古代ギリシャの兜と孫基禎(ソン・ギジョン)
この青銅製の兜(かぶと)は、韓国ソウルの国立中央博物館の一画に大切に展示されています。韓国の国宝904号です。国宝の中で当時は西欧由来として唯一のものです。
紀元前5世紀の古代ギリシャのこの兜が、なぜ韓国の国宝になったのか、その数奇な運命をたどってみましょう。
この兜は、古代ギリシャのマラトンの戦いの勝利をアテナイ(アテネの古名)の市民に報告するために走った兵士が被っていたとされるもので、1875年オリンピアゼウス神殿から発掘されました。
これを寄贈したのが孫基禎(ソン・ギジョン)氏(1912〜2002)です。孫は1936年ベルリン五輪のマラソン金メダリストです。2時間29分19秒という記録は当時のオリンピック新記録でした。
このベルリン五輪はナチスドイツの威厳を誇示するための大会でした。五輪の聖火リレーはこのベルリン五輪から始まりました。南ヨーロッパへの領土野心を持ったナチスドイツが、アテネからベルリンまでの道路を軍事用として整備するために、聖火リレーを隠れ蓑にしたのです。
聖火リレーを喜んだギリシャは、マラソン金メダリストへの副賞としてこの青銅兜を贈呈することにしたのです。
孫基禎の運命は、金メダリストになった時から歴史の大きなうねりに翻弄されることになります。日本政府は孫が英雄視されることを嫌い、兜は孫自身に渡されることなく、ベルリンに置かれたままになりました。当時のオリンピック委員会の規定に、メダリストにはメダル以外は授与できないという項目があるためとされていました。
その後、兜はベルリンのシャルロッテンブルク博物館に収蔵されたままでした。そして50年後の1986年、ドイツオリンピック委員会から本来の所有者である孫基禎に手渡されたのです。この返還のために、孫は韓国オリンピック委員会や多くの人と協力して返還運動に取り組みました。
孫は、この兜の歴史的な意義と価値があるものとして、1994年に国に寄贈することにして、国立中央博物館に収蔵・展示されることになったのでした。
孫基禎は、その生涯を通じてオリンピック精神を世界に広めることに大きく貢献した人物でした。彼は1952年のヘルシンキ五輪など複数回、韓国選手団総監督を務めたり、1988年ソウル五輪では、聖火リレーの最終ランナーになっています。
孫は兜を国へ寄贈する際に、兜のレプリカを作り、彼がお世話になったところへそれを送っています。日本では明治大学博物館と関西大学に送られました。
孫はベルリン五輪後、日本に帰国して明治大学専門部法科を卒業しています。また関西大学に寄贈したのは、兜の返還運動の協力者の一人である大島鎌吉氏の母校が関西大学であったためです。大島は1932年の三段跳び銅メダリストであり、36年ベルリン五輪にも出場し、64年東京五輪招致にも貢献した人物です。
明治大学は、1995年に特別功労賞を孫基禎氏に贈呈しています。また2012年には生誕100周年を記念してシンポジウムを開催しています。
植民地支配下という抑圧的な影響のもと、意に反して支配国「日本」の代表としてオリンピックに出場し、さらに新記録でマラソンを走り抜きました。表彰台ではその栄光にかかわらず、その心中は苦悩に満ち屈辱感を味わっていたことだろうと私は思います。
さらにベルリンから帰国後も要注意人物の扱いを受け、明治大学在学中は箱根駅伝を走ることもままならなかったのです。これも旧日本帝国政権の偏狭な政策のためでありましたが、それにもかかわらず、戦後は韓国のスポーツ界にとどまらず、国際的にオリンピック精神を広めることに大きく貢献しました。
スポーツの政治的利用は避けるべきという主張は当然のことですが、現実としては非常に難しい問題を含んでいます。しかし孫基禎氏の功績とこの青銅兜の経緯は、もっと日本にさらには世界に広く知らしめるべきだと思います。
国立中央博物館の常設展は入場無料ですので、ソウル旅行の予定にぜひ組み入れてみてはいかがでしょうか。レストランもカフェも併設されています。
最近、美術館や博物館の収蔵品や展示品を、本来の持ち主や発掘された国に返還すべきだという潮流が、全世界的に広まりつつあります。これは極めて難しい問題で外交問題にまで発展しかねない要素を含んでいます。
歴史的な経緯や時間的な流れ、国際関係や政治状況などを踏まえて、個別に交渉し判断していくしかないのでしょうね。
この青銅製兜が歴史の闇に埋もれて、ベルリンの博物館に眠ったままにならなくて本当によかったなとつくづく思います。