就活中に出逢った私とカゲ
影がすき、
色がなくっていろんな私が見える気がするから、
夕焼けが綺麗な日、月がいつもよりいっぱいの光を地球に返している日、蛍光の街灯が照らす暗い夜道、アルバイト帰り、旅行先。
立ち止まるとカゲという私に出逢う、時間帯や場所という背景は違くともそこにいる
色がないからいろんな私をそこに置いて考える
私って何だろう、と
これもきっと脳が就職活動へとチャンネルが切り替わったままだからなのだろうか。
ここ半年大学生を職業とする友人はエントリーシートやガクチカ(学生時代に力を入れたこと)の内容に悩み「今からでもボランティア間に合うかなぁ」(訳:ボランティアしとけば就活に有利になるはず、でも時期的にどうよ)といった様子だった、私も何度か一緒に悩むフリをしてみたことがある。
フリ、とはいえそれはカゲの中を覗くことに似ていて私にとっては面白かった。この期間私はそんなカゲに経験というパレットから色を付ける作業をした。
そして私はきっと父の死があってなるべく後悔の無い道を選んできていたことがわかる、
就活の時期はそんな感じだった。
やりたいことはとりあえずなんでもやる精神で、中学では生徒会長に立候補したし、高校の体育祭では応援団長、文化祭では演劇のキャストもやった。ボランティア活動はもともと好きだったし、アルバイトも色々やりたいからとスーパー、焼き鳥屋、身体介助まで幅広く経験した。授業を休むことも嫌いで、大学でもピ逃げという学生証をタッチして出席とみなす講義で良く使われるいわゆる出席逃げも出来ないぐらいの多分真面目。
最近だと友達に合コンに誘われて、それも誘ってくれた子が6年になる彼氏がいるという理由で結局行かない選択をしたほどだった。曲がったことが嫌い!というよりは、自分の選択に後悔を持たせたくないのだと思う。この合コンについて言えば1回きりの男たちへの私よりも、今後続くであろう友情をとりたいというところだ。
こんな私の頑固さを作ってしまったのは父の亡くなった日が忘れられないからだろう。自分の真面目さを初めて恨んだ日となり、その選択を長い間自分の中で反芻させてはこうだったのかいやこうだったのだろうかと今でも考えている。
このnoteについても上手く終わりがつくれないが、それでも良いと自分の選択を褒めていきたい