づけることは、日本人の場合特にしないことが多い。
だから、学校でのテスト成績や評価を受け入れ、自分の足りない部分にフォーカスしてしまう。

さらに、せっかく周囲から褒められたことでも、「そんなの普通」「誰だってそう」と、その褒め言葉を受け入れないことも多い。
それは「誰に言われたか」も問題で、親が言う場合は「自分をおだてて慰めようとしている」と思うこともあるし、友達だと「本当にそう思っているのだろうか」と思う。
さらに、真面目な人は「いや、これくらいなら誰だってできてるはず」と、さらに自分へのハードルを上げることもある。
しかし、この高校生はちょうど自信をなくしていたときだったというのもあり、また数ヶ月なのに案外今まで周囲が言ってくれたことと私が言った長所がピタッと当たっていたから、私のいうことを素直に受け入れたのかもしれない。
つまり、「自分が持っているもの」を自覚した瞬間だ。

自分が持っていないものも、持っているものも、本来自分で勝手に評価していいのだが、なかなかそうはいかない。周囲の人で、自分が信頼している人から、または公の数字や評価によって、ようやく自分の持っているもの、すなわち長所や、持っていないもの、すなわち短所を認識するのだ。

この自分の足りない点にフォーカスしてしまう「思考のクセ」は、元々の性格によるものだったり、育った環境によって作られたものかもしれないが、真面目で完璧主義で、割と「いい子」として育ってきた人に多いように思う。
周囲からの期待も大きいので、それに応えようとすると、自分の足りない点ばかりを見てしまい、足元がぐらぐらとして本番で結果を出せなくなってしまう。
教える側としては、「持っている実力をそのまま出してほしい」ので、ぐらぐらしている足元を固めるのも、仕事の一つということになる。

試験前の緊張をたっぷりと溜め込んでいた高校生は、やがて表情がリラックスしてきて、「頑張ります」と言って帰っていき、ほっとした。

私が30歳を過ぎてこの思考のクセを変えることができたのは、「世の中完璧な人間なんていない」と、社会に出てわかったからだ。どんなに仕事ができる先輩でも、性格的に疑問を持つ人もいたし、仕事にあまり熱心でない人でも、スキーになると目の色が変わったりするのを見ていると、「足りているものがいくつかあればそれでいいんだ」と思ったのだろう。
また、自分自身も仕事である程度は周囲に迷惑をかけない程度にできるようになったことで、少し自信めいたものがついたのだろう。

完璧主義には多くの弊害がある。それは私自身が身をもって感じてきたことだ。
特に今の時代、自分に足りないものは周囲の人にお願いすればいい。自分が足りているものを生かして生きていけばいい。そうやって社会は成り立っている。
完璧でなければならないことは、機械に任せた方がいい。
人間なんてそもそもいい加減で、気分次第で、悪いことも考えてしまうものなのだから、完璧を期待してはいけない。

だから、自分の足りている部分、すなわち長所に目を向け、誰かと比較することもなく、ただただそのまま自分を認め受け入れる。
そうやって足元を固めることで、さらに欲しいものを手に入れるために走り出すこともできるだろう。もちろん、今ある足りているもので十分、という人もいるだろう。それは個人個人が決めることだ。ただ、足元がぐらぐらの状態では、何かに挑戦することはもちろん、今の自分に満足することも、認めることも難しい。
ありのままの自分を受け入れる。
そのためにも、「足りているものを自覚する」ことが、とても大事なのだと思っている。

とここまで書いて、ふと思い出した。

もし、「私の足りているものってなんだろう」と思った方は、セッションで一緒に探して行きませんか?という、セッションを用意していたことを。

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