自己理解が育つ上で必要なこと~ひろし君に教えられたこと~
植草学園短期大学
教授 堀 彰人
「ことばの教室」の担当を8年間ほど勤めた後、主に言語やコミュニケーションに関する教育相談の仕事を9年間担当した。教員としてのスタートは通常の学級担任だったものの、17年間という長きに渡って、およそ一時間に一人ずつ子どもを見つめる空間や時間の流れにすっかり馴染んでしまっていた。その後、学校現場に戻った私は、初めて知的障害学級の担任となった。4月当初は児童4人のクラスだったが、それぞれに学ぶペースやスタイルの異なる児童を同時に把握する生活に適応するまでに少し時間を要した。それでも、その道の先輩にいろいろと相談しながら、なんとか担任の役割を果たそうとしていた。
ひろし君(仮名)は、その年に入学してきた1年生であった。彼は短い文を読んで理解できたことから、一日の流れや毎時間の活動内容の手順などを文字にして伝えていた。こうして視覚的に見通しが持てるようにすることで、彼は本当に一生懸命、日々の学習に取り組み、学校生活に適応していった。
入学して間もない5月の運動会も無事に乗り切り、視覚的に見通しを伝えるという支援の手応えを感じてきていたある日のことである。2時間目の授業後の、少し長めの休み時間を終えて教室に戻ってきたひろし君に、私はいつものように「3時間目の勉強、頑張ろうね。」と、予定していた学習内容や手順を示したメモを渡した。ひろし君は、いつものようにそれを受け取り、自分の課題に取り組み始めるはずだった。しかし、メモを受け取り、席に向かいかけた彼は、「もう、学校やめた!!!!」と手にしていたメモをびりびりに破いて投げ捨て、教室を飛び出し、校舎の隅で大きな声を上げて泣き叫んでいた。その姿が本当に辛そうで痛々しく感じた。難しい課題や、彼の嫌いな学習を求めたわけではなかったはずだった。当時の私には、目の前で起きた出来事に戸惑うしかなかった。
ある日電車に乗り込んだ私は、8人掛けの座席の空いたスペースを見つけ、そこに座った。一人のスペースごとに色分けされ、中央部分に少し窪みがつけられたシートであった。片側の隣に座っていた人は大柄な人で多少窮屈に感じたのだが、その色分けされた境目をまたいで座ることには抵抗感を感じた。その電車がモノトーンの平坦な座席であり、「座席は8人掛けになっています。詰め合ってお掛けください」という車内アナウンスが流れてきたとしても、恐らくそこまで感じなかったかもしれない。目に映る座席のデザインが、「(窪みに)うまく収まるように座りなさい」とでも言っているようであった。まるで体がそうせざるを得ないような感覚である。もしかするとひろし君も、それに近い感覚だったのではないか…。
入学したばかりの1年生の彼にとって、休み時間にしていた遊びをもっと続けたかったこともあったかもしれない。他の活動に興味があったかもしれない。少しのんびり過ごしたかったこともあっただろう。しかし、担任の私から渡されたメモが目に入ると、自然にそうせざるを得ない状況に感じてしまっていたとしたら…。私は、視覚的「支援」と称して、自分が授業を円滑に進めやすいように、私の都合に合わせるよう彼をコントロールしていたのかもしれないと思った。
夏休みに入ってある研修会に参加した。自閉症のある子どもや成人の方に、これから取り組む活動の内容(この研修会では課題)を、いかに見てわかるように構造化して示せるか、実技を伴って学ぶ研修会である。わかりやすく示せているかどうかは、ご本人たちに聞くのが一番である。自閉症のある子どもや成人の方に協力者として参加していただくのだが、その年、ひろし君に協力者の一人になってもらうことになった。
研修会当日の朝、私は車で彼を迎えに行き、当日の流れをいつものようにメモに書いて渡した。彼も納得して、研修会場まで短時間のドライブを楽しんだ。会場に着くと、参加者が最初の課題を試作している間プレイルームで遊んで待っていることになっていたが、ひろし君はどこか落ち着かない様子だった。私と一緒に箱を積んだり、ボールプールに入ってみたりしながら少し過ごした後に、彼は下のような絵を黒板に描いて、「先生、今日はこれでいいですか?」と尋ねてきた。絵をよく見ると、プレイルームで先ほどまで遊んでいた箱とボールプールが左から順に描かれた後、普段、自分の教室で毎朝取り組む個別の課題で使っているコーナーの座席(カラーボックスと机の絵)、そしてポテトの絵(課題が終わったら、おやつにポテトが出ると聞いて楽しみにしていた)、そしてもう一度カラーボックスと机の絵(最初の課題のわかりにくかった部分を修正した上で、改めて取り組んでもらうことになっていた)、さらに自動車、家の順に描かれていた。あとから、彼は私が渡したメモをどこかに落としてしまったことがわかった。記憶には残っているものの、初めての場所で過ごす一日の流れを確かめることができずに不安だったのだろう。そのため、これから過ごすはずの一日の流れを絵で描いて、私に確かめてきたのだ。
この時、「見通しを視覚的に示す」という手だては、私が彼を思うように動かすためのものではなく、彼が安心して過ごせるために、自分自身で選択して使ったものだ。自分にとって、こういう手だてがあると“安心して活動に参加できる”、“自らの判断で主体的に取り組むことができ、充実感をもてる”という実感に基づいて自分のために、自分からその手立てを使ったのだ。そして、そのような自己を肯定的に受け止めているのだろう。
現行の特別支援学校学習指導要領の自立活動<健康の保持>には、(4)「障害の特性と生活環境の調整に関すること」という項目が新たに加えられている。これは、「自己の障害の特性の理解を深め、自ら生活環境に主体的に働きかけ、より過ごしやすい生活環境を整える力を身につける」ことを目指すものだ。活動に取り組む上での何らかの手だてや工夫は、その活動が子どもにとって必然性があり、主体的に取り組める状況にある時、その手応えや充実感を感じることで、本人にとって大切な暮らしの知恵になっていくのだろう。そして、それが肯定的な自己理解と結びついていくのだろう。
そのような状況をいかに創り出し、共に過ごすことができるか、支援者のあり方が問われるのだ。
植草学園大学・植草学園短期大学 特別支援教育研究センター
障害者支援を学ぶことは、すべての支援の本質を学ぶことです。千葉市若葉区小倉町にキャンパスをもつ植草学園大学・植草学園短期大学は、一人ひとりの人間性を大切にした教育を通じて、自立心と思いやりの心を育むことにより,誰をも優しく包み込む共生社会を実現する拠点となることを学園のビジョンとしています。特別支援教育研究センターは、そのビジョンを推進するため、平成26年度に創設され、「発達障害に関する教職員育成プログラム開発事業」(文部科学省)の指定を受けるなど、様々な事業を重ねてきています。現在も公開講座を含む研修会やニュースレターの発行なども行っています。